第二部
プロローグ
「いや、無理っすよ」
「そう言わず」
「無理っす」
「そこんとこなんとか」
「絶対に無理っす」
最前線の砦――執務室。
そこで、レイラとアントンは二人で並んで、ソファの向かい側に座るテレジアと睨み合っていた。
皇帝ラインハルトに結婚をすることを報告し、その許諾を得て引退を許可され、そのままレイラはアントンと共に砦へ向かったのだ。以降の『銀狼将』をテレジアに任せるために。
だが、そんなテレジアは、一切首を縦に振らなかった。
「いやー……アタシとしては、二人がそういう風になってくれたことはとっても嬉しいんすよ」
「なら」
「でもレイラさん、よく考えてほしいっす。この砦は不落を誇ってるっす。いつだったかレイラさんが『いいこと思いついた!』って何気に出かけて一気に落としてきたおかげで手に入った砦っすけど、ここは最前線の要っす。トール王都に最も近い場所っす」
「うん、そうだな」
思い出すと、少し恥ずかしい。
なんとなく暇潰しに地図を眺めていて、当時にトール王国との境界がはっきりしなかった部分があり、せっかくだから暴れようかなと考えて一人で落としたのがこの砦だ。どれほどの敵兵が逃げ出したのかは分からないけれど、とりあえず砦にいた兵士は皆殺しにした。
その後、本営の設置とか軍全体の移動とか帝都への報告とか、面倒くさいことは全部テレジアに丸投げして。
「今も、レイラさん不在と聞けばすぐにトールの軍が攻めてくるっす。それくらい、敵さんからすれば落としたい場所なんすよ」
「まぁ、そうだな」
「そんな状態でレイラさんが引退とか、アタシら死にますよ」
「……」
むぅ、と腕を組む。
確かに言われてみれば、その通りだ。いつもトール王国の軍は、レイラのいない隙を狙ってやってくるのだから。
レイラ不在の隙をついてやってくる敵兵からテレジアがどうにか防衛し、防衛している間に戻ってきたレイラがどうにかする、という形で割と落ち着いているのである。むしろ、このやり方で全勝しているのだ。
そんな中でレイラが引退。
間違いなく、砦は落ちるだろう。
「まぁ……皇帝陛下が許したっていうなら、アタシら逆らえないっすけど……」
「えと……」
「レイラさんにしてみれば、ちょっとした陛下への意趣返しかもしれないっす。ですけど、アタシらにしてみれば死活問題っすよ。引退をする件に関しては、アタシも強くは言えないっす。ただ、今は無理っす」
「そう、か……」
隣にいるアントンと、視線を合わせる。
元々、レイラに引退をして欲しい、と要請してきたのはアントンだ。レイラがどれほど強くとも、戦場である以上はどこに何の事故があるか分からない。
ゆえに、レイラには戦場から去ってもらい、帝都でアントンと共に家庭を築いてほしい――と。
だが、現在の情勢を考えるならば、テレジアの言葉は何の反論もできない正論である。
「申し訳ありません、テレジアさん」
「まぁ、アントンさんが謝ることじゃないっすよ。アタシも二人の仲がそうなるように頑張った身なんで、嬉しいことではあるんすよ。ただ、まさかいきなり引退とかまで話が進むなんて思わないじゃないっすか」
「そう、ですね……軽率でした。ひとまず、テレジアさんとしてはどうお考えですか?」
「そうっすね……」
はぁぁぁぁ、と大きく溜息を吐くテレジア。
元々、レイラが引退するだなんて考えもしなかったのだろう。それだけ、銀狼騎士団はレイラの武力に頼りきりになっているのだから。
レイラという圧倒的な武力があるために、他の騎士団と同列に扱われてはいる。
だが、レイラを失った銀狼騎士団は――脆弱な騎士団だ。それこそ、他の騎士団とは比べものにならないほど。
特にレイラが『銀狼将』を継いで六年、戦のほとんどをレイラ一人が暴れまわって、銀狼騎士団はそのほとんどの仕事が後処理くらいだったのだ。
訓練は施しているけれど、何度も戦場を経験してきた他の軍に比べると、間違いなく練度は低い。
「とりあえず、トール王国との関係がどうにかなるまでは、動かせないっす。あとは王都とそれに伴う幾つかの都市を残すだけっすけど、それでもまだ割と大きいんすよ。レイラさんが一人で王都に攻め込むのも手っすけど、そうなると戦闘員と非戦闘員の区別もつけずに皆殺しにしちゃうっす。皆殺しにして王都を占領下に置いたところで、そこは死の街になっちゃうっすからね」
「いや、あたしだってそこまで……」
「この砦は皆殺しにしたっす。戦闘員も非戦闘員も含めて全部っす。まぁ、砦に駐在している時点でほぼ敵兵なんで、問題にはなってないっすけど。ただ、これが敵国の王都レベルになるとさすがに問題になるっすから」
「……」
前科があるので何も言えない。
ただ、黙ってテレジアの言葉を聞くだけだ。
「アタシとしては、レイラさんには死ぬまで戦場に出てもらいたいんすけど」
「それは、僕が……」
「正直、万が一の可能性すらも存在しないとは思うっすけど……アントンさんは心配なんすね」
「はい。僕は……どうしても、耐えられません。レイラさんが戦場でその命を落とすことになってしまったら、僕は僕を許せないでしょう」
「ええ……まぁ、ものすっごい杞憂だとは思うんすけどね」
確かに、アントンは少々心配しすぎだとレイラも思う。
今まで六年、様々な戦場に出てきたけれど、傷の一つも負うことのなかったレイラだ。敵兵の矢が体に当たっても刺さらず、剣で斬りかかっても傷つかないその体がどのような構造をしているのか、実際のところレイラ本人にも分かっていないのだけれど。
そういった実績があるにも関わらず、アントンは引退をするように要請してきたのだ。レイラにしてみても、帝都でアントンと家庭を築くというのが憧れでもあったために、承諾したのだが。
「まぁ、折衷案しかないっすよ。最低限、ここまで。そういうラインを設けたらどうっすか?」
「つまり、どういうことですか?」
「トール王国が滅ぶまで、っす。今のところ、敵対している国はトールくらいのもんっす。ガルランドとは少々関係が悪くなっているとは聞くっすけど、まだ戦端開いてませんし。あとは西の蛮族あたりがちょっかい掛けてくるっすけど、あっちはあっちで他の騎士団が対処してくれるっす。なので……まぁ、トール王国が滅ぶまで。これが最低条件っす。あとは、トールが滅ぶ前に別の敵国との戦端が開いた場合も、無理っす。戦時から平時に落ち着くまで、っすね」
「……そう、ですか」
アントンが、苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。
そんなアントンの表情を見ていると、レイラも悲しくなってくる。これほど悲しませるのならば、今すぐトールの王都に攻め込んで国王の首だけ奪って、そこから抵抗してくる奴だけを殺す形で制圧してやろうかと思えるほどだ。
そんなレイラに、アントンは改めて、小さく息を吐いて。
「レイラさん」
「どうした、アントン」
「弱い僕を、許してください。レイラさんだけ危険のある戦地に行ってもらって、その補佐しかできない僕を……」
「い、いいよ、アントン! 大丈夫! あたし死なないって! 絶対!」
「どうか、死なないでください。トール王国が滅んだそのときには、結婚式を挙げましょう。その後は、僕の妻として家を守ってほしいと思っています」
「あ、ああ!」
アントンの弱気な態度に、そう快く返事をする。
レイラは、本当に幸せだ。本当に愛している男から、こんな風に言われるなんて。
嬉しくて嬉しくて、もうちょっと国の一つや二つくらいすぐに滅せるんじゃないかと思える。
「レイラさん」
「アントン!」
「いちゃつくなら他所でやってほしいっす」
だが、そんなレイラとアントンの姿を。
テレジアは、冷めた目で見つめていた。
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