エピローグ 

 ガングレイヴ帝国、帝都宮廷。

 本日は、玉座の間における勲章の授与式だ。

 最前線が少しは落ち着いたので、帝都までやってきたレイラは、そんな式に出席していた。当然ながら、きっちりと軍人の正装で。

 跪いた目の前にいるのは、壮年の男――ラインハルト・ドルーガー=レイチェル・ガングレイヴ。ガングレイヴ帝国という超大国の頂点に立つ最高位、皇帝である。


「面を上げよ、『銀狼将』レイラ・カーリー」


「は」


 皇帝からのそんな言葉に、レイラは顔を上げる。

 玉座の間で、最高権力者たる皇帝の目の前にいるとはいえ、その顔に緊張などない。こうして、皇帝から直々に勲章を授与されることも、初めてではないのだ。覚えているだけで既に四度目である。

 ちなみに、本来それまでにもらった勲章の数々を、ちゃんと装着して出席するのが礼儀なのだが、正直レイラはどこに置いているのか覚えていないため忘れたことにした。多分掃除をすれば出てくるのだろうけれど、特に興味もないため探そうと思わないのだ。


「此度は、トールの関の攻略、ならびにトール王国に対する功績の数々、大儀である」


「は」


「そなたは我が国の宝である。以降の活躍にも期待し、これを授与しよう」


 大臣の一人が前に出て、両手に抱えた板の上に乗せられた勲章を差し出す。

 恐らく花を模したのであろうそれは、桜花勲章――ガングレイヴの国花たる桜をモチーフとした、軍人としての最高位の勲章である。歴史に残る活躍をした軍人に与えられるという代物だが、既にレイラはこれで三つ目だ。何のありがたみも感じない。

 恭しく礼をしながら、その勲章を受け取り、再び頭を下げる。


「ありがたき幸せにございます、陛下」


「うむ。これからも、最前線での活躍を期待する」


「……」


 皇帝からのそんな言葉に、レイラは答えない。

 その代わりに、ふーっ、と大きく息を吐いて。


「陛下」


「どうした」


「発言をお許しいただければ、と」


「許そう」


「ご報告がございます。此度、私レイラ・カーリーはレイルノート侯爵家の子息、アントン・レイルノートと結婚することに相成りました」


「おぉ!」


 レイラのそんな言葉に、喜色を含ませながらそう声を上げる皇帝。

 それも当然だろう。皇帝にしてみればレイラとアントンがそのように結婚をして、ガングレイヴ帝国の貴族、その一員としていてくれるのが一番なのだから。

 皇帝にしてみれば、アントンやレイルノート家など、レイラを繋ぐ首輪に過ぎないと、そう考えているのだろう。

 にやり、と口角を上げて、舌を出す。


「そして、それに伴いまして、ご報告を」


「うむ、言うてみよ」


「私レイラ・カーリーは『銀狼将』を引退いたします」


「……………………………………は?」


 意味が分からない、とばかりに目を見開く皇帝。

 首輪を繋いで、これから裏切ることなくガングレイヴ帝国のために戦い続けるはずだった将軍の、突然の引退宣言だ。驚かない方がおかしいだろう。

 だが、これは決定事項だ。例え皇帝の命令でも、これが覆ることはない。


「後任は、現在の副官であるテレジア・リードに。将軍としての仕事など、引き継ぎは既に終了しております」


「ま、待て! 待て!」


 特に引き継ぎなどないけれど。

 実際のところ、レイラが流し読みしていた書類を作るのは、本来将軍の役目なのだ。それを全てテレジアに押し付けていたために、特に引き継ぎが必要な案件などはない。

 そして、レイラは立ち上がり。


「アントン!」


「はい、レイラさん」


 周囲を囲む、宮廷の家臣――その中から、アントンが一人出てくる。

 皇帝を蔑ろにするようなこの行動は、決して褒められたものではないだろう。だが、アントンは敢えてそのように、礼儀を無視するような行動を取った。

 そしてアントンが、そのままレイラの横で皇帝に頭を下げ。


「不敬であることは承知しておりますが、申し上げたい儀があり、このように出てまいりました。お許しください」


「ど、どういうことなのだ! アントン!」


「は。私アントン・レイルノートは、レイラ・カーリーを妻に迎えることといたしました。それにあたりまして、妻に引退をするように要請したのは私です」


「何を考えておるのだ!?」


「私は妻レイラを愛しております。愛する妻が戦場に出ていることに耐えられるほどに、私は強い男ではありません。私の側で、私を支えて欲しいと申し上げたところ、承諾をしてくださいました」


 ぱくぱくと、まるで陸に上がった魚のように、口を開いたり閉じたりしながら絶句している皇帝。

 しかし、アントンはそんな皇帝に向けて物怖じすることなく、真剣な眼差しで見据える。

そして、ようやく事態が飲み込めてきたのか。

 皇帝が怒りに震えながら、ばんっ、と玉座の肘掛けを叩いた。


「ふざけるな! アントン!」


「ふざけてなどおりません。元より、結婚した女性は家庭へ入るものです」


「それは普通の女である場合だ! カーリー将軍が引退をするなど……! そのような暴挙、ありえぬ!」


「ですが、妻は快諾してくださいました」


「ぐっ……! 貴様っ! 国防に関わるそのような大事をっ……!」


「まぁ、そういうわけです。皇帝陛下」


 はぁ、と大きく溜息を吐いて、そう皇帝を見据えるレイラ。

 どれほどお怒りだかは知らない。

 だが、それだけレイラも怒っているのだ。


 アントンとレイラの、純粋な想いを利用しようとした。

 アントンをただ、レイラを国に繋ぐための首輪として扱おうとした。

 それこそ――暴挙なのだから。


「そういうわけで、あたしは引退しますんで」


「そのようなこと……!」


「引退を認めないって言うなら、出奔します。トール王国にでも所属しましょうか」


「――っ!」


 レイラの強さを、最も知っているのはここにいる面々だ。

 レイラ一人が存在したがゆえに広がった版図は多い。それこそ、レイラが最前線で戦い続けていた数年で、ガングレイヴ帝国は向こう百年は得られなかったであろう領地を得たのだ。

 そんな人材が、他国へ流出すればどうなるか――その帰結は、決まっている。

 最強無敵の鉾が敵軍についたならば、残るは帝国の滅亡のみだ。


「ぐ、ぐっ……ロウファル! どうなっておるのだ!」


「わ、私も、初耳でして……!」


「ふざけるな! アントン! そのような暴挙、ただですむと……!」


「もしもアントンに何か罰を与えるなら、あたしはここで全力で暴れますけど、構いませんよね?」


「くっ……!」


 皇帝が、レイラの言葉に黙り込む。

 ここにいる者のみならず、大陸全土を探したところで、レイラを止められる者はいないだろう。全力で暴れるレイラを止めることができるのは、きっとアントンだけである。

 そして、アントンに何か危害を加えるつもりであるならば。

 それが皇帝であれ、レイラが殺さない理由にはならないのだから――。


「……」


「……」


 皇帝と、睨み合う。

 権力では動かず、たった一人で帝国を滅ぼすことのできる女――そんな存在を前にして、恫喝では何の効果も得ることはできない。

 それが分かっているから何も言えず。

 それが分かっているから――承諾をするしか、ないのだ。


「で、どうしますか?」


「……好きに、せよ」


「ありがとうございます、陛下」


「だが……一つだけ、約束を交わせ。レイラ将軍の引退を認める。ただし……絶対に、他国には、行かないように」


「承知いたしました、陛下」


「余は……少し休む。これにて、解散だ……」


 げっそりと。

 この時間だけで相当に老け込んだかのように、項垂れる皇帝。


 これで許可は得た。

 レイラは引退をし、これからはアントンの妻として、帝都で生きてゆくことになる。

 ちゃんと貴族の妻として振る舞えるように、勉強をしなければならない。子供も作って、レイラなりに教育を施さなければならない。

 それが楽しみで仕方ないのだ。

 嬉しくて、笑顔が溢れるのを我慢できない。


「よし、アントン! 帰るよ!」


「はい、レイラさん!」


 手を繋いで、そのまま二人で並んで玉座の間を後にする。

 その先に幸せがある、と信じて。



 最強無敵、天下無双の恋する乙女。

 その恋は、ここに成就した――。

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