第26話 『殺戮幼女』の暴虐
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「ぎゃあああ!」
「奴が来た! 逃げろぉ!」
「い、嫌だぁ! 死にたく……ぎゃああ!」
「ひぃぃっ!」
戦場。
レイラが不在の隙をつき、砦へ向けて少ない兵を発したトール王国の軍勢へ向けて、レイラは駆けた。
最前線の砦さえ落とせば、もう少しくらいは延命できる、とでも考えたのだろうか。そして、レイラの存在しない銀狼騎士団は、決して強い軍であるとは呼べない。
テレジアが指揮をして、今にも砦で防衛戦を仕掛けよう、としたその矢先に、レイラは戻ってきた。
血走った目で。
怒りをその身に湛えて。
そして。
ただひたすらに、戦場を駆ける鬼と化した。
「な、なんで……! い、いないはず、だったのに……!」
「や、やめてくれぇ!」
「ごふっ!」
「うぎゃーっ!」
レイラの身の丈、その二倍にも及ぶ大剣――それを右手と左手の両方に持ち、レイラは馬よりも早く走る。
その力は、まさに伝説に残る英雄に相応しいもの。走るだけで大地が割れ、駆ける先は焦土と化し、その一太刀は軍を切り裂く――まさに、戦場を駆ける暴風。
レイラの走った先だけ、まるで竜巻に襲われたかのように敵軍が吹き飛ぶ。
大剣を振るうたびに誰かの首が飛び、誰かの胴が割れ、誰かの体が真っ二つになる――まさにそれは、地獄絵図と呼んでもいいだろう。
ただ一人の最強。
最強ゆえに、ただ一人だけで軍を殲滅する力を持つ女。
「や、やれぇ! 敵は一人だぞ!」
「に、逃げるなぁ!」
「あいつを殺せぇ! 報奨金は弾むぞ!」
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
鋭く切り裂く大剣の一撃は、風の衝撃すら巻き起こして敵軍を吹き飛ばす。
刃に当たった者は残らず屍と化し、余波を浴びた者すらも体が吹き飛ばされる一撃。まさに、それは天災と呼んでも良いであろう、戦の鬼。
どれほどの槍を浴びても、どれほどの矢を浴びても、決して動じぬ不落の城塞。
どれほどの血を浴びても、どれほどの首を刈っても、決して止まらぬ殺戮の女神。
それが――レイラ・カーリー。
「逃げろ! あんな奴、勝てるかよぉ!」
「か、勝手に逃げるな! 戦えぇ!」
「やなこった! お前が闘えよっ!」
「き、貴様らぁっ!」
次第に、敵軍は瓦解してゆく。
たった一人だけの軍勢を恐れ、逃げ出す。まさに蜘蛛の子を散らすように。
そこに残るのは、ただの二種類。
もう死んだ者と、これから死ぬ者――。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ぎゃああっ!」
「ぐあああっ!」
「い、いや、だ、いやだぁ……!」
「死にたく、ねぇ……!」
そして、暴風が止まり、静寂が訪れる。
そこに立っている者はただ一人、レイラ・カーリー。
強大なる戦の女神より、その姓を賜りし伝説の英雄。
彼女はただ一人だけで、屍の丘に立つ。
死んだ者は数知れず、逃げた者は数知れず、されど傷の一つも与えられることなく。
ただ――『殺戮幼女』は戦場に佇むだけだ。
「ふ、ぅ……」
血煙が舞い、風が血臭を運ぶ戦場の空気。
返り血に塗れ、その顔の造形すら分からなくなったレイラは、そこで小さく嘆息する。
戦場で暴れるのは、いつものことだ。
ただ一人、こうやって敵軍に攻め込んで、殲滅するのもいつものことだ。
だけれど、違う。
いつもならば、もう少し晴れた気分で、清々しく凱旋をすることができる。
そして、呆れたテレジアに「後処理を頼む」と告げればそれで終わりだ。
だというのに、全く心が晴れない。
暗く澱んだ、まるで沼のような汚泥に侵食されているかのように。
人は――それを、絶望と呼ぶ。
「れ、レイラさんっ!」
「……」
「は、早いお帰りっすね……いや、アタシは助かりましたけど。でも、授与式って今日の正午からじゃなかったんすか? どう計算しても戻ってこれないんすけど……」
「……」
ただ、感情のない目で、テレジアを見る。
テレジアがそんなレイラの眼差しに、小さく「ひっ」と悲鳴を上げるのが分かった。
ああ、悍ましい。
このように最前線で、国のために戦うからこそ、許されているだけだ。
その本質は、殺戮をただ楽しむだけの女に過ぎない。
誰が英雄だ。
誰が将軍だ。
レイラなど――戦争がなければ、生きている価値もない。
「テレジア」
「は、はいっ?」
「もしもあたしが、トール王国に帰順する、って言ったらどうする」
既に、王都一つを残すだけの小国と化した、かつての大国トール。
いっそのこと、レイラの腕を見せて、向こうに雇われてもいいかもしれない。
そもそも、ガングレイヴの生まれだからガングレイヴの軍に所属しているだけなのだ。そこに義理など何もないし、出奔しない理由もどこにもない。
ならば。
裏切られた――レイラの想いを弄んだ、あいつらに報復をするためならば。
敵国の尖兵として、ガングレイヴを滅ぼす――。
テレジアが、そんなレイラの言葉に、震えて。
「あ、あの……ほ、本気っすか?」
「……」
「な、何があったんすか……? い、いや、言いたくないんなら、いいっすけど……」
「……」
「いやー……まぁ、多分銀狼騎士団、全員ついていくっすよ。いや、レイラさんを戦場で敵に回すとか、もうそれ死ぬ未来しか見えないっす、けど……」
「……」
心に、闇が蔓延る。
レイラなど所詮弄ばれただけなのだ。アントンから囁かれた愛も、全部嘘だったのだ。
だけれど、心のどこかで、それを否定したい自分がいる。
ありえない、と分かっているのに。
どんな顔をして、アントンと会えばいいのだ。
いっそのこと、全部嘘だったと糾弾して、その首を刈ってやろうか。
暗く淀む感情が、止まってくれない。
今なら、ガングレイヴ帝都に一人で攻め込んで、皇帝の首を取ることさえ厭わないほどに。
「れ、レイラ、さん……?」
「……あぁ、暴れ足りない」
「とりあえず、酒飲んで寝るに限るっす。付き合うっす。大丈夫っす、レイラさん」
「……」
酒飲んで寝て、それからどうするのだろう。
レイラを裏切ったガングレイヴ帝国のために、これからの戦い続けるのだろうか。
初めて見つけた、本当の愛。
本当に。
本当に。
愛して、いたのに――。
アントン――。
「うあっ……」
「へ? れ、レイラさん……?」
「うあああ……うあ……うああああああああ!!!!」
そして、レイラは。
屍の丘の上で、子供のように泣きじゃぐった。
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