第25話 嘘
「ちょっと早すぎたな……」
まだ朝も早い帝都に到着して、レイラはそう呟きつつ舌を出す。
なんだか落ち着かずについ愛馬ホークを走らせてしまって、帝都に到着したのはまだ日も昇って僅かな時刻だった。確かテレジアが言うには、勲章の授与式は正午に行われるらしいので、かなりの時間を潰さねばならない。
失敗したなぁ、と舌を出しつつ、帝都の入り口――そこで、入都を管理している衛兵のもとへ。
「おはようさん」
「おはようございます。身分証の提示をお願いします」
「ん」
衛兵にそう言われて、ひとまずレイラは身分証、それに皇帝からの印が押された呼出状を提出する。一応、妙な者が入らないように、と帝都に入るにあたって、制限を設けているのだ。
もっとも、旅人でも身分証さえ提示すれば入ることはできるために、かなり緩い制限ではあるけれど。身分証が本物かどうかも確認しないし。
そして、衛兵はレイラの身分証を受け取ってから、それを確認して目を見開いた。
「れっ……! レ、レイラ・カーリー将軍!?」
「今日の正午から勲章の授与式があってね」
「こ、これは失礼いたしました! どうぞ! お通りください!」
「ああ。馬を頼むよ」
驚きで泡を吹きそうな衛兵に、そのまま愛馬ホークの手綱を渡す。
基本的に帝都は、帝都に所属している馬や馬車でなければ入れることができず、このように入り口で預けるのだ。代わりに預かり板を出してくれるので、それを帰りに提出すればいい、という形になっている。
そして、レイラは帝都になど滅多に来ないために、あまり顔が知られていないのだ。ゆえに、このように身分証を提出して驚かれるのは毎回のことである。もう慣れた。
馬を預けて、徒歩で帝都の中へと入る。
帝都は周囲を壁に囲まれた、城塞都市だ。ガングレイヴ帝国は、かつてこの帝都一つだけの小国であり、周囲の小国と諍いを繰り返してきた、という歴史がある。そのために帝都一つでも戦えるように、と城塞が築かれているのだ。
現在は広大な版図を持つガングレイヴ帝国だが、そういった歴史を忘れないように、と戦火に晒されない現状でも壁の傷や戦争の傷痕を、城塞に残している。
そして、そんな帝都の中央にあるのが皇帝の住まう宮殿だ。
尖塔の多く建てられた宮殿は、前半部を宮廷、後半部を後宮、といった形で分かれている。そう考えると後宮はかなり広いのだが、現在の皇帝の側室はほんの二名しかいないため、敷地の無駄にも程がある。かつて側室を百人以上も抱えた皇帝がいたゆえの、歴史の名残というものだろう。
「さぁて、どうしようかねぇ……」
朝早いために、人通りの少ない通りを歩きながら、レイラはそうぼやく。
きゅるる、と腹が軽く音を立てるのが分かった。昨晩から何も食べていないために、若干ながら空腹は感じている。
食事でもするか――そう、周囲の店を見繕いながら。
「あ」
そうだ、と手を叩く。
レイラは帝都のスラム街で生まれたが、かといって帝都に詳しい、というわけではない。むしろ、十二のときに軍に入って以来、ずっと最前線で戦い続けているために、知らないと言った方が正しいのだ。そのために、どこの食事が美味しい、という話はさっぱり分からない。
だが、アントンは帝都の生まれであり、現在も帝都で勤務している。つまり、帝都については少なからず詳しいのではなかろうか。
行きつけの店があるとか。
「よし、アントンと朝飯食おう」
特に約束をしていたわけではないけれど、レイラはアントンの婚約者である。
そう、婚約者――考えて、それだけで頬が熱くなった。勿論、照れと嬉しさのせいである。
そんな婚約者が、わざわざ帝都まで来たのだ。食事を一緒にしても罰は当たらない。
だが、問題は。
「……よく考えりゃ、アントンどこいるんだ?」
宮廷に勤めている、という話は知っている。
新米の事務官であるし、恐らく朝早くに宮廷に参内しているのではなかろうか。つまり、レイラが向かうべきは宮廷ということだ。
あとは適当に、誰かに聞いて探せばいいだろう。
宮殿まで割と長い道を、歩く。
走ったら早いのだけれど、レイラが走ると色々と迷惑をかけるので、歩きだ。周りを吹き飛ばしてもいけないし、地面を陥没させてもいけないために、ゆっくりと歩くのである。どうせ朝も早いし。
程なくして、宮殿の入り口まで辿り着いた。
「えーと……」
「何か御用でしょうか?」
帝都の入り口よりも、厳重に警備されている宮殿の入り口――そこに立っているのは、四人の衛兵である。
そのうち、最も近くにいた衛兵がそう話しかけてきた。
「あー……ちょいと、人を探してるんだけどね」
「まずは、身分証の提示をお願いします」
「はいはい」
面倒に思いつつ、しかし通過儀礼のため仕方ない、とレイラは身分証を取り出し、提出する。
そして、そこに書かれている『レイラ・カーリー』に衛兵が驚くのも、また同じく通過儀礼だ。今まで驚かれなかったことが一度もないのだから。
「こ、これは、失礼いたしました。レイラ・カーリー将軍でしたか」
「ああ。今、宮廷の中にアントン・レイルノートはいるかい?」
「アントン・レイルノート事務官でしたら、既に参内されております。執務室までご案内いたしましょうか?」
「んじゃ、頼むよ」
「承知いたしました」
礼儀正しい衛兵の言葉に頷いて、衛兵が先導する後について歩く。
以前に迷子になったのは、このときに「ご案内しましょうか」「いらないよ」と格好をつけて笑ったせいである。強がるんじゃなかった。
衛兵と共に階段を登り、割と宮廷の奥まで一緒にやって来て。
「こちらが、アントン・レイルノート事務官の執務室になります」
「ああ。ありがとう」
「では、私はこれにて」
敬礼をして去ってゆく衛兵に、返礼を返す。
そして、そんな衛兵が離れて、ちゃんと姿が見えなくなったことを確認してから、レイラは大きく深呼吸をした。
何と言って入るべきだろうか。
ここは、こう、あれだ。可愛らしく、「来ちゃった」とか言って照れながら舌を出す、テレジア曰くてへぺろとかするべきなのだろうか。
それともこう、やはり婚約者らしく、「会いたかった」と抱きつくべきなのだろうか。それは多分無理だ。ちょっと想像しただけで倒れそうになってしまった。
まぁ、無難が一番だ。
無難にやろう。
そう、扉を叩こうとして。
「本当によくやってくれたな、アントン・レイルノートよ」
「……ありがとうございます」
扉の向こうから、アントンではない声で、何やら褒め言葉が与えられていた。
来客中なのだろうか、と首を傾げる。それならば、来客が帰るまで待った方がいいだろう。アントンは仕事中であるのだし。
そう、ひとまず待つ決意をしながらも、どうやら扉は薄いらしく、中で話している声が聞こえてきた。ちなみに、レイラの身体能力は五体のみならず、五感にも優れるのだ。恐らくレイラでなければ、漏れる音から何を話しているのかなど分からないだろう。
なんとなく、アントンじゃない方の声は、聞いたことがある。
「我が国における、最大の懸念だったのだ。これまで、どのような手を使っても何一つ効果がなかったというのに、まさかお主がそのようにやってくれるとはな。褒賞は期待しておけ」
「……僕は、そのような」
「何を言う、誇るがいい。お主は我が国を救ったようなものだ」
「……ありがとうございます、陛下」
あ。
そこでようやく思い出す。そういえばこの声は、ラインハルト・ドルーガー=レイチェル・ガングレイヴ――つまるところ、この国の皇帝の声だ。何度か謁見を行ったときに聞いたものと同じである。
だが、おかしい。
何故、帝国における最高位――ラインハルト皇帝が、アントンとこのように執務室で話をしているのだろう。
「素晴らしい働きだ。この功には、必ず報いよう。カーリー将軍は、我が国にとって必ずや必要な人物なのだ」
「……」
むむむ。
そう、レイラは眉を寄せる。何やら自分の名前が聞こえてきた。
何故レイラについて、そのように皇帝とアントンが話をしているのだろう。もしかすると、皇帝の主催で宮廷で結婚式でもしてくれるのだろうか。
はっ、とそこで天啓のように閃く。
もしかすると、アントンはレイラに内緒で、結婚式を進めてくれているのではなかろうか。
そして、レイラが気付かないように準備をして、整ってから内緒で連れてきて、実は結婚式でしたー、という形で驚かせようとしているのかもしれない。
嬉しくてつい頬が緩みそうになる。
だが。
「レイラ・カーリー将軍は、下賤なスラムの生まれだ。だが、あの強さは決して手放せぬ。ロウファルを通じて、命じて正解であったな。それほど上手く、婚約まで運ぶことができるとは思わなんだ」
「……はい、陛下」
「レイラ・カーリー将軍が貴族の一員になれば、我が国を離れることはあるまい。他国からの調略も心配せずと良くなる。アントンよ、お主の働きは、歴史書にも記されるべき偉業だ。あの男に興味のないレイラ・カーリーから、婚約をもぎ取ったのだからな。素晴らしいぞ」
「……ありがとうございます」
すっ、と。
心が、ゆっくりと冷えてゆくのが分かった。
意味が分からなくて、震えてしまう。
皇帝が言っていることと、アントンの答えに、何も言えなくなる。
命じた――何を?
婚約を――何故?
貴族の一員になれば、調略を心配せずと良くなる――。
つまり。
アントンは、皇帝に命じられて、レイラに愛を告げたのか――?
「本日、正午より勲章の授与式が行われる。お主も出席をせよ。そうだな……その際に、お主とレイラ・カーリー将軍の婚約を、正式に発表しよう。あのような粗雑な女を妻に娶るのは苦痛であろうが、これも国のためだ」
アントンは、レイラを愛していると、そう言った。
でも、実際のところは、皇帝に命じられたからただ従っていただけ。
つまり――その愛は、偽物だった。
ふらり、とレイラはアントンの執務室から、離れる。
「……あはは」
宮廷の廊下を、一人歩きながら。
絶望すら感じつつ、しかし口からは笑いが漏れた。
なんて滑稽なのだろう。
なんて道化なのだろう。
愛していると、そう言われただけで浮ついて。
それが嘘だなんて、欠片も疑わずに。
ただ、アントンは、レイラという戦力を国に維持するためだけに。
そのためだけに、愛を囁いただけに過ぎないのに――。
「あははっ……あははっ……!」
笑いながら。
必死に笑いながら。
でも、涙が止まらなかった。
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