第23話 横槍
「ふぅ……」
中身のほとんどが空になった幌馬車を引いて、ようやくアントン・レイルノートは帝都へと戻ってきた。
アントンが担当している銀狼騎士団の駐留している砦までは、馬車で三日ほどの距離だ。大抵、一度の物資搬入を終えるたびに一週間ほど経つ計算になる。護衛として同行していた禁軍――帝都駐留軍の兵士二人に別れを告げて、馬車を厩の担当官に渡してからようやく宮廷へと入ることができた。
これからやるべき仕事を、頭の中だけで捲って軽く嘆息。
しかし同時に、僅かに頬が緩んでしまうのを抑えることができない。
「ふふ……」
愛している、とレイラに告白をしたのは、もう二十日も前のことだ。
レイラはアントンの想いを受け入れてくれて、ひとまず婚約者となる、という形で落ち着いた。その事実に、自覚せずとも心が弾む。これからやるべき仕事の量は多いけれど、それを苦に思わない程度には。
もっとも、レイラはレイラで随分戸惑っていたみたいで、先の物資搬入後、一緒に食事を行った際には何度も、夢じゃないよな、嘘じゃないよな、とアントンに確認していた。そんなレイラの戸惑う姿も微笑ましく、また愛しく思って、何度も愛を告げた。
これまで、仕事一辺倒で女性に縁のなかったアントンにとって、レイラは魅力的な女性だ。
レイラは、生まれも育ちもあまり裕福ではなかったらしい。本人曰く、スラムの生まれだと言っていたが、恐らくそのために、一般的な常識を学ぶことなく今まで生きてきたのだろう。加えて、伝説にも謳われるほどの驚異的な強さを誇るレイラは、史上最年少での八大将軍入りを果たしている。そういった環境も、彼女の常識を学ぶ機会を奪っていったのだろう。
だが、そんな常識から外れたレイラの行動は、見ていて面白い。
大陸最強と名高いというのに、どことなく危ういような、そんな感覚だ。側にいて、自分がこの女性(ひと)を支えたい、と心底から渇望した。
ゆえに――愛を告白した。
受け入れてくれたことに心からほっとして、そして、嬉しさで舞い上がりそうな気持ちのままで、廊下を歩いていると。
「戻ったか、アントンよ」
「……父上」
そんな弾む気持ちが、一瞬にして落胆に変わった。
折角良い気分だったというのに、一気に気持ちが沈んでゆく。それだけ、今この機に会いたくない人間が、そこにいた。
実の父――ガングレイヴ帝国宮中侯、ロウファル・レイルノート。
落ち窪んだ目をした小男だが、その眼光は鋭く、そして威圧的な雰囲気を纏っている。それも当然――この男は、宮廷の中において不正を糾す立場にあるのだ。あらゆる不正を見逃すことなく、そして不正を発見した際には強制的に執行をすることのできる権限を、皇帝より与えられている男なのである。
そして、アントンもまたその職をこれから継ぐために、勉強をしているのだけれど。
「何か、御用でしょうか」
「用がなければ、お前を待たぬ」
「……宮中侯の執務については、ひとまず僕も事務官として抱えている仕事がありますので、そちらを終わらせてからで」
「違う」
二週間に三日ほどは、この父より直々に、宮中侯としての仕事を教わるのがいつものことだ。
そのためにも、素早く仕事を終わらせなければならない。
だがロウファルは、そんなアントンの言葉に対して、首を振る。
「銀狼騎士団の担当官になったらしいな」
「……ええ。前任のゴンザさんより、指名を受けまして」
「儂が手を回した。当然であろう。お前には宮中侯を継いでもらわねばならんのだからな。今のうちに功績を積んでおけ」
「……ありがとうございます」
恐らく、そうだろうと思っていた。
でなければ、誰にとっても垂涎の的である銀狼騎士団の担当官になど、アントンが抜擢されるはずがない。出来る限り早くにアントンに宮中侯を継がせたいロウファルが、手を回したのだろうとは思っていた。
アントンはまだ二十歳を過ぎて僅かだが、ロウファルは既に七十が近くなっている。ロウファルはなかなか妻を娶ることができず、年老いてから生まれた唯一の男児がアントンだったのだ。
ゆえに、アントンに仕事をきっちり教えてから、そしてアントンが対外的にも宮中侯を継ぐにあたり、問題ないほどの功績を積んでいれば、隠居をするつもりなのだろう。
「だが、誤算だった」
「……はい?」
「まさか、お前とレイラ将軍が、婚約をするとはな」
「――っ!?」
くくっ、と笑うロウファルの言葉に、アントンは目を見開く。
アントンは、誰にも言っていない。友人は少なからずいるけれど、誰にも話していないのだ。それを、何故この父が知っているというのか。
「銀狼騎士団の中にも、手の者がおる。全ての騎士団が清廉とは限らぬからな。不正の証拠などを発見したら通達するように、と潜入させていたのだが……思わぬ報告を持ってきてくれた」
「何故……」
「レイラ将軍が嬉しそうに話していたそうだ。アントンよ、お前と婚約をした、とな」
「……そう、ですか」
別段、秘密にしておくべきことでもない。
だが、アントンとレイラの関係については、この戦争が一段落するまでは言うつもりがなかったのだ。少なくとも戦争が続く限り、ガングレイヴ帝国において最大戦力と言えるレイラは、最前線から動けない。ゆえに、戦争が落ち着き、レイラが最前線から離れても問題がない体制になってから、改めて報告をするつもりだった。
だが、そんなアントンの言葉に、ロウファルが嬉しそうに笑う。
「陛下は非常にお喜びになられている」
「え……?」
「かねてより、レイラ将軍については懸念されていたのだ。レイラ将軍はガングレイヴ帝国の生まれだが、貴族ではない。血という縛りがない以上は、いつ他国からの調略に靡くか分からぬ、とな」
「そんな、レイラ将軍は……!」
「我が国よりも良い条件を出す国があれば、その国に味方するやもしれぬ。そして、レイラ将軍が反旗を翻せば、それは脅威となろう。ゆえに、陛下は何度となくレイラ将軍に縁談を紹介していたのだ。どれも、断られたがな」
「……」
「そんな最中に、お前と婚約をした、という報告だ。陛下は大層お喜びになられた。これで、あやつを繋ぐ首輪ができた、とな」
「ぐっ……!」
首輪。
まるで、野良犬のような扱いをしているロウファルに、そう憤りが湧いてくる。
そして何より、レイラのことを一つも信用していない、血ばかりを気にする皇帝にすら、怒りが湧いてくる。レイラが今日も戦場で命を危険に晒しているというのに、そこに忠誠心を全く感じていないのだ。
そして、何より――そんなレイラへの不信感に対して、自分を利用されていること。
「早急に婚姻を結べ。その後は、レイラ将軍にレイルノートの姓を名乗らせよ」
「……父上、僕は」
「拒否は許さぬ。どうせ婚約をしている身であるのだろう。ならば、早々に結婚をしておいて損はない」
「……」
だが。
これは、皇帝――ガングレイヴ帝国という巨大国家の頂点に立つ、最高位からの命令。
宮廷勤めのアントンに、断るという選択肢は存在しない。
「後日、陛下よりもお褒めの言葉があろう。楽しみにしておけ。以上だ」
「……」
一方的に言いたいことだけ言って、去ってゆくロウファルの背中を、ただ見送ることしかできない。
レイラの事情は、知っていたつもりだ。ガングレイヴ帝国において、どれだけ重要な人物かは知っていたつもりだ。
だけれど――。
「レイラさん……」
遠き戦場にいるレイラを想い、そう呟く。
国の事情とか、家の事情とか、そんなもの関係がない。
レイラがレイラだから、アントンは惹かれ、そして愛を告白したのだというのに。
だと、いうのに。
「僕は……どうすれば、いいんですか……」
ゆっくりと育んでいくはずだった、レイラとアントンの関係。
それを、まるで横から無遠慮に引き抜かれたような、そんな感覚。
だから。
アントンは暫くそこから動けずに、天を仰いだ。
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