第22話 祝い酒

「それでは、レイラさん。また」


「あ……あ、う、うん……」


「次は、二週間後にまた来ます。そのときにも、また食事をご一緒しましょう」


「う、うん……」


 アントンの言葉に、そう夢うつつになりながらレイラは答える。

 これは夢ではないだろうか。真剣にそう思ってしまうほどだ。これがもしも夢ならば、自分の枕を破壊する自信がある。

 だが、紛れもない現実――。


「あ、あ、アントン……」


「はい?」


「その……あ、あたしは、ど、どういう、扱い、なんだ……?」


「扱い、ですか?」


 不思議そうに、そうアントンが首を傾げる。

 意図が伝わっていないのだろうか。もっとこう、察してくれればいいのに。

 きっと、今のレイラは顔が真っ赤だろう。頬に走る熱は、主観では肉が焼けるのではないか、と思えるほどだ。多分焼けないけど。

 そんなレイラに、アントンはにこりと微笑んで。


「婚約者、という形ですかね」


「こ、こここ、婚約者っ……!」


「だって、承諾してくれたでしょう?」


「あう……」


 その通りである。間違いなくレイラは承諾した。

 というより、突然の愛の告白に混乱してしまって、その後に何を言われたかよく覚えていない、というのが現実である。いつか両親にも挨拶を、などと言っていた気がするけれど、詳しいことは全く記憶にないのだ。

 難しいことを一度に処理できない頭は、その時点で過熱を起こして思考を停止してしまった。


「大丈夫ですよ、レイラさん。僕もすごくどきどきしていますから」


「あ、あたしだって……」


「ひとまず、両親に報告します。その上で、レイラさんのご両親……は、おられませんでしたね。申し訳ありません」


「い、いや、いいけど……」


 レイラに両親はいない。幼い頃から、スラム街で孤独に生きてきたからだ。

 だが、かといってそんな境遇を恨んだことはない。むしろ、今まで自由に生きてこれた、とさえ思っている。だからこそ、別段自分の両親に興味があるわけではない。ちなみにレイラの姓であるカーリーは、他国に伝わる戦女神の名前から取っているだけで、カーリー家というものが存在するわけではないのだ。


「まぁ、ひとまずは落ち着いてからですかね。僕の方も準備を進めておきますので」


「う、うん……」


「それでは、また二週間後に。今度は、泊まりで来れるように調整しておきます」


「わ、分かった! またな!」


「ええ」


 アントンが幌馬車を引いて、去ってゆくのを見送る。

 そんな馬車を見ながらも、やっぱり現実感がない。本当にこれが夢なのか現実なのか分からないほどに。

 ふらふらと、覚束ない足取りでレイラは馬に乗り、そのまま砦へ戻る。既に夜も更けているが、夜闇の中でさえも大抵のものは見えるレイラの視力からすれば、大した問題ではないのだ。


 ぽけー、と馬を走らせ、そのまま砦まで到着する。

 見張りの兵に一言告げて砦の中へ入り、そのまま自分の執務室へ。


「あー……」


 ソファに腰掛け、小さく溜息を吐く。

 結局、『綿人形亭』のハンバーグステーキは、あまりにも混乱しすぎて味がよく分からなかった。多分美味しいのだろうけれど、それを理解するのに頭が追いついていなかったのだ。

 加えて、後半の部分もほとんど覚えていない。

 ただ。

 愛の告白だけは、一言一句、違わず覚えていられる自信がある。


――レイラさん。僕はあなたが好きです。心から愛しています。


「あーっ!」


 ばんばん、と机を叩く。それだけで木製の机は一部めり込んだ。

 落ち着けるはずがない。一目惚れをしてしまった相手から、愛の告白を受けて動揺しない者などいないだろう。

 アントンも、それなりに好意を抱いてくれているのかな、とは思っていた。だけれどまさか、こんな風に転がるだなんて。

 ばくんばくんと、胸の高鳴りは止まりそうにない。うるさいくらいに響きながらも、しかし心地良い。


 と――そこで、こんこん、と執務室の扉が叩かれた。


「失礼するっす、レイラさん」


「……ああ」


「とりあえず、急ぎの書類っす。ちょっと明日の朝までに欲しいんで、目通しお願いするっす……って、レイラさん、どうしたんすか?」


「……ああ」


 テレジアが当然のように入ってきて、書類を提出しながら――不思議そうに、レイラを見た。

 それも当然だろう。項垂れ、腕を思い切り机の上に叩きつけており、その一部をめり込ませているのだから、何があったのか察しろ、という方が難しい

 そんなテレジアが、首を傾げて。


「えーと……アントンさんと何かあったっすか?」


「……」


「まぁ、いいっす。とりあえず書類を……」


「テレジア! 聞いてくれ!」


「近いっす! 聞くっすから座っててくださいっ!」


 思わずテレジアの襟首を掴んでしまった。いつもながら掴みやすいのが悪いのだ、と敢えて自己弁護しておくことにする。

 だが、ひとまずレイラのために尽力してくれたテレジアには、ちゃんと報告をしておかねばなるまい。


「で、何があったんすか?」


「あ、あ、ああ、あのな……あ、あたし、な……」


「ついに告白したんすか。えーと……まぁ大丈夫っす。愚痴なら聞くっす」


「なんで愚痴言わなきゃいけないんだよ!?」


「え、ふられたんじゃないんすか?」


「何でだよ!?」


 何故ふられている前提で話を進めるつもりだったのだ。

 大丈夫っす、と太鼓判を押してくれたのはテレジアだったはずなのに。


「ま、まぁ、あれだ……よし、飲もう」


「いや、あのー……?」


「ええと、あー、これでいいや」


「書類……」


 レイラは執務室の棚から、適当な酒瓶を取り出す。

 確か、いつだったか前任の担当官、ゴンザから貰ったそれなりに高い酒だ。確か今度出世することになりました、本当に今までありがとうございました、とか言いながら置いていったはずだ。

 まぁ、いつまでも死蔵させておくのも悪いし、飲むのが一番だろう。


「テレジア、お前も座れ! 飲め!」


「……レイラさんが飲むのなら、アタシは全力で逃げたいっす」


「ぷはぁーっ!」


「その濃いの一気っすか!?」


 グラスに移した酒を、一気に呷ってレイラは大きく息を吐く。

 五臓六腑に染み渡る、とはまさにこのことだろう。喉を焼くような熱さに、一気に呷ったがゆえの酩酊が心地良い。

 ふらっ、と首を回して、グラスに二杯目を入れて。


「テレジア! 飲め! 祝いの酒だ!」


「とりあえず、何があったか教えて欲しいんすけど。あと書類……」


「あたしな! アントンの婚約者になったんだ!」


「え……」


 夢じゃないんだ。

 そう、喉の焼けるような痛みに、認識する。これは夢ではなく、現実。アントンが愛を告白してくれたのも、レイラが婚約者になったのも、間違いない現実――。

 ぷはーっ、と酒臭い息を吐きながら、二杯目を飲み干す。

 そんなレイラを、細めた目で見ながら。


「……アントンさん、正気っすか」


「何が言いたいんだよ!」


「いえ、何でもないっす。まぁ、良かったっすね。おめでとうございます」


「これもテレジアのおかげだ!」


 きっとレイラ一人では、何もできなかっただろう。近付くことすらできなかったかもしれない。

 これも全て、テレジアはレイラに発破をかけ、尽力してくれたからだ。

 そして、そんな部下は労うのが将軍の務めである。


「さぁ、飲め! あたしが注いでやる!」


「はぁ……それより書類……」


「ぷはーっ!」


「あー……これやばいやつっす……」


 くらくらと、霞みがかってくる頭を、どうにか働かせる。

 思い出すだけでニヤニヤと口元が緩んでしまう。アントンとのこれからを妄想してしまって、それだけで嬉しくなってくる。

 そんなレイラを、テレジアは呆れた顔で見ながら。


「書類……まぁ、いいっす。もういいっす」


「ほら! テレジアも飲め!」


「んじゃ、いただくっす。でも一杯付き合ったら逃げるっす」


 テレジアが飲み始めるのを見て、レイラも満足して四杯目をグラスに入れる。

 宴はそのまま深夜に渡るまで延々と続けられ、ゴンザからもらった高級酒は既に空になり、更に別の瓶がもう一つ転がるまで、ひたすらに飲み続けて。

 レイラは、延々と呂律の回らない舌で、語り続けた。


「いやぁ、だからよぉ。あたしになぁ、あいしてるってよぉ、いってくれてよぉ。きいてんのかよぉ、てれじあぁ」


 レイラは気付かなかった。

 テレジアは最初の一杯だけ飲んでさっさと退室し、レイラは誰もいないソファに向けて延々話していたのだと。

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