第18話 鍋、終了

 アントンとの鍋を終えて、砦に戻る。

 鍋の出来は非常に良かった。熊の肉を使うという予定外の行動ではあったが、いつだったかテレジアの言っていたことは正解だった。鍋は寛容である。少々味付けに失敗しても問題なく美味しいものが作れた。

 もっとも、本当にアントンが納得してくれたのかどうかは謎だけれど。結局、人の気持ちなど分からないのだから。


「あの、レイラさん……」


「んっ! ど、どうした?」


「少し、持ちましょうか……?」


「あ、ああ、い、いや、いいよ! 大丈夫! 大丈夫! 軽いもんだよ!」


「そう、ですか……?」


 レイラの抱えている荷物を、少しでも持とうか、とそう声をかけてくれるアントン。

 そんな優しさに対しても、なんだこの野郎いいやつだなおい、などと心の中だけで照れ叫びながら断る。それほど重くはないし、それに分けて運ぶ、となれば解体しなければならないし。

 勿論、そんなレイラが肩に乗せて運ぶのは、熊である。

 一部を鍋には使用したが、まだ食べられる部位は残っている。少し熟成させて、それから騎士団の皆で焼肉パーティができる程度の大きさだ。きっと皆喜んでくれるだろう。

 そんなレイラに対して、アントンが小さく嘆息をする。


「あの、レイラさん」


「ん?」


「前のときには支払いをお願いしてしまいましたし、今回はお鍋をご馳走になりましたので……今度は、僕にご馳走させてください」


「い、いやっ、まぁ、その……うん……」


「このあたりはあまり詳しくないですけど、ちょっと同僚に聞いておきますね」


「あ、ああ……」


 次の約束が、既に決まっていることにどぎまぎしてしまう。

 嬉しいけれど、どことなくむず痒いような、奇妙な感覚だ。かつて、こんな感覚を味わったことはない。

 そうか、これが惚れているという証か――そう、僅かに溜息を吐く。これほどまでに、恋とは人を弱くさせるということか。

 そんなレイラの、僅かな溜息をアントンは聞き逃さず。


「……ええと、お嫌でしたか?」


「へ!?」


「いえ……もし、食事をご一緒するのが嫌でしたら、別に僕は……」


「い、いや! 違う! あたしはアントンとご飯行くの楽しいし!」


「そう、ですか? いえ、それなら良いのですけど」


 ほっ、と胸を撫で下ろすアントン。

 これも、レイラが下手な溜息など吐いたからだ。ただ、むず痒くて慣れない感覚に戸惑っていただけなのに。


「しかし……レイラさん……本当に、凄いんですね」


「へ?」


「いえ……そんな大きな熊を持っていますし」


「ああ、軽いもんだよこんなもん!」


「それに……」


 アントンが、明らかに困惑しているのが分かる。

 何をそれほど困惑することがあるのだろうか。何か格好がおかしかっただろうか、と服を見やるけれど、いつもの軍服である。

 明らかにおかしいのは肩の上で運んでいる熊なのだが、それは仕方ない。レイラが運ぶ以外に選択肢がないし。


「……馬、乗らないんですか?」


「い、いや、だってな……こいつと一緒に乗ったら、ホークが潰れちまうし……」


「……」


 レイラは愛馬――ホークに乗らず、徒歩なのである。

 それも、右手でホークの手綱を握りながら、左手は肩の上に乗せた熊を支えながら。加えて、鍋に使った荷物なども全て背中で抱えている。

 普通の人間ならば、動くことができないだろう重量だ。


「まぁ……はい。そうですね。レイラさんは、凄い人ですからね」


「そうか! うん! ありがとう!」


「いえ、これは半分諦めといいますか……」


 何故か諦められていた。どういうことなのだろう。

 訳が分からずに首を傾げるレイラに対して、アントンは小さく咳払いをして。


「ええと、レイラさんは、何か食べたいものなどありますか?」


「あ、えーと……いや、何でも……」


 はっ、とそこで気付く。

 これはいつだったか、テレジアの言っていた愚痴だ。確か旦那と一緒に出かけて、何か食べたいものがあるか、と聞いたときに言われた。

 何でもいい、と。

 それが一番困るんすよー、ちゃんと決めてくれないとー、と言っていたのだ。

 これは、ちゃんと何が食べたいかを明確にしておかねばならない。


「ええと……そ、そうだな……肉、かな」


 そこまで言って、思う。

 肉が食べたいだなんて、どれほど肉欲の強い女なのだ、と思われているかもしれない。

 確かテレジアが持っていた本の題名に、『溺れる肉欲』とかいうものがあった気がする。詳しい内容は見ていないが、きっと肉を求めて溺れる話なのだろう。

 くっ、と唇を噛むが、それ以上言葉が出てこない。


「分かりました。それじゃ、肉料理のお店で探しておきますね」


「あ……うん……」


「美味しいところ、ちゃんと聞いておきますんで」


「う、うん」


 どうやら不快には思われなかったらしい。

 良かった、と胸を撫で下ろす。


 そして、一体何をご馳走してくれるのだろう、と楽しみにしつつ。

 ようやく、砦に到着した。


「さて……それでは僕は、このまま戻ります」


「あ、ああ……えっと、つ、次は……」


「次は、また二週間後ですね。よろしくお願いします」


「あ、ああ……!」


「それでは」


 アントンが一礼して、そのままレイラの前を去ってゆく。

 その後ろ姿に見惚れながら、ぽけーっ、と放心することしかできない。

 一緒に食事は、次で三度目だ。だが、今回はその意味合いが大きく違う。

 アントンから誘われたのだ。アントンがエスコートをしてくれるのだ。

 ああああっ、と混乱しそうな思考のままに、砦の中へと入って。


「あら、お帰りなさいっすー……って、レイラさん。何すか、それ」


「あ? あー……熊」


「はいっ!? 何がどうして熊がここにいるんすか!?」


「いや、まぁ……」


 皆で焼肉でも、と思って持ち帰ったものではある。だが、レイラの心は既に焼肉よりも、二週間後のアントンとの食事に奪われていた。

 だからこそ、そのようにテレジアへと熊を渡して。


「皆で、食べてくれ」


「いや、それは嬉しいっすけど……まさか、レイラさん。アントンさんと一緒に、熊を抱えて戻ってきたんすか……?」


「あ、ああ……」


「……あー、もう。どうしてそうなったんすか」


 テレジアが頭を抱えている。

 だが、そんな風にテレジアが焦りながら、やや怒っているような口調でレイラを糾弾しても、レイラの耳には何も入ってこない。

 ただ、うっきうっきと二週間後に心弾み続けるだけだ。


「もしかして……肉、忘れたんすか」


「うん」


「だから現地調達で、熊を捕まえた、と」


「うん」


「それで、アントンさんの目の前で解体した、と」


「うん」


 見事なテレジアの読みに、頷くことしかできない。何故そこまでレイラの行動を把握しているのだろうか。

 はぁぁぁぁ、と一際大きくテレジアが溜息を吐いて。


「レイラさん」


「うん」


「反省会っす」


 そして熊を置き、テレジアに手を引かれて執務室へ入り。


 超怒られた。

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