第17話 気遣い
ぐつぐつ、と野菜と肉が目の前で煮込まれる。
野菜は様々な種類の葉野菜に、食用の茸だ。茸から出た良い出汁と、ワインと塩でブイヤベース状に仕立てた汁が良い匂いを立てる。
ごくり、と思わずレイラは喉を鳴らしながら、先程まで生きていた熊の肉が煮込まれているそれをかき混ぜる。
「いや、美味そうだなアントン!」
「うぷっ……そ、そう、ですね……」
「ど、どうかしたか……?」
「い、いえ……つ、続けて、ください……」
「そうか?」
変な奴だな、とレイラは首を傾げる。
しかし、誤算だったとはいえ良い獲物が取れたものだ。鍋で使う分は少量だし、熊は全身が食べられるしよく脂が乗っているのだ。加えて、捕まえてすぐに首を落とし、そのまま内臓も処理して血抜きもしたため、肉も綺麗なままで残っている。
これで、今夜は焼肉パーティをしてもいいくらいだ。騎士団全員が、肉を満腹になるまで食べることができるだろう。
「さて……そろそろいいかな?」
「どう、なのでしょうか……」
「よし、じゃ、食うか!」
持ってきていた、レイラの分とアントンの分、二つの器。その、アントンの方の器へと汁ごと入れる。少し、肉を多めにだ。
ちゃんと栄養を考えて、しっかり煮込んだ野菜も一緒に。
「さ、食ってくれ!」
「は、はい……」
「あたしも食うぞ!」
自分の器にも、肉を多めに入れる。本来、肉は仕留めてすぐに食べるよりも、ある程度熟成させた方が美味い。だが、そんな風に熟成をさせる時間もないし、何より肉そのものがないため、これで代用するしかないのだ。
そして、ちゃんと下処理はきっちり行ったから、臭みもないはずだ。包丁を持ってきていなかったために、解体を全部素手で行わなければいけなかったのが問題ではあるけれど、レイラの見えない速度の手刀は並の剣よりもよく切れる。
肉を一口、まず口に運んで。
とろける脂と共に、旨味が口いっぱいに広がった。
「うん! 美味い!」
「え、ええ……お、美味しい、です……」
「そうか! 美味しいか!」
「ええ……複雑、ですが……」
「おかわりいっぱいあるからな! いくらでも食べてくれ!」
「は、はい……」
美味しい。熊の肉から脂が溶け出して、深い旨味を与えてくれる。
加えて野菜の旨味も溶け出したスープは、まさに絶品と言っていいだろう。二週間、一生懸命に料理の練習をした甲斐があったらしい。
「っと……」
そう考えながら食べているうちに、もう器が空になってしまった。
美味しいし、もう一杯……そう、次の一杯を入れようとして、気付く。
まだアントンはおかわりをしていない。そんな状態で、女であるレイラの方が先におかわりをするなど、女として激しくはしたないことをしているのではなかろうか、と。
レイラは決して早食い、というわけではない。だが戦場においては、満足に食事を行うことのできる時間が多く取れることなど珍しいのだ。大抵の場合、さっさと食べてさっさと準備、となるのである。
ゆえに、ゆっくりと味わって食べる、ということをあまりしないのだ。
「お、おかわりはどうだ! アントン!」
「あ、大丈夫です。まだありますので」
「そう、か……」
もそもそ、と匙を動かしながら一口一口、ゆっくりと食べるアントン。
そんなに味わってくれるなんて、と感動しながら、がつがつと貪る自分の食べ方は汚いのだろうか、と思わず固まってしまった。
そういえば、コース料理を食べたときにも、アントンは一口一口味わいながら食べていた。比べてレイラは、小さいものなら一口で食べきってしまって物足りないとすら思っていた。
まずい、と血の気が引いてくる。
それほど意地汚い食べ方、というわけではなかろうが、決して上品ではない。そして何より、アントンは貴族の子息だ。食べ方が汚いことを、マナーがなっていない、と思ってしまうかもしれない。
「うっ……」
しかし。
そこで、最悪の予想が思い浮かぶ。
レイラはこの鍋を美味しいと思っている。だからこそがつがつ食べてしまったし、もう器が空になってしまっているのだ。
だが、本当にこの味付けをアントンが美味しいと思ってくれているのだろうか。もしかすると、ただレイラを気遣って美味しい、と言ってくれているだけなのではなかろうか。
貴族として、いつもアントンが食べているものは、もっと良いものなのかもしれない。
アントンは貴族で、レイラはスラム出身の平民あがりなのだから――。
そして考えれば考えるほど、思考は別の方向に逸れてゆく。
こんな風に、食事の立ち振る舞い方すら全く違うアントン――そこに、一緒に並ぶのは、あまりにも失礼ではないのか、と。
「……」
アントンは、貴族の令息だ。
そしてレイラは、将軍位という一代限りの名誉貴族という立場にある。だが、その実はスラム育ちの平民あがりに過ぎない。ゆえに、貴族の常識などさっぱり分からないのである。
今まではあまり、深くは考えなかった。レイラにしてみれば、初めて恋をした相手であるアントンと、少しでも一緒の時間を共有したい、と思っただけなのだ。
だが、これがもしもこれから発展してくれるのであれば。
今度は、家の問題が出てくるのである。
「さて、では僕はもう一杯いただきます……あれ、レイラさん?」
元来貴族というのは、血の繋がりを大切にするものだ。レイラに詳しいことは分からないが、貴族は基本的に貴族と結ばれる、というのが一般的である。
そこに、平民の血を入れないことで、高貴な血を絶やしていない、などと宣うのだ。
ならば、そこにレイラの入る余地など、どこにもない。結局、血がものを言う世界ならば、そこに居場所などどこにもないのだ。
絶望感に、支配されそうになってくる。
どれほどアントンと仲良くなったところで――無駄だとは、思いたくない。
「あの、レイラさん……?」
「アントン……」
「はい?」
思わず、そう名前を呟いてしまった。そして、折悪くアントンも反応している。
特に何を言おう、と思ったわけでもなかったのに。
だけれど。
なんだか泣きそうになってしまって、唇が勝手に動いた。
「あ、あたしな……」
「はい?」
「そ、その……貴族のどうこうとか、全然分かんないんだ。何をしちゃいけないとか、何が気に障るとか、そんなの、全然、分かんないんだ……!」
「へ?」
「あたし、生まれは、スラムだ。食うものにも困る毎日で、悪いことなんて腐るほどやった。今でこそ将軍だけど……。その、貴族とかって、よく分からないってのが、本音で……!」
「え……」
「で、でもな! こうしてアントンと一緒に飯食って、すごく、すごく楽しいんだ! だ、だから……」
「えっと……」
何を言っているのだろう。
自分で何を言っているのか全く分からなくなってしまった。
だが、そんなレイラに、アントンはそっと微笑んで。
「僕もです」
「え……?」
「僕も、レイラさんについて、何も分かりません。レイラさんが、僕の行動に怒るかもしれない、と思いながら、一緒にいます。何をすれば喜んでくれるのか分かりませんし、何をすれば怒りだすのか分かりません。でも、僕もこうして一緒に食事ができて、楽しいですよ」
「そ、そう、か……」
「ええ」
かーっ、と顔に熱が走る。
冷静に考えれば、レイラは何を言って、何を言われているのだ。まるで愛の告白のようではないか。
自覚すると、もう直視できなくなってくる。
「ただ……」
「な、な、なん、だ……!」
「せめて……あの、食べるものを目の前で解体するのは、やめてほしいかな、と……」
「……」
なんとなくアントンが、レイラと一緒にいるのに忌避を感じているのかな、と思っていた最大の要因。
それは当然。
さすがに、目の前で素手で熊の解体をされれば、大抵の男はドン引きする、という事実である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます