第16話 間違いだらけの鍋
まずレイラは厨房に向かった。
事前にテレジアが用意してくれていた、材料の入った袋を手に取る。そして、壁に掛けてあるそれほど大きくない鍋を持ち、そのまま袋ごと鍋の中に入れて終了だ。そして、アントンとレイラの二人分の器にスプーンも入れる。これで準備は完了である。
あとは、現地で作るのみ。
これからアントンに食べてもらう鍋を作るのだ、と思うと思い切り緊張してしまうけれど、頑張るしかない。
「お、お待たせ! アントンっ!」
「はい。それでは出発しましょうか」
「ああっ!」
荷物を背負って、そのまま馬に飛び乗る。レイラの愛馬であり、数多の戦場を共に駆けた戦友でもある馬――ホークだ。とはいえ、基本的にレイラは戦場においては生身で単身敵陣に乗り込むため、ホークの役割は最前線までレイラを運ぶ、というだけに過ぎないのだが。
そしてアントンはというと、荷馬車を引いていた馬の一頭を外し、そのまま背中に乗った。貴族のお坊ちゃんではあるようだが、乗馬の心得はそれなりにあるらしい。
テレジアに見送られながら、二人で砦の外へ。
「それじゃ、お気をつけてー」
「ああ、テレジア。留守は任せた」
「はいっす。最近、猪とか出るとか聞いてますんで、気をつけてくださいねー」
「ああ」
暴れ猪の一匹や二匹出る程度、レイラには何の問題もない。武器は携帯していないが、獣の一匹や二匹ならば素手でどうにかする自信がある。
包丁の類も持って来ていないが、ちゃんと野菜は事前に刻んでいるものばかりであるため、大丈夫だろう。
そして、二人で目指すのは、砦から程近い森の中だ。
「こちらに、花畑があるのですか?」
「あ、ああ。森の一部にな、その……ちょっと広がってるところがあって、そこに花が咲いてる」
「そうなんですか。楽しみです」
「ああ!」
かっぽかっぽ、と急がず馬を歩ませながら、色々と話をする。
最初の頃と異なり、大分流暢に話せるようになってきた気がする。初めての夕食の時には、テリオンの街に向かう道中がほぼ無言だったのだから。
今はちゃんと、それなりに話ができるようになってきた。
これも全て、レイラが多少なりとも慣れたゆえだろう。
「んじゃ、アントンはその……宮中侯ってのを、継ぐ予定なのか」
「はい、そうなっています。そのために覚えることも多いので、仕事が終わってからはすぐに家で、父上から教えを受けなければいけません」
「ふぅん……大変なんだな」
「いえ。僕の仕事なんて、結局は事務仕事ばかりですから。最前線で戦ってくださっている皆様に比べれば、僕の仕事なんて楽なものですよ。命の危険なんてどこにもありませんし」
「いや、でも……」
その事務仕事が、レイラが一番嫌いな仕事だったりするのだけれど。
山積みの書類よりも、万の軍勢を一人で相手にする方が気楽だ。だが、きっとそれほど奇特なのはレイラだけなのだろうが。
テレジアがレイラの副官でなければ、きっと書類仕事に忙殺されていたか、もう書類そのものを投げ出していたかもしれないほど。
「あたしは、アントンのこと、すごいと思うぞ」
「大陸で名前の轟いている、英雄レイラ将軍にそう言われると、なんだかこそばゆいですね」
「い、いやー……でも、あたし、戦争終わったら何もしないし……酒飲んで寝るくらいだし……」
「ですが、それだけの功績をあげていますから。レイラさんは、レイラさんにしかできないことがあります。僕の仕事なんて、誰にでもできるものばかりですよ」
「そ、そうか……?」
まぁ、そんな風に褒められて悪い気はしない。むしろ、褒められて気を悪くする者などそうはいないだろう。
と、そのように話しているうちに森の中へ入り、そこからはやや整備された道を行きながら。
ようやく、森の開けた場所――花畑に、辿り着いた。
「ここだ」
「おぉ……確かに、不思議なくらい開けていますね。ここだけこんなに花が咲いているなんて」
「そうだろう」
ふふん、と少し調子に乗ってみる。決してレイラが発見したわけではないのだけれど。
だが、レイラも初めて見たときには、驚いたものだ。鬱蒼とした森の中にぽっかりと一つだけ開いた空間で、色とりどりの花が咲き乱れているのだ。さすがに花の種類などレイラにはよく分からないが、それでも綺麗であることは分かる。
レイラは花を踏み荒らさないように、近くの草地にホークを繋ぐ。アントンもそれに倣って、馬を繋いだ。
「よし、それじゃ、作るからな!」
「はい。楽しみにしています」
「ああ!」
荷物を下ろし、まず水を汲んで鍋の中に満たす。
最初は、それほど多くなくてもいい。自然と、野菜を煮込んでいるうちに水分が出て、量が多くなるのだ。
そして袋を開き、野菜を取り出して。
レイラは、目を見開いた。
「やば……」
「どうかされましたか?」
「い、いや、何でもない!」
思わず、そう声に出す。
どうしよう、どうしよう、とまず焦り、それからテレジアの言葉を思い出してしまう。
テレジアは、材料は切って全部まとめてある、と言っていた。野菜は全部袋の中に入れています、と。
そして。
肉は、傷んでもいけないので冷所の中に入れてある、と――そう、言ったのだ。
冷所には何一つ触れることなく、やって来たこの道中。
結果。
レイラの手元に、肉はない。
「くっ……!」
アントンは男だ。そして、男は大抵の場合肉を好むのだ。勿論レイラも好む。
鍋に肉が入っていないなど、水筒の中に水が入っていないようなものだ。肉を嫌っている者ならばまだしも、肉のない鍋などアントンが好んでくれるはずない。
つまり、レイラにできることは。
肉を、手に入れることである。
「あの……何が」
「す、少し、ここで待っていてくれるか、アントン」
「はぁ……それは構いませんが、どうかされたのですか?」
「いや、何でもないんだ。ちょっとだけ、用事がある。大丈夫だ、すぐに戻るから」
「ええ……」
肉がないならば、手に入れればいい。森でのゲリラ戦の際など、材料が手に入らないことだってあるのだ。
そういうときはどうするか。
現地調達である。
さすがに、蛇肉は慣れていない者には刺激が強いだろう。貴重な蛋白源ではあるが、今回については棄却だ。
そこで、いつもながら優秀なテレジアの言葉である。
最近、猪とか出るらしいんで。
そこに肉があるならば。
レイラは素手で、捕まえて捌いてみせよう。
「じゃ、ちょっとだけな。ちょっとだけ、待っていてくれ」
「はい。お気をつけて」
恐らく、花摘みにでも行くと誤解をされているかもしれない。
だが、それでもいい。それでも、まずは肉を調達しなければ何も始まらないのだ。
レイラは走り、森の奥へ駆ける。あまり時間はない。早々に調達し、捌かなければアントンの腹の虫が喚くだろう。
常人を超えた脚力を持って跳躍し、太い枝の上から周囲を確認する。
どこかに、どこかにいないか――。
「――」
すると、レイラの視界の端に、動く気配があった。
茶色の毛皮に覆われた、大きな獣の姿。それを確認した瞬間に、レイラは本能的に走る。
あれを捕まえれば、そのまま肉になる――!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「グォ?」
レイラの叫びと共に繰り出された、飛び蹴り。
その声に振り向いた、巨大な熊の頭に。
思い切りその足が突き刺さり、ごきんっ、とその首が折れた。
「お、お待たせ、アントン!」
「いえ、別にそれほど……あの、え? そ、それは……?」
「や、なかなか大物だったからさ! ちょっと運ぶのに苦労しちゃって! 今から捌くからな!」
嬉しそうに笑顔でそう戻ってきたレイラが、その右手に抱えるのは。
並の人間の倍はあろうか、というほどの巨躯――茶色の毛皮に包まれた、熊だった。
わなわなと震えながら、空いた口が塞がらないアントンが何も言えずに視線を泳がせている中で。
「は……?」
「ふんっ!」
鋭く斬りおろした手刀と共にその首が落ち、ぶしゅっ、と真っ赤な血が噴き出した。
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