第10話 店を探して
テリオンの街は、この近辺では最も大きな街である。
現在、ガングレイヴがその領土の大半を得て、残すところ王都のみとなったかつての大国――トール王国。かの国がまだ隆盛を誇っていたときに、交通の要所として繁栄した街だ。それゆえに、旅人に対する宿も多く、また食事処も多いのである。
そんなテリオンの街の入り口に馬と馬車を預け、レイラとアントンは並んで通りを歩いていた。
レイラにとって、テリオンの街は初めて訪れた場所である。存在は知っていたし、恐らく通ったことはあるのだろうけれど、基本的に戦場でない場所に興味はないのだ。
「ええと、レイラ将軍。どちらに行かれるのですか?」
「んっ! あ、ああっ……ま、まっすぐだ!」
「はい」
「多分……」
「へ?」
「いやっ! 何でもない!」
必死に、そうつい出てしまった本音を隠す。
困ったことに、道が分からないのである。騎士団の者から教えてもらった、ちょっと高いけど美味しいと評判の店――『ヴェルエール』は、南通りにある、とテレジアに言われた。だからこそ、南通りさえ通っていればどこかにあるだろう、と思ったのだ。
だが、残念なことに。
現在、レイラはここがどこなのか全く分かっていない。
「み、南だから、きっと、まっすぐ……」
「あの……?」
「だ、大丈夫だアントン! あたしに任せろ!」
「はぁ……」
必死にきょろきょろと周囲を探るけれど、それらしい看板は見えない。というか、今歩いている通りが何通りなのか、という看板すらない。
もしもこれが北通りなら、完全に逆方向だ。
北通りの美味しい店とやらも幾つか教わったけれど、既にコース料理を食べよう、と言ってしまったのだ。違う店に連れていくわけにもいかない。
そして何より。
道が分からなければ、誰かに聞けばいいや、と思っていたのだけれど。
「……」
「……」
現在、レイラはアントンと一緒にいるのだ。
そしてテリオンの街は行きつけだから任せておけ、という風に言ってしまったのだ。そんな状態である以上、誰かに道を聞く、などと格好の悪いことをしてはならない。
必死に看板を探しながら、裏路地とかの隠れた店とかじゃないよな、とか思いながら店の隙間などを確認しつつ、歩く。
「あの……レイラ将軍?」
「いっ、いやっ! あ、あたしは将軍だからな! ちゃんと、こうして、治安を確認しているんだ!」
「なんと、私的な時間のはずなのに、そのような……」
「と、当然だ! あたしは将軍だからな!」
「さすがはレイラ将軍です」
本当は道が分からなすぎて探し回っているだけだが、将軍という地位がその理由を勝手に作ってくれた。
そして、さらに言い出しにくくなった。実は道が分からない、と。
くそっ、くそっ、と心中だけで毒づきながら、必死に探り。
どん、と何かぶつかる音がした。
「えっ?」
「あ、すみません」
どうやら、アントンが誰かにぶつかったらしい。
慌ててそちらに目をやると、そこにいたのは痩身のアントンよりも頭一つは大きく、横幅に至っては倍もあろうか、という大男だった。ついでに、頭の毛も完全に剃り上げ、強面がやや紅潮しているのが分かる。
大男はアントンのそんな謝罪に、思い切り眉根を寄せて。
「んだぁ!? てめぇ! 誰にぶつかったか分かってんだろうなぁ!」
「申し訳ありません、不注意で」
「あぁん!? 謝れば済むとか思ってんじゃねぇぞゴラぁ!」
「い、いえ、ですから……」
「この野郎がぁっ!」
「うわっ!」
ぶんっ、と大男が拳を振り上げ、思い切りアントンに向けて放った。
慌てて防いだアントンの腕に遮られるが、しかし衝撃は強かったのか、そのままアントンは姿勢を崩して腰を落とす。
ぷつんっ、と何かの切れる音がした。
「おい」
「はッ! クソ弱ぇなこの野郎が! あん? なんだよ嬢ちゃん、こいつの連れか? こんなクソ弱ぇ奴ほっとけよ。オラ、こっち来……」
「死ね」
瞬間――レイラの目の前に、血の花が咲いた。
「んで? アントンを殴ったのはこの腕だな。つまり、こいつはいらねぇってことでいいんだな?」
「ひぃっ!?」
「とりあえず指は全部ブチ折っとくんでいいか。切らねぇだけマシだと思え、クソ野郎」
「うぎゃあああああああ!!!」
ばきんっ、ばきんっ、と指を一本ずつ折ってゆく。
一つへし折るたびに、レイラの倍はあろうかという大男が苦悶に呻くが、しかしレイラの膂力により地面に押さえつけられ、動けない。
五本の指が、正常な形を失うと共に。
「さて。てめぇのようなクソ野郎は、もう子を残す資格もねぇな。つまり子作りは必要ないってこった。竿と玉とどっちを潰されたいよ。答えねぇなら両方潰す」
「や、やめ! やめて、くださ……!」
「あたしの質問に答えろ。いらねぇ方を言え。そっちを潰してやる」
「レイラさん! もうやめてください!」
泣き喚く大男と、責めるレイラの姿に、アントンがそう止める。
レイラにしてみれば、まだ足りない。この程度では、この男の罪を贖わせることなどできない。
レイラの目の前で、アントンを殴ったのだ。
それはもう、死んでもいい、ということに違いあるまい。
「やめてください! 僕は、そんなレイラさんを見たくない!」
「……」
「あ、あの……?」
「あ、ああ……そうだな。わ、悪い。つい、血が上って……」
股間を握り、少しだけ力を入れただけで、大男が泡を吹いて失神するのが分かった。
そして、アントンにそのように止められて、止まらないほどにレイラは周りが見えていないわけではない。
ゆっくりと、立ち上がる。
ふぅ、と血が上り、落ち着きを失った心を抑えながら、アントンに向けて、微笑んだ。
「そ、その……ご、ごめんな、アントン」
「えっ……」
「あ、あたし、つい、その……アントンが殴られて、ちょっと、我慢、できなくなっちまって……」
「い、いえ……そんな……」
そんなレイラの謝罪に、アントンが首を振る。
レイラが怒ったのは、アントンが殴られたからだ。自分が殴られただけならば、きっと少々殴り返すくらいで終わっていたのだろう。だけれど、そんなレイラが本気で怒ったのは、アントンのことを想ってくれていたからだ。
それを、分からないアントンではない。
「僕のために、そんなに怒ってくれて……ありがとうございます」
「い、いや、あたしは……」
「えっと、レイラさん……さすがに暴力事件ですし、警備兵が来るんじゃ……」
「あっ!」
まずい、と周囲を見回す。
遠巻きにこちらを見ている連中が数人おり、あまりの事態に硬直している者すらいる。目撃者がいる以上、このままだと通報をされる可能性が高いだろう。
通報をされたとしても、レイラは将軍であるし、少々ごり押しはできるけれど。
「……しゃーないね」
「へ?」
「こいつを、このまま街の警備隊に引き渡す。一般人への暴力をした、ってな。こう見えてもあたしは将軍だから、こういう場での強制執行もできるんだ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ、だから……」
にこっ、とレイラは必死に、アントンに向けて笑う。
できる限り不安を与えないように、と。
つい、暴力を振るってしまった自分に、怯えないでほしい、と。
「こいつを引き渡したら、ご、ご飯、行こうな!」
「は、はい……」
ただ、レイラは気付いていない。
どれほど少女のように可憐に笑っても。
どれほど童女のように無邪気に笑っても。
その顔に返り血がついている以上、それは威嚇にしかならないのだ、と。
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