第9話 テリオンの街へ

 どきどきと、跳ねる鼓動を抑えきれずにレイラは馬に乗っていた。

 隣にいるのは、馬車。銀狼騎士団への物資搬入を行った荷馬車であり、その御者台に座っているのはアントンである。行きに比べて随分と荷物の軽くなった幌の中は、馬にしてみても運びやすいもののようで、足取りは軽快である。

 そんなアントンの御者台と、並んでかっぽかっぽと馬の足音を響かせながら、レイラは共に歩んでいた。


「……」


「……」


 しかしながら、そこに会話はない。

 何を話していいやら全く分からず、どう声をかけていいやらさっぱり分からない状態で、レイラはただ無言でアントンと並んで歩くだけだった。

 重苦しい沈黙に、頭の中だけは焦燥が走るけれどどうしようもない。

 二人きりだと絶対に何も喋れない、と思ってテレジアについて来るよう言ったのだけれど、「アタシはそんな野暮じゃないっす」と言われて断られた。


「あ、ああ、アントン!」


「は、はい!」


「そ、その……」


「はい……?」


 とりあえず名前を呼んでみたけれど、特に話題がある、というわけではない。

 何か、こう、あるだろう、と必死に自分を鼓舞するけれど、何一つ出て来てくれないのだ。

 アントンが不思議そうにレイラを見るが、しかしレイラはまっすぐ前を向いたままで、アントンと目を合わせることすらできない。


「い、い、い……」


「い……?」


「い、い、天気、だな……!」


「そうですね」


 会話終了である。

 ちなみに銀狼騎士団の詰めている砦から、テリオンの街までの道中で、この会話は三度目であったりする。どれだけ話題がないのかよく分かるものだ。

 くそっ、くそっ、と自己嫌悪するけれど、それ以外に出てきてくれないのだから仕方ない。

 そんなレイラのことを気遣ってくれてか、アントンが小さく息を吐いて。


「あの、レイラ将軍……?」


「な、なんだっ!」


「テリオンの街で食事とのことですけど……どちらに行かれるのですか?」


「むっ……! そ、そうだな……!」


 とりあえず、美味しいらしい店についてはちゃんと記録してある。

 何が美味しいか、ということも全て書いてあるのだ。アントンの好みによって、ちゃんと店を選べるようにしてある。肉が好きなら『綿人形亭』、麺が好きなら『闘牛パスタ』、コースが好きなら『ヴェルエール』、軽食でいいなら『エルフの美食家』など、ちゃんと記録してあるし暗記してあるのだ。

 あとは細かい店の位置などについては、連中から情報を得てから、テレジアに一個一個確認して場所を教えてもらった。

 完璧である。


「ま、まぁ、着いてから考えよう!」


「はい。楽しみにしていますね」


「あ、ああ! 任せろ!」


 好みとかはまだ分からないけれど、そのときの気分で決めてもいいだろうし。

 まずは何よりも、目的地であるテリオンの街に到着してからだ。


「そういえば……」


「んっ! どうした!」


「何度も謝罪をしようとは思っていたのですが……レイラ将軍。最初といい、砦でといい、子供と間違えてしまって、本当に申し訳ありませんでした」


「む、むっ……!」


 アントンのそんな真剣な謝罪の言葉に、思わず噎せ込みそうになってしまう。

 確かに、二度も子供と間違われた。それも、二度目は十歳の子供と間違われたのだから、失礼にも程がある、というものだ。

 だが、少なからずそれはレイラにも非がある。


「あ、あたしも……わ、悪かった……」


「えっ」


「その……最初に、殴っちまったし……」


「いえ、それは……大丈夫です。失礼なことを言ったのは、僕ですから」


 きらきらと、眩しいような笑顔を見せるアントンに、思わずたじろぎそうになる。

 何故それほど男前なのだ、と意味の分からない糾弾をしたいほどだ。


 はっ、とそこで気付く。

 割と会話ができている。全く会話もなく、沈黙ばかりだったというのに。

 気がつけば、まぁそれほど潤滑でもないけれど、ちゃんと会話ができているのだ。

 今なら、この機を使えば、尋ねることができるかもしれない。


「あ、ああ、アントン!」


「はい?」


「そ、その、あ、あれだ!」


「何でしょうか?」


「あ、あ、あたしと、その、食事に、行ってな! お、怒る奴は、いないだろうか!」


「怒る奴……ですか?」


 アントンが首を傾げる。

 迂遠な言い方をしたのは間違いない。それだけで分かれ、というのも無茶ではあるだろう。

 だが、レイラはこう言いたいのだ。

 レイラという若い女と二人きりで食事に行く、ということを、報告できない相手はいるか――つまり、恋人だとか、そういった存在の女はいるのか、ということ。

 ああ、と少し経てから、アントンが手を打った。


「残念ながら、女性とはあまり縁がないもので……そういう関係の女性はいません」


「そうなのかっ!?」


「父からは、よく見合いをしろ、と言われるのですけどね。まだ僕は宮廷でも新米の事務官ですし、給金もあまり良くありません。そんな状態で妻を迎えるわけにはいかないので、まず自分の地盤を固めてから、と思っています」


「おぉっ……!」


 まさに、理想的な答えだった。

 恋人だとかそういう存在がいる、と答えられたら、レイラは泣きながら帰っていたかもしれない。そうならなくて良かった、と心から安堵する。

 そして、かといって安心するにはまだ早すぎる。

 これから食事という一大事を経て、仲を深めていかねばならないのだ。現状、きっとアントンはレイラのことをそういう対象として認識していないのだから。

 テレジアの言葉を思い出す。「まずは、女として意識してもらうことからっす。そういう対象なのだ、と認識してもらうことから始まるっす」――出来の良い副官に感謝しながら、気合を入れた。


「あ、あそこだな!」


「はい、テリオンの街ですね」


 そのように話しているうちに、気付けば街が見えてきた。

 既に日はある程度傾いているが、夕食というには少し早めの時間である。歩いて店を探しながら、という形で丁度いいだろう。

 そろそろ、何を食べるか考えておかなければ。


「あ、あ、アントン!」


「はい?」


「な、な、何が食べたいっ!」


「そうですね……僕は、別に何でも」


「むっ!」


 何でもいい。

 その答えは一番困る。ちゃんと好みに応じて、何がいいかという情報収集をしてきたのに。

 ならばレイラの好みで、となるけれど、特にレイラも好みというものがないのだ。

 美味い不味いくらいの区別はつくけれど、何が好きか、と言われると曖昧である。とりあえず腹に溜まれば何でもいい。

 ならば。


「そ、そうだな……なら、コース料理にしよう!」


「コース……ですか?」


「あ、ああ! 美味しい店がある!」


 食べたことはない。本当に美味しいかどうかはさっぱり分からない。

 だが、事前情報では「高いけど美味しい」と言っていた。そして、ちゃんと報奨金の入った金貨袋を持ってきているので、支払いも問題ない。

 折角のアントンと二人での食事だ。そのくらいは奮発してもいいだろう。

 しかし、そんなレイラの言葉に、アントンは小さく溜息を吐く。


「……足りるかな」


「んっ! アントン、どうした!」


「ああ、いえ。何でもありません。レイラ将軍のおすすめなら、さぞ美味しいんでしょうね。楽しみです」


「ああ!」


 多分。

 そう言いたいのを、思い切り飲み込む。

 物凄く期待されているが、実際の評価は全く知らないのだ。


 少なくとも酒だけは飲むまい、と心に決めておく。

 きっと酒を飲んだレイラを見たら、嫌われる気がするから。

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