第8話 目指せ、ディナー
まずい。
食事に誘ったはいい。だが、行く当てなど全くない。
そもそもレイラが食事自体、腹が膨れればそれでいいだろう、と思う人間なのだ。だからこそ、今まで食事が美味しいと評判の店になど行ったことがないし、少々小腹が空いたら干し肉でも齧っていれば良かった。そして普段の食事は三食、この砦の中にある食堂で作られたものを食べている。
つまり、アントンと共に食事をするのならば、砦の食堂ということになるのだ。
そんなこと、できるわけがない。
「い、いい、いや、そ、そ、それは……!」
想定外のアントンの返しに、どう言うべきか全く分からない。
砦の食堂でなければ、馬で割とかかる距離にある街まで行かねばならない、ということだ。そして、夕食を目的として向かった場合、帰り道は暗くなるため、その街での一泊を視野に入れなければならないのだ。このあたりはそれほど治安が悪いわけではないが、野盗などが潜んでいる場合があるのだから。
勿論、レイラならば例え野盗がどれほど襲ってきたところで返り討ちにできるが、アントンは違う。
もしもレイラの助けが間に合わず、アントンに何か被害が出た、となればもう合わす顔がなくなってしまうのだ。
どうしよう、とテレジアに助けを求める視線を送る。
聡い副官はそれだけで察してくれて、小さく頷いた。
「えーとっすね、アントンさん」
「は、はい?」
「このあたりには、ご飯を食べられるお店はないんすよ。ちょっと馬で走って、向こうの街まで行かなきゃいけないっす。テリオンの街は、行きがけに通ったんじゃないすか?」
「ええ、テリオンは通りましたね」
「んじゃ、帰り道をレイラさんと一緒に戻って、テリオンでご飯食べて帰ればいいっす。そこでレイラさんはこっち戻って、アントンさんは帝都に戻る、でどうすか?」
天才かテレジア。
思わずそう賞賛したくなってくるが、黙っておく。元からレイラもそのつもりだったのだ、という態度でいよう。
なるほど、とアントンは頷いた。
「分かりました。では、テリオンまではレイラ将軍が護衛をしてくださるようなものですね」
「そ、そ、そうだな。あたしが、ちゃんと守って、やる」
「僕はテリオンにはあまり詳しくないのですが、美味しいお店などご存知ですか?」
「あ、ああ! 任せろ!」
「はい。ではお任せします。では、僕も準備が終わり次第出発しますので、そのときにまた声をかけますね」
「ああ!」
失礼します、とアントンが一礼をして、馬車へと向かう。
これから、搬入した物資を運ぶのに使った箱だとか、入っていた壺だとか、そういったものを馬車に運び込むのだろう。それから馬に水を与えたり、一緒に来ていた助手に指示を出したり、と忙しなく動いている。
そして、前任の担当だったゴンザのことを考えると、こちらで帳簿などもまとめてから帝都に戻るのだ。そのため、まだ出発までは時間があるはずだ。
よし、とレイラは気合を入れて。
「テレジア」
「はい、レイラさん?」
「非番の奴、全員広間に集めろ。訓練中の奴はいい」
「へ?」
「急げ!」
「う、うっす!」
レイラの唐突な命令に、そうテレジアが敬礼をして走り出す。
これから非番の者たちに声をかけてゆくのだろう。レイラは誰が非番なのか全く把握していないが、テレジアならば分かっているはずだ。きっと隊長連中に声をかけ、部下を全員招集させるように、と命令しているはずだ。
あとは、広間で待てばいい。
レイラはこれからアントンと食事に行くということに弾む心を抑えきれず、口元がにやけるのを必死に我慢しながら、砦の中央にある広間へと向かった。
「お前ら! テリオンの街の夕食が美味しい店を教えろ!」
「招集の理由それっすか!?」
レイラの前に集まった、銀狼騎士団総勢五千人のうち、非番であるおよそ五百人が揃った広間。
そんな五百人の騎士を前にして、レイラがそう聞いてきたのを思い切りテレジアが突っ込んだ。
何をそれほど驚くのだ、とレイラは唇を尖らせる。
「どうした、テレジア」
「い、いえ、割と急いで非番の連中を集めたんすけど……」
「うむ、ご苦労」
「…………もう、いいっす」
随分と疲れているテレジアの様子に首を傾げて、ひとまずレイラは全員を睥睨した。
さすがに、意味が分からないとばかりに首を傾げている者ばかりだ。もっとも、これだけで状況を理解しろ、というのも無理な話だが。
すると、うち一人が手を挙げた。
「あのー」
「意見を許す」
「夕食が美味しいお店っていっても、色々あると思うんですけど。何が食べたいんですか?」
「何でもいい。とりあえず、幾つか教えろ」
「はぁ……」
ぼそぼそ、と隣同士の者と話し合う騎士たち。
砦勤めは基本的に娯楽がないため、非番の前日にテリオンへ出発し、翌日に帰ってくる、ということをしている騎士も珍しくないのだ。だからこそ、非番の連中を集めれば色々知っていると思ったのである。
はい、と一人が手を挙げた。
「意見を許す」
「肉系なら、『綿人形亭』が美味しいです。特にハンバーグが絶品です。テリオンの北通りにあります」
「『綿人形亭』だな。覚えておこう」
レイラは素早く、与えられた情報を記録する。
もしもアントンが肉嫌いとかだったら困るし、五軒くらいは知っておきたいものだ。
すると、次々に騎士が手を挙げる。
「麺なら『闘牛パスタ』が美味しいです。あと割と安いですね」
「『ヴェルエール』のコース料理は超美味しいです! ちょっと量は少ないですしお値段張りますけど美味しいです!」
「喫茶店なら『エルフの美食屋』がいいですね。店長さんが男前なんですよー」
「とりあえず『テリオン食堂』行っとけば間違いないと思います」
「あんたそれ大衆食堂じゃん」
「いいじゃん大衆食堂! 美味しいんだよ!」
「それよりも『ビーフホーン』でしょ! 焼肉!」
「あー、あそこおいしいよねー」
きゃっきゃっ、と盛り上がる彼女らは、やはり女子である。
とはいえ、その意見を一つ一つ聞きながら、ちゃんと情報は記録して忘れないようにする。幾つか挙げられた中で、アントンが最も好むところを探さなければ。
やはり男だし、肉だろうか。肉でも焼肉もあるしハンバーグもありだ。
むしろ、ここはレイラの経済力を見せるためにも少々高めの店に向かった方がいいのかもしれない。
「でも、やっぱ高いとこっすかねー」
「『ヴェルエール』以外だと……あ、『フェニックス』とか?」
「あそこ美味しいんだけど、超高いんだよね。焼肉だよね?」
「そうそう。一度行ったけど、美味しかったなー。でも請求書見たら、酒飲んで真っ赤な顔が一気に真っ青になったっての!」
「それあんたが食べ過ぎなだけでしょ」
「何を!」
「よろしい、黙れ!」
さすがに情報量が許容量を越えようとしており、そう騒いでいる連中を止める。
ひとまず、これで情報は十分に得た。いつテリオンの街に向かっても大丈夫な感じに、記録はしてある。
あとは場所だが、これはそのあたりを歩いている者にでも聞けばいいだろう。
「よし、解散!」
「……いや、ほんと何しに集まったんすか」
テレジアの疲れたような顔と、不思議そうに広間から出てゆく女騎士たち。
彼女らの中にある疑問は、何故わざわざ、テリオンの街の美味しいお店など聞いてきたのか、ということである。
そもそも、あまりそういった美食だとか、そういうものに無関心なレイラだというのに。
「テリオンの街に、誰か来るのかな?」
「まさか、視察? 皇帝陛下とか……?」
「ありえるんじゃない? レイラ将軍の功績って物凄いし……」
「やっば、見初められたらどうしよ!」
「あんた鏡見てから物言いな」
「何よ!」
そして。
そんなレイラの不思議な行動が、こうやって誤解を産んでゆくのである。
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