第7話 食事の誘い(必死)

 アントンが次に砦に訪れたのは、帝都に戻った、という話を聞いて二週間後のことだった。

 この二週間ほどは大きな戦もなく、レイラもまた砦にいただけだった。敵国の都を攻めることを奏上しているが、まだ帝都から許可が下りていないのだ。いくらレイラが自由人であっても、一応は将軍である。敵国の都を攻めるということは、国を奪うに等しいのだ。さすがに、それをレイラだけの判断で行うわけにはいかない。

 もっとも、いつ許可を貰って出陣したとしても、間違いなく落とせるだろうけれど。


「では、こちらが発注された物資です。確認をお願いします」


「はい。それじゃ失礼するっす」


 そんな砦の搬入口で、アントンが馬車で運んできた荷物をテレジアが確認する。

 発注票の数を見ながら一つずつ荷物を下ろさせ、その数を確認するのだ。何も確認することなく搬入させると、悪辣な担当官だと横領をすることもあるのだ。それゆえに、一つずつ確認をするのが通例とされる。

 もっとも、レイラもテレジアも、アントンがそのようなことをするとは疑っていないけれど。

 だが、騎士団の者とて誰もが清廉だというわけではなく、一人くらいは物資を勝手に持ち出す者もいる。その際に、足りないことをどちらの責任とするか、という面でもこの確認は重要なのだ。


 そして。

 普段はこんな搬入など同席しないレイラが、そのように確認するテレジアを見ながら、アントンの隣に立つ。

 将軍として同席する必要がある、とアントンは認識してくれているだろうけれど、もしも前任の担当官だったゴンザがいれば、雪でも降るのではないか、と心配されたことだろう。


「あ、ああ、アントン……」


「は、はい。レイラ将軍」


「ご、ご苦労だった」


「いえ、これが僕の仕事ですから」


 そう労いの言葉をかけて、そして再びレイラは働くテレジアを見る。

 そして、それ以降もアントンから声をかけてくることなく、二人で無言でテレジアの動きを見るだけだ。

 樽や壺を一つずつ下ろしながら、発注票と相違ないことを確認するテレジア。

 そんなテレジアが時折レイラへ視線を投げ、その目だけで「行くっす、行くっす」と言っているのが分かる。

 そして同じくレイラも、そんなテレジアに視線だけで「無理!」と叫ぶのである。


「ふむふむ……概ね問題ないっす。芋がちょいと少ない気がするっすよ」


「申し訳ありません。今年は不作らしくて、値段が高騰しているんです」


「なるほどー。それなら納得っす。んじゃ、念のためもう一度調べさせてもらうっす」


「はい、お願いします」


 既に荷馬車から下ろしている荷物を、もう一度確認するテレジア。

 そして、これは「時間は稼ぐから早く声かけるっす」というテレジアからの無言のメッセージである。それを読み取れないほどに、レイラは鈍感ではない。

 ごくり、と唾を飲み込む。

 どう言えばいい。どう誘えばいい。

 何度も頭の中で繰り返した。アントンがどのように言ってくるかの、あらゆる角度に対しての切り返しを考えてある。

 だが――その最初の一言が出てこない。


「……」


「……」


 それゆえに、アントンもレイラもじっと黙っているだけである。

 テレジアが一生懸命、一度確認したはずのものをもう一度確認してくれているのだ。時間を稼いでくれているのだ。だというのに、レイラから声をかけられない。

 そしてアントンの方もレイラを恐れているのか、声をかけてこないのである。

 時は無情にも過ぎ去ってゆき、テレジアが物凄く慎重に時間をかけて、一度確認したものをもう一度確認し終えた。終えてしまった。


「……だ、大丈夫っす。それじゃ、次の発注票を出すっす」


「あれ? ゴンザさんからは、搬入のときに次の発注票を貰える、と聞いていますけど」


「ちょ、ちょっと書き直すっす。芋の数が少なかったから、そのあたり調整して作り直すっす。もう少し待って欲しいっす」


「分かりました。では、そのあたりで待たせていただきますね」


「申し訳ないっす。それじゃ、レイラさん」


「んっ! な、なんだ!?」


「こっち来てほしいっす」


 アントンにしてみれば、重要な書類を書き直すのだからレイラも一緒に来る必要がある、と思ってくれるだろう。

 だが実際のところ、新しい発注票はレイラが持っているのだ。これを渡すときに、少しでも接点があるように、と。

 それを知っているからこそ、表情は何一つ変わらないというのに、テレジアの額に血管が浮かび上がっているかのように思えた。

 何やってんだ、と。


「それじゃレイラさん、確認してほしいっす」


「あ、ああ……」


 そしてテレジアと二人、近くの部屋に入る。

 ただの応接室であり、執務室ではない。書類も揃っていないし、そもそも書くべきものすらない。

 だというのに、ここに入ったその理由。


「何やってんすか、レイラさん!」


「う、うぅ……悪い……」


「ちゃんと昨日、練習したじゃないっすか!」


「でも……」


「でもじゃないっす! ちゃんと食事に誘うっす!」


「……」


 レイラだって誘いたい。

 だというのに、唇が動いてくれないのだ。どうしよう、どうしよう、と心ばかり焦りながら、しかし必死に言葉を出そうと努力はしたのだ。

 半分泣きそうになりながら、テレジアの襟首を掴む。


「ど、どうすりゃいいんだよぉ……」


「痛いっす痛いっす! 締まるっす!」


「あ、悪い……」


 けほけほ、と咳をしながら、涙目のテレジアが顔を上げる。

 書類の書き直し、ということで離れたのだ。それほど長くは離れることができないだろう。

 どのように、話を持っていけばいいというのか。


「じゃあ、分かったっす。とりあえず出るっす」


「えっ! ど、どうすりゃ……」


「大丈夫っす。アタシから助け船を出すっす」


「ほ、本当か……?」


 テレジアが呆れながらそう言ってくることに、もう従うしかできない。

 レイラから話しかけられないのだから、テレジアに機会を作ってもらうしかないのだ。

 せめて、このように一度誘えば、次回からは少しくらい慣れてくれるかもしれないし。

 震えながら扉を開き、レイラが先に出る。


 その右手に、発注票を持って。


「あ、ああ、ああ、アントン!」


「はい、レイラ将軍」


「こ、これが、つ、次の発注票だ!」


「はい、確かに受け取りました。では、次はまた二週間後に来ますね」


 アントンがほっとした様子で受け取り、そのまま懐へと仕舞う。

 そして、担当官と将軍の関わりなど、ここぐらいしかない。つまり、これで終わりということだ。

 あとは、帰るアントンを見送るだけ――。


「アントンさん、待ってほしいっす」


「へ? どうかされましたか、テレジアさん」


「実は、レイラ将軍からアントンさんにお話があるらしいっす」


「ぶっ!」


 唐突にそうアントンへと告げたテレジアに、そう思わずレイラは吹き出す。

 何をいきなり言っているのだ、と責めたい。だけれど、アントンは首を傾げて、それからレイラを見た。

 かなり無理やりな方向転換だけれど、これが助け船だというのか。

 怖くて下りられないから突き落としたような、こんな荒療治が。


「お話とは……?」


「あ、ああ、ああ、あ、アントンっ!」


「はい、レイラ将軍」


「お、おお、お前はっ……こ、ここ、今晩は……ひ、暇、か!」


「今晩、ですか……?」


 不思議そうに、そう首を傾げるアントン。

 確かに、いきなりそのように言われて、全てを理解しろ、という方が無茶だろう。

 だが、そんなレイラの質問に、アントンは笑顔を見せた。


「帝都にすぐに帰る案件はありませんので、一泊なら可能ですが……何かご用ですか?」


「あ、あ、あのなっ!」


「はい」


「あ、あた、あたしと、そのっ! 食事に行こうじゃないか!」


「え……」


 言えた。

 ちゃんと言えた。

 やりきった。

 満足感と達成感に満たされながら、しかし高鳴る鼓動は止まることなく、アントンの返事を待つ。

 食事には誘った。

 だが、来てくれるかどうかは別なのだ。

 震えながら、アントンの返事を待つ。どうか、どうか――。


「え、ええ……構いませんけど……」


「そ、そうかっ!」


「何処に、行くのですか……?」


「……あ」


 レイラもテレジアも、ただ誘うということだけをひたすらに考え続けた結果、完全に忘れていた事実。

 ここは最前線の戦場に程近い砦であり、当然ながら街からは結構な距離が離れているということ。

 つまり。


 食事に行くような店など、どこにもない、ということである。

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