第4話 自己嫌悪
アントンを背に、無言でレイラは歩く。
ひとまず新任でやって来たアントンが覚えるべきは、砦の中にある様々な施設の把握だ。つまり、そのあたりをきっちりとレイラが説明したうえで、これからのアントンの業務に支障が出ないようにしなければならない。
だからこそ、そのように案内をしているわけなのだが。
「……」
「……」
物資の搬入用の入口を通り過ぎ。
事務などの受付を行うべき窓口を通り抜け。
将軍の執務室の前をあっさり抜けて。
ぐるりと砦を一周して、元の位置に戻った。
「あー、痛かったっす……ってあれ、レイラさん?」
ようやく復活したらしいテレジアが、近くの椅子に座っているところへと、戻ってきた。
つまり、ただレイラとアントンは無言で砦の中を一周したということだ。
テレジアがそんなレイラに向けて、小さく首を傾げる。
「えーと……レイラさん、アントンさんを案内したんすか?」
「……ああ」
「それにしては、随分早いっすけど……」
「ちっ……アントン・レイルノート!」
「はいっ!」
テレジアの指摘を聞かぬ振りして、そう後ろのアントンへ振り向く。
アントンはそんな風にレイラが呼ぶと共に、しっかりと背筋を伸ばして直立していた。
「施設の案内は以上だ! 分かったな!」
「へっ!? あ、あのっ! ご説明を……!」
「貴様は説明を聞かねば働けないというのか!」
「申し訳ありませんっ!」
勿論、これが無茶なことを言っている、というのはレイラだって分かっている。
だが、レイラだって説明をしようとしたのだ。ここが搬入口だからここから物資を入れるように、とか、ここが将軍の執務室だから、気にせず遊びに来てくれていいぞ、とか。
だけれど、そう説明をしようとすると、途端に唇が激しく重くなるのだ。
結果、無言で一周してしまった。どう考えてもレイラが悪い。
「あとはテレジア! お前に任せる!」
「えっと……レイラさん? アタシ、どうすれば……」
「任せると言った! あ、あたしは執務がある! あとはテレジアに聞け!」
「はいっ!」
ふんっ、と思い切りアントンから目を逸らして、そのままテレジアを置いて歩く。
そのまま向かう先は、将軍の執務室だ。とはいえ、特に仕事があるわけではないけれど。基本的に全ての書類仕事をテレジアに任せているレイラにとって、執務室は昼寝をする場所である。何せ、全ての仕事をテレジアに任せるために、テレジアにはレイラのサインをきっちり書けるように教育しているのだから。
そしてテレジアがそのように処理してくれた書類も、責任を取るのはレイラである、というやり方で今までちゃんと回っている。
これでいいのだ。
これでいいのだ。
そう、これで――。
「良くねぇーっ!!!」
執務室に入り、扉を閉めた瞬間にそう叫ぶ。
もう距離は随分と離れたから、アントンとテレジアには届いていないだろう。そして執務室は何気に防音構造であるため、少々騒いでも外に漏れないのだ。
そして、そんな執務室の柔らかな絨毯の上に膝を落とし、そのまま両手をつく。
どうしてこうなってしまったのだ、という自己嫌悪と後悔をふんだんに織り交ぜて。
「あ、あたし、何やってんだよぉっ!?」
本当に何をやっているのだろう。
電流に打たれたかのように、想いを自覚してしまった相手――アントン。
もう二度と会わないだろう、と思っていたはずなのに。
それがこんな風に、銀狼騎士団の担当になるだなんて。
最早、これは運命すら感じてもいい内容だ。神様なんてレイラは信じないけれど、もしも神様がいるならば引き合わせた、というくらいのものだ。
だというのに。
だというのに――!
「く、くそっ……! どうすればいい、どうすればいいんだ、これ!」
恥ずかしすぎて当たり散らし、アントンに向かって威嚇的な態度ばかり取ってしまった。
これが一般的に、好意を抱いている相手にする対応であるかどうか、を判断できないほどレイラは馬鹿ではない。
どう考えても、虫の好かない相手に対する嫌がらせだ。そして新入りに対する威圧的な対応だ。
そして、そのような対応を受けたアントンがどう思うかなど、一つである。
「き、嫌われた……!?」
どうしよう、どうしよう、と心ばかり焦る。
あまりにも突然のことに対処できなくて、威圧的な態度を取ることしかできなかった自分を本気で殴りたい。
理解することのできない事態の奔流は、もうレイラのあまり良くない頭では処理できないほどのものだ。
今から自分がどう振る舞えばいいのか、何一つ分からない。
少なくとも、今日のレイラの態度は、アントンに好意的に思われるはずがない。ならば、次回からはせめてこちらが好意を持っているのだ、と示す必要がある。
だが――。
「で、でも、好意を示すとか……! そ、そんなの、できるか……!」
好意を示すというのは、具体的にどうすればいいのだ。
これまで色恋など全く経験のないレイラにとって、男心など考えたこともないものだ。どうすればアントンが喜ぶのかなど、さっぱり分からない。
というか、何をすればレイラがアントンに好意を持っているのだ、と理解してもらえるのだろう。
アントンは、銀狼騎士団の担当になった。
つまりこれから、仕事上での付き合いは多くなる。色々と、レイラと関わることも多いだろう。
そのときに、どのような態度で付き合うか――それによって、アントンとの今後が決まる。
今後が。
そう、今後が。
想像して、かーっ、と顔が真っ赤になる。
今後だなんて、自分は何を考えているのだ、と絨毯を打つ。訳が分からなすぎて死にたくなってくる。だけれど、決して嫌な感情ではない。
「あーっ!」
よし、とレイラは立ち上がる。
細かいことは考えないのが、レイラの良い点であり悪い点だ。主に悪い点である。
つまりレイラの考えるべきことは、後悔ではない。これからのことだ。
いかにして、アントンとの接点を見つけるか。そしてそれを繋ぐか。
そして、どのようにアントンに対しての好意に気付いてもらえるようにすべきか。
まさか、恋心というのがこれほどの強敵だったとは。
これならば、万の軍勢を前に突っ込む方が、どれほど心が楽なことか。
「飲もう」
そして。
とりあえず、考えたくないことは酒を飲んで忘れるのが最短の道である。
執務室の棚の中に常備してある、よく飲んでいる銘柄の酒瓶を取り出す。戦勝の後には浴びるほど飲むのが、いつものレイラだ。そして、今日も戦勝の後である。つまり、状況は普段と何も変わらない。
きゅぽんっ、と栓抜きでコルクを抜く。
それだけで、むわっ、と酒精に溢れた香りが鼻腔をくすぐった。
酒瓶を思い切り傾け、そのまま一気に煽る。
強い酒精が喉を灼き、そして頭をくらくらさせる。だけれど、それが心地いい。
一気に煽り、そしてぷはーっ、と大きく酒臭い息を吐き。
そこで、一気に今日のことを思い出して。
「うあぁぁぁぁぁぁぁんっ! どうすればいいんだぁぁぁぁぁぁぁ!!」
最強無敵にして天下無双、伝説に残る大英雄レイラ・カーリー。
彼女が実は泣き上戸だということは、銀狼騎士団では割と皆知っている事実だった。
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