第3話 もはや教官
「ごふっ……い、息が、息が、できないっす……!」
「そのまま息絶えろ」
「ひどいっす……! 厳しいっす……!」
「誰が悪いのか言ってみろ」
「アタシっす……! アタシが悪かったっす……!」
「分かっていればよろしい」
テレジアは戦場帰りであるため、当然腹までしっかりと覆う鎧を装着している。
だというのに、その鎧ごと陥没させるレイラの膂力で殴られては、呼吸がままならないのも当然だろう。実際、そのつもりで殴りつけたわけであるし。
倒れてのたうち回りながら「やばいっす、死にそうっす……!」と繰り返すテレジアを横目に、改めてアントンと見合う。
極力、目を合わせないように。
「……あ、あたしが、レイラ・カーリーだ」
「かの高名な『銀狼将』だとはつゆ知らず、失礼な真似を……」
「別に構わない。あたしも、名乗ってなかった」
事実である。
そもそも、最初からレイラが『銀狼将』である、と名乗っていれば、このようなことにはならなかったはずなのだ。だというのに、最初に出会ったときには問答無用で殴りつけ、先程は固まってしまったために名乗ることができなかった。つまりレイラが完全に悪い。
だが、そんなレイラへ向けて、アントンは安堵したように微笑んだ。
「良かったです……ええと、改めまして、僕はアントン・レイルノートと申します。本日付けで、銀狼騎士団の物資などの担当になりました。必要なものなどありましたら、いつでも言いつけてください」
「……そのあたりは、テレジアに任せている。協力して、やれ」
「分かりました。右も左も分からない新人ですが、ご教授よろしくお願いします」
「……ああ」
もっとこう、気の利いた言い回しはないものだろうか。
そう考えるけれど、無愛想に対応することしかできない。目すら合わせることができない。
こんなレイラの態度を、アントンはどう思うだろうか。
だけれど、それ以上のことができないのだ。心の準備が全くできていない。
こうなると分かっていれば、何か対策でも練ったというのに。
「え、ええと、テレジアさん……?」
「い、痛いっす……! ボディはじわじわ効かないっす……!」
「大丈夫ですか?」
「心配してくれるのはアントンさんだけっす……!」
その通りである。レイラは全く心配していない。
元よりちゃんと鎧を着用しているからこそ、レイラは本気で殴ったのだ。これが鎧も着ていない相手であれば、一撃で内臓破裂を起こすほどのものである。そしてテレジアは割と長くレイラの副官をしているため、ある程度どこまでの打撃なら耐えられるか知っているのだ。それだけ、テレジアが失礼なことばかり言っている、という証左でもある。
実際に、アントンの腹を殴りつけたときは、手加減に手加減を重ねたのだし。
だがなんとなく、そうやってテレジアを気遣うアントンを見ているうちに、なんだか苛立ちが募ってきた。
言葉では表現できない、淀んだような怒りがふつふつと湧いてくる。その理由は全く分からない。
だからこそ、つい、そのようにテレジアへと声をかけるアントンを、こちらに向けたくなった。
「こほん……え、ええと、アントン、といったな」
「あ、はい。レイラ将軍」
アントンが立ち上がり、レイラを見る。
その視線に、かーっ、と顔に熱が走るのを止められず、すぐにレイラは顔を背けた。
今、真っ赤になっているんじゃないだろうか――そう不安に思うけれど、残念ながらここに鏡がないため見ることができない。
そして歯を噛み締め、少しでも誤魔化せるように、とレイラは声を張った。
「き、基本的な仕事は! テレジアに教わるように!」
「は、はいっ!」
「具体的な仕事内容は聞いているな!」
「はいっ! 物資の調達、搬入、糧食の手配、搬入、それに財務関係との調整に、騎士団の運営予算の帳簿などをまとめると聞きました!」
「よろしい! では、それをテレジアと協力しろ!」
「はいっ!」
なんかこう、もっと、あるだろう。
どうしてこのように、仕事のことだけしか言えないのだろうか。それも、完全に上官と下士官との会話である。アントンが敬礼をしていれば、間違いなくそうだろう。
そんなことよりも、色々聞くことがある。年齢とか、出身とか、個人情報を色々と入手しておいて損はない。そんな状態だというのに、レイラの唇は全く動いてくれなかった。
何か気の利いたことが言えないだろうか、と必死に探る。どうすればいいのだ、と足りない頭を総動員して解決策を練る。
はっ、とそこでひらめいた。
アントンは、銀狼騎士団の担当だ。担当とは、この砦への物資の搬入だとか、そういった点を請け負ってくれる。物資を発注するのはこちらで、それを受理する立場、とでも言えばいいだろうか。
それはつまり、この砦に来ることが多い、ということになるのだ。現在の最前線であり、防御と攻撃の要であるこの砦は、それなりに広い。そして、初めて来た者には迷わないように案内をしなければならないのだ。一応簡単な地図は貼り付けてあるけれど、実際にその場を見なければ有事の際に動くことができないのだから。
施設の案内をすれば、仕事上ではあるが一緒にいることはできる。そして、そうしているうちに世間話でもすればいいのだ。世間話というのが何をすればいいのかはよく分からないが、とりあえず話しているうちにどうにかなってくれるだろう。
善は急げ――そう、アントンへと振り向いて。
「アントン・レイルノートっ!」
「は、はいっ!」
「お前はまだ新入りだ! 覚えることが多いということをよく理解しておけ!」
「はいっ! ご教授よろしくお願いしますっ!」
「新入りがやるべきことは分かるかっ!」
「いえっ! 分かりませんっ!」
思い切り敬礼でもしそうな感じで、背筋を伸ばしているアントン。
普通に考えれば分かるだろう。最初は砦というか、施設の把握だ。何も知らない場所に来たのならば、まずその場所の把握から始めることが一番なのである。
特に物資などの担当ということは、どこが搬入口だとか、どこから入るとか、どこが将軍の部屋かとか、そういう大切な場所の確認は必ず必要なのだ。つまり、案内をしてもらう必要がある、ということになる。
だからこそ、アントンがそう言ってくるならば、ちゃんと案内をしてやる、と言ったのに。
どうすればいい。
どうすればレイラが案内を行うことができるのか。
必死に頭を回転させながら対策を練りつつ、しかし会話を途切れさせてはいけない、と唇は勝手に言葉を紡ぐ。
「新入りのやるべきことも分からずにここに来たのか!」
「申し訳ありませんっ!」
「それでも事務官のつもりか! 仕事をなめているのか!」
「申し訳ありませんっ!」
「貴様には教育が必要だな! ついてこい!」
「はいっ!」
くいっ、と顎で向かう先を示し、レイラは砦の中へと向かう。そしてその背を、アントンが追う。
なんだか全く考えていなかったけれど、とりあえずアントンがレイラの後をついてくる、 という形にはおさまってくれた。
結果良ければ全て良しである。
本当に良かったのかは全く分からないけれど。
「ええと……
そんな去ってゆくレイラとアントンの後ろ姿を見ながら、未だ起き上がれないテレジアが、小さくそう呟いた。
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