第1話 レイラとテレジア

「あー、もう、ムカつく……」


 乾いた砂と血臭を孕んで流れる風に金色の髪を揺らしながら、小さくそうレイラは毒づいた。

 戦場の風は好きだ。特に、敵兵の血を孕んだそれを嗅いでいると、心地よさすら感じてくる。筋金入りの戦闘狂であり、戦場にしか居場所を求めることができない物狂いいかれ者だということも、レイラ自身しっかりと理解していた。

 しかし、そんな戦場の風に身を晒し、先程まで敵軍と戦いながら大剣を二本、思いのままに振るいながらもレイラは不機嫌だった。常に哄笑と共に戦場を駆ける『殺戮幼女』は、今日も変わらず殺戮をしたというのに。

 それも全て、あの宮廷へ訪れた日が原因だ。


「何でそんなに不機嫌なんすか。レイラさん」


「うるさいよ。ぶん殴るぞ」


「ただ聞いただけじゃないすか……」


 んもぉ、と頬を掻くのは、『銀狼将』レイラ・カーリーの率いる銀狼騎士団の副官であるテレジア・リード。

 肩ほどまで伸ばした銀髪に、年齢を感じさせない顔立ちの女性である。しかしレイラよりも年上であり、既に三十が近いはずだ。だというのに、若々しさすら感じられるのは感性が若いからだろうか。

 テレジアにしてみればレイラは、自分よりも年下の上司、という形になる。そういった立場に、テレジアがどのような心境であるのかは分からない。

 だが、それでも戦場で一人先走って剣を振り続けるレイラと、軍に対する指揮やその後の事務処理などに長けたテレジアという組み合わせは、何気に相性が良かったりする。

 はぁ、と大きく嘆息。


「なぁ、テレジア」


「何すか」


「……お前、宮廷に最近入ったヤツって知ってっかい?」


「宮廷に?」


 む、とテレジアが眉根を寄せる。

 先の休暇において、レイラが一時帝都に戻ったことはテレジアも知っていることだ。そして、レイラのいない隙に、と押し寄せた敵軍を相手に防衛をしてくれていた、という話も聞いている。

 そんなレイラから、宮廷の話が出たことを不思議に思っているのだろうか。


「はぁ……アタシは、あんまり知らないっすよ」


「定期報告なんかは、お前に全部任せてるじゃないか」


「それでも、帝都に行くのなんか月に一度くらいのもんっすよ。宮廷の新しい人とか、そんなの把握する時間ないっす」


「ちっ……」


 不機嫌を増し増しにしながら、レイラは足元の小石を蹴りつける。

 放物線を描いて飛んでゆく小石の軌跡にすら、苛立ちが増してくるのが分かった。

 どうしてこれほど苛立たなければならないのか。


「それで、勲章はちゃんと貰えたんすよね?」


「貰ってないよ」


「はぁ!? 何があったんすか!」


「別に。玉座の間まで行くのが面倒だったから帰った」


「何のために帝都までわざわざ行ったんすか! アタシ一生懸命防衛したのに!」


 ふん、と吐き捨てるレイラに、テレジアがそう叫ぶ。

 確かに、勲章の授与のために帝都まで赴いておきながら、その勲章を受け取らずに帰ってきた、となればこのような反応も仕方ないものだろう。

 だが、レイラはそんなテレジアの言葉に、唇を尖らせる。


「いいじゃないか」


「良くないっすよ! てゆーか、皇帝陛下からの勲章の授与をバックレるなんて前代未聞っすよ!?」


「それより、あれだ。宮廷の新しいヤツだ。お前、知らないかい? ええと……ひょろ長い、痩せっぽちの男だ。黒髪の」


「そんなの大勢いるっすよ……」


 姿を思い出すと、次第に頬に熱が走ってくるのが分かる。そんな赤い顔を見られないように、とテレジアから目を逸らした。

 そんなレイラに対して、思い切り疲れた顔をしながら、テレジアが述べる。


 レイラにしてみれば大したことはしていないつもりだが、テレジアからすれば大事件のようだ。別に、後から「戦争で忙しかった」とでも報告すればいいだけの話だというのに。

 小さく、レイラは嘆息する。

 宮廷にいる面々を考えると、大抵痩せているか太っているかの男ばかりだ。大臣や貴族などは太っている者も見かけるが、事務官などをしている者は大抵痩せている。

 そして、黒髪も決して珍しいものではない。つまり、レイラの言うところの「ひょろ長い痩せっぽちの男」というのは、宮廷には溢れているのである。


「もうちょっと何か特徴ないんっすか?」


「……片方だけの眼鏡をしてやがった」


 随分と奇妙な眼鏡をかけている、と思ったものだ。それも、随分と装飾が洒落たものだった、という印象だ。

 あんな眼鏡をしている者など、これまでレイラは見たことがない。

 すると、そこでテレジアがぽん、と手を打った。


片眼鏡モノクルっすか?」


「そう言うのか?」


「もしかして、結構若い人っすか?」


「あたしと変わんないくらい、だと思うんだけど、ね」


「それなら、あの人かもしれないっすね」


 どうやらテレジアは知っているらしい。

 片眼鏡モノクルをかけている、というのはそもそも珍しいし、それで若い男、となるとあまりいないのだろう。


「ロウファル・レイルノート宮中候の息子さんっすよ」


「……レイルノート?」


「知らないすか? ええと……大臣を束ねてる人ッスよ。宮中伯のまとめ役っす」


「……」


 知らない。

 だが、なんとなくテレジアに向けて、素直に知らないと告げるのも恥ずかしい気がしてきた。

 そもそも大臣が何の仕事をしているのか、レイラにはさっぱり分からない。そして宮中候とか宮中伯とかいう謎の言葉も出てきたし、一から説明を求めると長くなりそうだ。


「……ふーん。レイルノート、ね」


「確か、アントン・レイルノートさんっすよ」


「アントン、か」


 思い出す、その男――アントンの姿。

 道に迷ったレイラとぶつかり、情けなくも倒れ、書類をばら撒いた男。そして勲章の授与式に出席しよう、というレイラを誰かの子供だと勘違いし、その怒りの一撃を腹に受けて沈んだ男。

 かーっ、と頬が熱くなる。

 あれからわけの分からない感情に押しつぶされそうになりながら、そのまま授与式などどうでもいい、と帝都から馬に乗り、そのまま戦場に帰還したのだ。

 そして、戦場に来てみれば丁度良くレイラのいない隙を狙った敵軍からの侵攻があったため、鬱憤晴らしも兼ねて戦場の暴風と化した。後悔はしていない。


「それで、アントンさんがどうかしたっすか?」


「な、何でもないよ!」


「あ、もしかしてレイラさん惚れたんすか!?」


「――っ!」


 思わぬテレジアの言葉に、レイラは言葉を失う。

 何故そのように、レイラの感情を読んでいるかのような言葉が出てくるというのか。

 そんなはずがない。

 そんなはずがない。

 レイラが、恋などするはずが――。


「ん、んなわけないだろう!」


「……いやー、それはどうなんすか?」


「ば、馬鹿言ってんじゃないよ!」


 レイラは、恋などしたことがない。

 レイラにしてみれば男というのは、自分より弱い奴だ。味方なら殺さない。敵なら殺す。それだけの存在に過ぎない。

 そんなレイラが、男に惚れるなどということ、あるわけがないのだ。


「大体、戻ってきてすぐに何も聞かずに暴れ回ってたじゃないっすか。まぁ、レイラさんが戻ってきてくれたからどうにかなったのは確かっすけど……普段なら、アタシに一つ二つ聞いてから暴れません?」


「……」


 テレジアの言葉に、目を逸らす。

 とりあえず悶々としていたのを発散するために、ひたすらに暴れた記憶はある。斬った敵兵の数など最早覚えていない。むしろ、味方を巻き込まないように敵陣の奥へ奥へ向かって一人で戦っていたのだ。

 大抵の銀狼騎士団の戦は、レイラが先陣を切って一人で暴れ、その後に残敵を掃討する、という形がほとんどであるため、普段と変わらないといえば変わらないのだけれど。

 だが――何故あれほど訳の分からない感情に支配されてしまったのか。

 その理由が、分からない。


「も、もういい! あたしは宮廷になんざ二度と行かないし、会うこともない! 名前を知ったところで意味なんてなかったねぇ!」


「はぁ……まぁ、レイラさんがそれでいいなら、別にいいっすけど」


「もういい! 戻るよ!」


「うぃっす」


 敵が既に逃げ去った戦場から、テレジアと共に背を向ける。

 既にそこに動く者はおらず、一際派手な兜を被っている者が指揮官だったのだろう。それも既に胴と頭に別れを告げており、物言わぬ屍と化している。

 あとは、今回の戦で疲弊した敵国へ攻め込み、蹂躙するだけだ。

 その前に兵を休ませなければ――そう思いつつ、砦へ戻ると。


 そこに。


「ああ、お久しぶりです、テレジアさん。あれ? そちらはこの前の……?」


 先程、名を聞いたばかりの。

 凝った装飾の施された片眼鏡モノクルをかけた、アントン・レイルノートがいた。

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