第22話

円寺えんじさんはしばらく入院するそうです」


 浅倉先生の言葉にクラスは騒然とした。軽いめまいと言ったたぐいではなく、入院を要するような状況と知り体が震えた。


「昨日、天使ちゃんの様子はどうだったの?」


 小山内おさないさんにいつもの覇気はない。


「会議の時は普通だった。でも、帰りに突然倒れて。救急車を呼んで……」


 視界が涙で歪む。もし恵瑠えるの異変に気付いて早めに保健室に行くように言えていたら。倒れた時にもっとちゃんと支えられたら。

 いろいろな『もしも』が脳内をぐるぐると回っていく。


「あんたはしっかりやったんじゃない? 近くにいたのが金雀枝えにしだで良かった」


「え?」


 意外な言葉にきょとんとしてしまう。


金雀枝えにしだだから真っ先に救急車を呼んだ。もしこれが他の男だったら……考えたくもないわ」


 そんなこと考えもしなかった。だって恵瑠えるが突然倒れて、心配で不安で仕方なかったから。


「あの、金雀枝えにしだくん。ちょっといいかな?」


「あ、はい」


 声の主は浅倉先生だった。普段は明るい先生が、こんなことがあって少し顔が青白い。


「ここだと話しにくいから職員室に」


 きっと恵瑠えるのことだ。そう確信して無言で教室をあとにした。


円寺えんじさんのお母様から連絡があって入院していることはわかったの。入院してる病院も教えてくださったけど、どうにも病状はわからなくて」


「それはつまり……」


「たいしたことがない。あるいは……ってことね」


「そんな……」


 たしかに恵瑠えるは高3で死ぬと決めて、死ぬために努力を重ねていた。少なくともあと2年は時間があるじゃないか。それを早めるなんてあまりにも残酷過ぎる。


「いや、まだわからないわよ? 入院したばかりで何も判明してないだけかもしれないし」


「そうですよね。え……円寺えんじさんっていかにも健康そうですし」


 気が動転してうっかり恵瑠えると口走りそうになる。あくまでも二人きりの時だけ。俺達は偽りの恋人なんだから。


「それでね。折り入ってお願いがあるんだけど」


「俺がお見舞いに行ってもいいんですか?」


「ええ。まだクラスを持って間もない担任より、クラス委員で仲が良い金雀枝えにしだくんの方が嬉しいかなって」


 先生の目から見ると俺達は仲良しなのか。ちょっと気を付けないと他の男子から恨まれるかもしれないな。


「どう? 辛いなら無理はしなくていいわ」


「いえ。行かせてください」


「ありがとう。詳しい容体とかは聞かなくてもいいから、どんな様子だったかは教えてね」


「はい」


 放課後、先生に渡された住所を検索して恵瑠えるが入院している病院へと向かった。

 面会拒絶だったらどうしようと不安もあったが、受付を済ませるとすんなり部屋に案内してくれた。


「失礼します」


 ノックをして病室に入る。まるでホテルのような個室で、あの家に住んでいるだけのことはあると関心した。


夏希なつき……」


 恵瑠えるが倒れてからまだ一日しか経っていないのに少し痩せているように感じた。


「具合はどう?」


「うん。今は落ち着いてる。昨日はありがと。看護師さんから聞いたよ。救急車を呼んでくれた男の子って夏希なつきでしょ?」


「まあね」


 不安で吐きそうだったけど、恵瑠えるが普段通りに振舞っている。だから俺も精一杯の強がりで得意げな表情を浮かべた。


「あはは。死んじゃうかと思った?」


「……うん」


「予定では高3だからね。まだちょっと早いよ」


「って、ことは、たいしたことないんだよね?」


「そうでも……ないかな」


 俺は絶句した。あんなに元気だったのに。バスケをしたりゲームをしたり、あの時まで普通に会話もしてたのに。


「脳腫瘍なんだって。位置が悪いと手を付けられないって」


「そんな……でも、まだ詳しいことはわかってないんでしょ? 恵瑠えるっていつもそうじゃん。最初はダメでも最終的にうまくやる」


「今まではね。でも、そろそろ限界みたい。初めて夏希なつきと話したこと覚えてる? 高校生が私のピークだって話」


 俺はこくんと頷いた。すごく濃密な時間を過ごしたけど、まだ2週間ほどしか経っていない。忘れるわけがない。


「やっぱり私の予想通りだったんだよ。ちょっと予定が早まっただけ。もう少しおっぱいを大きくして、周りから好かれて、それから死にたかったけど……仕方ないね」


「仕方なくない!」


 隣の部屋の迷惑も考えず大声を上げてしまった。


「神様は見てたんだよ。私が死にたがってることを。あはは。神様からしたら2,3年は誤差の範囲なのかもね」


「……」


 恵瑠えるは笑いながら話すけど、その声は震えている。夕陽が涙をキラキラと光らせてるじゃないか。

 そんな顔すらも美しいと思えるけど、だからこそ死んでほしくないとい感情が溢れ出てくる。


「どうにかならないの? こんなに立派な病室に入院できるくらいだし、最新の医療とか」


 恵瑠えるは首を横に振った。


「お父さんもお母さんも同じことをお医者さんに言ってた。でも、ダメみたい」


 まだずっと先の話だと思っていた恵瑠えるの死が突然目の前にやってきてしまった。

 高3までに考えを変えてくれるかもしれない。最高の彼氏が見つかったらそのまま生き続けるかもしれない。

 そんな淡い希望すらも消えてしまった。


「ねえ、夏希なつき。鬼籍に入るって言葉知ってる?」


「え?」


「死ぬことを鬼籍に入るって表現するだって。私はずっとその鬼籍ってやつを探してたんだ」


「そんな話はしないでよ! どうして恵瑠えるは死を受け入れてるの!? 高3まで自分を磨いて最高の死に方をするんじゃなかったの!?」


「……私だって」


 恵瑠えるは窓の方を向いてしばらく黙ってしまった。

 俺は声を掛けず恵瑠えるの背中を見守る。


「今は鬼籍じゃなくて、奇跡がほしい。この病気が治って、夏希なつき万里花まりかちゃんと一緒に高校生活を楽しむの」


「そうだよ! 諦めるのは早いって」


 一度失敗しても練習して克服する。それが円寺えんじ恵瑠えるって女の子じゃないか。


「でも、奇跡なんて簡単には起きない。起こせない。私にはもう、無理なんだよ」

 俺は何も言えなかった。奇跡は起こせるとか、俺が奇跡を起こしてみせるなんて軽々しく言えない。


「ごめんね。今日はもう帰ってくれないかな。お見舞い嬉しかった」


「……わかった。またね」


 簡単に挨拶を交わして病室をあとにした。

 恵瑠えると出会った奇跡。恵瑠えるの彼氏役になれた奇跡。高校に入ってから恵瑠えるにまつわる奇跡を何度も体験している。


 だからと言って、その流れで何となく恵瑠えるの病気が治るのはあまりにも都合のいい奇跡だ。

 体が重い。筋肉痛だからじゃない。うまく力が入らない。それに息も苦しい。


「ふぅ……」


 ちょうど待合用のソファがあったので腰掛ける。


「参ったな」


 いざ死を目の前に突き付けられると人はこうも疲弊するものなのか。

 目を閉じると恵瑠えるとの思い出が蘇る。本当に濃い2週間だった。


「これじゃあまるで本当に死ぬみたいじゃないか」


 思い出を振り返るのはやめて未来を考えるようにした。これからクラス委員の仕事で忙しくなって小山内おさないさんに文句を言われながら過ごす日々。

 少しずつ他のクラスメイトと話す機会も増えるといいんだけど、恵瑠えるとの距離感に気を付けないとな。


「こんな未来があればいいのになあ」


 自分の努力ではどうにもできない現実に涙が溢れる。


「ワオ! ナッキーじゃないデスカ」


 涙を袖で拭いて声の方を向くと、ゲーセンで出会ったマイケルさんが白衣を着て廊下を歩いていた。


「え? なんでマイケルさんがここに」


「ボクはイシャなのデース。ナッキーこそどうしマシタ?」


「医者だったんですか? 石油王の息子とかじゃなくて」


「ハッハッハ! ナッキーのジョークおもしろいデスネ」


 病院でも変わらぬマイケルさんの笑い声に少しだけ心が救われた。


「トコロデ、ナッキーはどうしてココニ?」


「実は……」


 マイケルさんに恵瑠えるが脳腫瘍で入院していること。その腫瘍の位置的に処置が難しく、恵瑠えるに死が迫っていることを話した。


「ソレは大変デス。ソウデスカ。あの患者サンはエンジェルだったのデスネ。難しい患者サンが来たとミミにしてマシタ」


 まさかマイケルさんが医者とは思ってなかったし、こうしてすぐに再開できたのも一つの奇跡だ。

 でも、ちょっと運が良いレベルの奇跡じゃ恵瑠えるは救えない。


「ナッキー。エンジェルには会えマスカ?」


「あ、はい。いや……どうだろう。恵瑠えるもだいぶ落ち込んでて」


「ボクならエンジェルを救えるとシテモ?」


「え?」


「エンジェルの願いを叶えると約束しマシタ。もしエンジェルが望むのならボクがタスケマス」


「できるんですか? すごく難しいって恵瑠えるから聞きましたけど」


「人間ナラネ。ボクは人間をコエタ医者なのでデス」


 どこまで本気で言ってるのわからないけど、太鼓の鉄人で神業を見せてくれたマイケルさんならあるいは。そんな奇跡的な偶然に期待してしまう。


「急いで恵瑠えるのところに行きましょう!」


「コラコラ。廊下は走ってはイケマセン」

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