第17話

「ん」


 夕陽が眩しい。体育館の床とは思えないような温かさと柔らかさの中で目が覚めた。


「よかった」


 まだ視界がぼやけているけど、この声は間違いなく円寺えんじさんだ。


円寺えんじさんケガはない?」


 最後に見た光景をはっきりと覚えている。

 円寺えんじさんらしき人影にボールが当たりそうだったからそれを顔面で防いで。そこから先はもう死んでもいいかなって思えるくらい幸せな気持ちになってたような。


「あんなボールくらい私なら受け止められるのに」


「それはどうだろう。あんなに勢いよく飛んでくるバスケボールを取るなんて初めてでしょ?」


「顔面で受け止める人には言われたくないかな」


 チャラ男に衝突された胸は痛むし、喋ると顎が痛い。俺にはバスケなんて向いてなかったと改めて痛感する。


「……仮入部はね、なしになった」


「そりゃそうでしょ。こんなお荷物居ても邪魔なだけ」


「うん……先輩達は強がってそんな風に言ってたけど、さすがにこれは気まずかったみたい」


 仮入部に来た一年生を気絶させるなんて、事が大きくなれば活動停止にもなりかねない。これ以上は俺に関わらないと決めたんだろう。


「実は万里花まりかちゃんがすごく怒ってくれたの。あんなボールが天使ちゃんに当たったらどうするんですかって。危ないから天使ちゃんはバスケ部に入らないでってお願いされちゃった」


「結果的には良かったんじゃない? 部活をやらずに済んで」


金雀枝えにしだくんが体を張ってくれたおかげだよ」


 申し訳なさそうに円寺えんじさんは言う。


金雀枝えにしだくんにはいつも私のわがままに付き合ってもらって。それでケガまでさせて。私が死んだ時に悲しんでもらえないよね」


「そんなことない!」


 思わず大声を出してしまった。その反動で鈍い痛みが体中に広がる。


「いてて」


「大丈夫?」


「俺のことは平気。円寺えんじさん、何か勘違いしてるけど、いや、勘違いでもないんだけど、たしかに円寺えんじさんのわがままに振り回されてる」


 これは否定できない事実だ。自分が夢見ていた高校生活とはだいぶ違うんだから。


「だけど、俺は楽しいよ。円寺えんじさんが最高の死に方をするために努力してるのを知れて、死ぬのは理解できないけど円寺えんじさんを見てると俺も頑張ろうって思える」


「……」


「俺は円寺えんじさんに死んでほしくない。例え最高の彼氏が見つかって捨てられても。友達としてこの先も一緒に居られたらいいなって思ってる」


 シチュエーションがそうさせるのか熱血キャラでもないのに熱く語ってしまった。もし保健室の先生に聞かれてたら恥ずかしい。


「あっ! ごめん。保健室の先生は……」


「いないよ。今は私と金雀枝えにしだくんの二人きり」


「よかった。ごめんね。円寺えんじさんが死にたがってるのは秘密なのに」


「ふふ。気にするのはそこなんだ」


「え? そりゃそうでしょ。死にたがってる生徒がいたら先生ザワつくよ」


 一体他に何を気にしろって言うんだ。


金雀枝えにしだくん」


「はい」


「人の少ない放課後。二人きりの保健室。夕焼けに染まるベッド」


 円寺えんじさんが今の状況を箇条書きのように羅列した。

 バスケ部で辛い思いをしたり、円寺えんじさんの無事を確認できてホッとしたのが上回っていたけど、少し冷静になるとこのシチュエーションって……。


金雀枝えにしだくんって本当に紳士なんだね」


「それ、褒め言葉だと思っていいの?」


「うーん……半々かな」


「それはつまり……」


 期待してるってこと? 

 この一言が出なかった。何か行動を起こすこともできなかった。


「今日はケガもしてるしね。そうそう、明日にも念のため病院で検査してもらえって

さ」


「わかった。ありがとう」


「こっちこそありがとう。助けてくれて。私だけは金雀枝えにしだくんのこと、カッコイイって思ったから」


 そう言って円寺えんじさんはいそいそと保健室をあとにした。

 一人残された俺はしばらくボーっと天井を見つめる。夕陽がじりじりと顔を暖める。

 この熱さはきっと夕陽のせいなんだ。


 病院で調べてもらったけど特に何もなかった。

 母親からはあまり無茶はしないように怒られた。


 まさか天使のような美少女の彼氏役をしていて紆余曲折あってバスケをしたなんて言えず、クラス委員の仕事に専念するとだけ伝えた。

 このままサボリたかったけど、異常なしだったのでそれは許されず渋々昼から登校した。


「おはよう。金雀枝えにしだくん」


 隣の席の円寺えんじさんはいつもと同じように挨拶をしてくれた。昨日の保健室でしたやりとりがまるで幻だったかのようにいつも通りに。


「おはよう」


 教室に人が多い時はあまり円寺えんじさんと話さないようにしている。お互いクラス委員だから言葉を交わしても何も問題ないんだけど、あらぬ誤解を受けて攻撃対象になったら困る。


「学校に来たってことは、なんともなかった?」


「うん。おかげさまで」


 円寺えんじさんはホッと胸を撫で下ろす。事情を知ってるということは昨日の出来事は夢でも幻でもなかった。

 そんな俺達のやり取りをジーっと睨みつけるのは小山内おさないさん。

 何か言いたげな顔にも見えるけど俺からは話し掛けない。恐いし。


「あ、あの……!」


 小山内おさないさんが何か言いかけたと同時に始業を知らせるチャイムが鳴った。

 みんなが席に戻る中、小山内おさないさんの声に応えるのもちょっと気まずい。俺は気付かないふりをして授業の準備をした。

 50分の授業が終わり昼休み。今日は弁当を持ってきてないので購買にでも行こうと席を立ったその時、


金雀枝えにしだ!」


 小山内おさないさんに呼び止められた。


「ああ、なに?」


 きっと昨日の件についてだろうけど小山内おさないさんが直接何かしたわけじゃない。

 男子部の先輩にいろいろされたけど、あれだって俺が強ければ対処できた話だし、ボールを顔面で受け止めたのは俺がドン臭いからだ。


「あの、仮入部は……なんかごめん」


「別に小山内おさないさんは悪くないでしょ? ちゃんとボールを取れなかった俺が……」


「違くて!」


 大声を出すものだからクラスの視線が俺と小山内おさないさんに集まる。


「ウチが無理矢理、天使ちゃんと金雀枝えにしだをバスケ部に誘ったから」


「正直バスケ部の仮入部は気が乗らなかったけど、それはとこれとは別でしょ」


「ううん。ウチが天使ちゃんといつも一緒にいる金雀枝えにしだに嫉妬して、それでバスケ部の先輩にお願いして」


 目に涙を浮かべながら言葉を続ける小山内おさないさん。傍から見たら俺が泣かせてるみたいだ。


「だけど、それで天使ちゃんが危ない目に遭うところで。それを金雀枝えにしだが助けてくれて」


「俺も何ともなかったし気にしなくていいよ」


「ウチ、金雀枝えにしだと天使ちゃんは釣り合わないと思ってた。ぶっちゃけ今もだけど、他の男より全然マシ」


「あんまり褒められてる気がしないな」


 円寺えんじさんも小山内おさないさんも俺に対する評価が高いのか低いのかよくわからない。まあ自己評価は低いからそんなに精神的なダメージはないけど。


「だから、天使ちゃんとクラス委員の仕事頑張りなさい。もし天使ちゃんを泣かせたら許さないから」


「ああ、うん。頑張るよ」


「話はそれだけ。さ、天使ちゃん。一緒にお昼食べよう」


 くりると円寺えんじさんの方に振り返るといつも通りの円寺えんじさんに甘える小山内おさないさんに戻った。

 小山内おさないさんは円寺えんじさんの何なのだろう。もちろん泣かせるつもりはないけど、これじゃあまるで父親じゃないか。


 教室内ではひそひそと声が聞こえる。きっと俺に関することだ。

 俺にはその声を黙らせる力はない。そっと教室を出て購買に向かった

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