第12話

円寺えんじさん早いね」


 待ち合わせ場所に行くとすでに円寺えんじさんが到着していた。

 昨日とは打って変わって今日は白いワンピースにピンクのカーディガンを羽織るお嬢様スタイルだ。

 胸元のガードは固いのにその膨らみは隠しきれてなくて、Tシャツから谷間が覗けるのとはまた違ったエロさを醸し出している。


「9時59分。ギリギリを狙えるなんて逆にすごいと思う」


 約束通り遅刻はしなかった。だけど待ち合わせ時刻の1分前。円寺えんじさんより先に着いて変な男に絡まれないように守るという自分ルールはいとも簡単に破れた。


「朝起きたら思ってた以上に筋肉痛が悪化しててさ。歩くのも辛いんだ」


「ほぼシュート練習で腕しか使ってないのに?」


「意外と全身を使ってたんだよ。腕の力だけに任せてない証拠だね」


 たぶん原因は円寺えんじさんを連れて走ったことだ。だけどあれは嫌な思い出なので筋肉痛はしっかりと練習をした勲章だということにしておく。


「遅刻しなかっただけ最高の彼氏に近付いたと思ってあげる。ここに居るとまた変な男に絡まれるかもしれないから、行きましょ」


 円寺えんじさんは当然のように俺の手を取りずいずいと歩みを進める。


「本当は彼氏にリードしてほしいけど行先は私の家だし、付いてきて」


「は、はい」


 円寺えんじさんはすっかり手を繋ぐことに慣れたみたいだ。俺なんてまだドキドキするし体中に熱を帯びているのを自覚するくらい今の状況が照れくさい。


「ここまで来て言うのもなんだけど本当にいいの?」


「なにが?」


「俺が円寺えんじさんの家に行くの」


「いいに決まってるじゃない。私から誘ったんだから」


 『当然でしょ?』と言わんばかりのクールな顔も美しい。昨日のメッセージでは緊張感や不安が伝わってきたけど、いざ実際に会うと自分だけが妙に緊張していることに気付く。


「今まで男子を家に招待したことは?」


「…………初めて」


 数秒の沈黙のあとに回答をもらった。嘘や誤魔化しではなく、円寺えんじさんは虚勢を張ってる。

 初めてのことで失敗しないか不安な自分を無理に押し殺してるんだと感じ取れた。


円寺えんじさん、ちょっと待って!」


「なに? まさか怖気づいて逃げる気じゃ」


「そうじゃなくて」


 チャンスのような恐いような、そんな相反する二つの感情がごちゃまぜになっているのは確かだけど、もう一つ待ってほしい理由があった。


「筋肉痛で太ももが痛い。こんなに早く歩くの辛い」


 柔らかい円寺えんじさんの肌に包まれる左手は天国の感触だけど、そんな円寺えんじさんに引っ張られて無理矢理動かしている太ももはまさに地獄。

 この板挟み状態が続いたら頭がおかしくなりそうだ。


「それじゃあもう少しゆっくり歩くから」


「助かるよ」


 どの道いつかは円寺えんじさんの家には着くんだけど、これで少しは時間が稼げる。

 俺も円寺えんじさんも心の準備ができてない。こうして手を繋いでゆっくり歩けば心が軽くなるような気がした。


「……金雀枝えにしだくんって案外良いやつよね」


「へー、どの辺が?」


「それを言わせようとするあたりはやっぱりダメ。あーあ、また点数下がった」


 ツーンとすねた表情もさまになる。

 イケメンキャラはこうやって女心を弄ぶとキャーキャー言われるのにな。

 ※ただしイケメンに限るはやっぱり正しかったんだ。勉強になった。 


「だけどさ、なんで私のために彼氏の練習台になってくれてるの?」


「いや、それはまあ……その」


 一目惚れしててたからちょうど都合が良くてとも言えず、気の利いた返しもできず黙ってしまう。


「こんなこと言ったら金雀枝えにしだくん怒るかもしれないけど、金雀枝えにしだくんなら家に呼んでも平気かなって思ったんだ」


「それは、うん。自分でもそう思う」


「なにそれ。変なの」


 けらけらと笑う姿はいつもの円寺えんじさんだ。俺の意気地なしで安全なところは自分がよくわかってる。

 それを円寺えんじさんは感じ取ってくれていたし、本人の太鼓判までもらって安心してくれたのなら何よりだ。


「死ぬ前に金雀枝えにしだくんみたいな人に会えて良かったよ」


「俺は……円寺えんじさんが生き続けてくれたら嬉しいな」


 練習が終わって別れて、円寺えんじさんが最高の彼氏と付き合うにしても生き続けてほしい。

 こんなに仲良くなった人がいなくなるなんて寂しい。

 下心を抜きにしてもそういう感情は芽生えていた。


「うーん、金雀枝えにしだくんでもそれはできない相談かな」


 天を仰いで円寺えんじさんは言う。


「やっぱりゴールが見えてるから世界がこんなに輝いて見えるんだと思う。金雀枝えにしだくんの優しさや思いやりに気付けるんだと思う。もし私がこの先も何となく普通に生きていこうって考えてたら、誰からも相手にされないただのドン臭い女だと思うから」


 その瞳はどこか寂し気で、そしてそれは『もしも』の話で、フォローすべきかどうか答えが出せず黙ることしかできなかった。

 高3で最高の死に方をすると決めているから自分を高めているし、だから俺みたいなやつを恋愛の練習台に選んだ。


 もしも円寺えんじさんが普通の生き方をしていたら俺達は絶対に交わらなかったと思う。

 円寺えんじさんの最高の彼氏は俺ではない以上、運命の相手は別にいるのだから。


「なんてお話ししてるうちに到着しました。ようこそ我が家へ」


 そこにそびえ立つのは高級感溢れる一軒家だった。

 豪華な雰囲気を漂わせつつも決して下品ではなく、住む人の心の綺麗さが建物にも反映されているようだ。


「ほら、ボーっとしてないで上がって上がって」


 円寺えんじさんに促されて門をくぐるとまずは玄関。ここだけで俺の部屋より広いんじゃないか……。


「本当はいろいろ案内したいけど、何か痕跡が残ると面倒だから私の部屋に直行するね」


「う、うん」


 ついに円寺えんじさんの部屋だ。大丈夫。俺は意気地なしの紳士。何もしない。何もできない。

 心の中でつぶやいて精神を落ち着かせる。


「ようこそ。私の部屋へ」


 扉の先には夢の国が広がっていた。というのは俺の妄想が生み出した幻覚だった。

 高級な外観とは対照的にシンプルな机とクローゼットが置かれていて、ベッドもありきたりなものだ。


 いくつかぬいぐるみが置いてあるものの、イメージしていた女子の部屋に比べると全然少ない。

 それにカーテンも薄い黄緑で落ち着いた印象だしファンシーさは感じられない。


「あんまりジロジロ見ないでよ」


「ご、ごめん!」


「あんまり女の子っぽくないと思ったでしょ?」


「そんなことは……ある」


 円寺えんじさんの前で下手な嘘を付いてもすぐにバレるので正直に答えた。


「どうしても勉強とかに時間が掛かるからし、死んだあとに片付けるには自分以外の

人だから」


 最高の死に方をしたあとのことも考えてのシンプルなレイアウトか。

 それにしても少し引っ掛かったのが片付けるのが『両親』ではなく『自分以外の人』と言ったところだ。


「お金さえ払えばプロの人がすごく綺麗に片付けてくれるからね。私の成績は残るだろうけど、思い出はきっと残らない」

 その寂し気な表情に円寺えんじさんの両親がどんな人なのか察することができた。


 だけど、だからと言って俺から言えることは何もない。他人が口を出すべきじゃない。

 俺は彼女だけを見て、練習台になればいいんだから。


「ほんと、軽々しく何か言わないあたりは最高だと思うよ」


「気が利かないだけだよ」


「私は気が利くと思うけど?」


 どうやらここは何も言わないが正解の選択肢だったらしい。

 現実はセーブ&リロードができないから正解を選べた時の喜びはひとしおだ。

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