第8話
翌日、俺は盛大に遅刻した。
土曜日に早起きをする習慣がないのでアラームを設定し忘れていたのだ。
友達と待ち合わせなんてこともなかったし……。
【ごめん。寝坊した。たぶん10時くらいに到着します】
おばあさんを助けたとか、強盗を捕まえたとか、そんな見え透いた嘘は付かない。
なぜなら相手は何度も嘘を練習して、さらにその嘘を信じてもらえるように常日頃から信頼アップに努める天使の
俺みたいな底辺の嘘なんて簡単に見破ってしまうだろう。だから正直に理由を話し謝罪したのだが。
「既読は付いてるから見てはいるんだよな」
一向に返信はない。
怒って帰ってしまったのか。怒りながらも待っていてくれているのか。駅に着くまでどうなっているか全くわからない。
「うわあ、なるほど。心得てるな」
すぐに答えを出さずに相手を焦らす。周りに人が集まるゆえに様々な人間関係を経験している。
ぼっちの俺との差をまざまざと見せつけられている格好だ。
「このままぼっちの方が精神的に楽な気がしてきた」
思わずぼそぼそと独り言が漏れる。そうすることで多少は不安を体の中から出せる気がした。
電車は確実に高円寺へと向かっている。
このまま反対側の電車に乗って逃げたい気持ちと、早く
逃げたところで明後日には学校で会うわけだし、それなら今日のうちに全てを終わらせておきたい。
「いくら最高の彼氏じゃないとは言えさあ」
自己嫌悪に陥りながら電車に揺られていると
「あの、待ち合わせをしているので」
「いいじゃん。俺らと一緒の方が楽しいって」
「ほらほら、バスケなら教えてあげるから」
ポニーテールにした
アニメならここでスッと割って入ってスマートに助けるんだけど……。
金髪になんか派手な服。絶対に俺と交わることのない人種だ。それに年も上に見える。足がすくんで動かない。
幸い
いや、ダメだ。例え練習台だとしても俺が最高の彼氏にならなければ練習にならない。
練習がうまくいったら別れるし、卒業する前に
スーッと深呼吸をして心を落ち着かせる。ここで噛んだら台無しだ。
一言。たった一言でいいからあいつらに伝えなければ面倒なことになる。
まずは右足、次に左足。毎日無意識にやっている歩行をこんなに意識するなんて。
緊張と恐怖のせいで体をうまく動かせない。テストみたいに見直しや考え直しはできない。一発勝負。
そう思うとクラクラしてきた。
それを練習もなしでやろうとしている。ああ、どんどん
覚悟を決めろ。さあ、いくぞ!
「お姉ちゃん、ここにいたの? お母さん待ってるよ」
「え?」
何言ってんだコイツ? みたいな声を上げたのは
「ほら、行こう!」
こうなったらもう強硬手段だ。
一度手を繋いでおいて良かった。初めてだったらいろいろ限界を超えてしまう。
「あっ! クソッ! 親は面倒だな」
そんな声が聞こえた気がする。
チラリと後ろを見ると泣きそうな顔の
あの様子なら追ってこないだろう。設定上はお母さんのところに急いでいるのでひとまず走り続ける。
土地勘なんて全くないけどとにかく走った。
「ここまで来れば平気かな」
どこかよくわからないけど随分と走った気がする。あんまり
「なによ。お姉ちゃんって」
「だって、なんか
「エロい体ってこと?」
「そうじゃないよ!」
いや、そうなんだけどね。今なんて息を切らしてハァハァしてる姿なんてそれはもう!
さすがに本人を前に『うん』と言える勇気はない。
「だけど助かったよ。ありがとう」
「もっとカッコ良く助けられたらよかったんだけど」
「なに言ってるの。最高の彼氏じゃない割には頑張ってたよ」
「なんで助けてもらって上から目線なんだよ」
「元はと言えば
「大変申し訳ありませんでしたあああ!!!」
道路に頭をこすり付けるのは嫌だったので直角の謝罪をした。土下座を嫌がる時点で謝罪の気持ちが薄いと思われてそうだけど。
「ま、まあ、ナンパ野郎に絡まれて助けられる練習ができたから良しとしましょう」
果たしてあんなことが二度も三度も起きるのか……起きそうだよな。だって
「さ、ウォーミングアップはこれでOKだね。バスケの練習するわよ」
「え? マジ?」
「何のためにここまで来たの?」
「……バスケの練習をするためです」
ナンパから彼女を助けるなんて自分の人生で発生すると思ってもみなかったらすごく体力と精神を削られた。
今日はもうこれでお腹一杯だけど
が天使と底辺の分かれ道なんだろうな。
「ほら、行くよ」
「練習したことは反復しないと忘れちゃうの。それに逃げられたら困るし」
「……逃げないよ」
「初デートに遅刻する彼氏の言葉なんて信じられません」
「これデートなの?」
「デートじゃないの? バスケ練習デート」
バスケ部同士なら成立しそうだけど片方は運動音痴だぞ?
「これは練習なんだから失敗したり変でもいいんだよ」
笑顔でそう語る
「それともお姉ちゃんと弟設定の方がいい?」
「バ……バカ! 同級生とそんなことできるわけないだろ」
「言い出したのは
「うぅ……」
何をやっても
「この辺なら知ってる人いないと思うから、少しだけ彼女っぽいことさせてよ。練習……したいし」
掴まれた左手からじんわりと熱が伝わってきたような気がした。
すれ違う人は俺達にいろんな視線を向ける。
おばさんは微笑ましい感じで見てくれるけど、少し上のお兄さん達は殺意を向けてくる。たぶん俺だってそうする。
でも彼氏(の練習台)になってくれと頼んできたのは
そういう風に考えるとちょっとだけ優越感に浸れた。
「
「え? なに?」
「だから、ドリブルとシュート。どっちの練習が必要?」
女の子と手を繋いで歩くという経験がほぼなかったのと変な優越感で舞い上がっていた。
「……どっちも苦手」
「まあそんなことだろうと思った。じゃあドリブルから練習しようか。ドリブルができないと完全にお荷物だし」
「それは自分がよくわかってる」
ドリブルができないとパスが回ってこない。それだけならいいんだけど、味方チームにしてみればメンバーが1人減っているようなもの。
なんともいたたまれない時間が過ぎ去っていくのが辛い。
「何事も練習が大事なの。たまにセンスだけ乗り切れる人もいるけど、そういう人はいつかケガをして選手生命が絶たれるって聞いたわ」
「
「それはそれ。ほら、あそこの公園」
古びたバスケゴールが立っているが誰も使っていない。
「そういえばボールはどうするの?」
俺はバスケボールなんて持ってないし
「ふふふ。ボールを抱えたままだと手を繋げないと思って事前に隠しておいたの」
そう言って近くの茂みをガサゴソとかき分けると、その手には少し汚れたボールがあった。
「よく盗まれなかったね」
「今朝隠したばっかりだからさすがに大丈夫でしょ」
得意げな笑顔を浮かべているけどよくそんなにも人を信用できるものだ。
俺みたいな底辺と人生の成功者では他人に対する評価も違うのだろうな。
「さ、やるわよ。
おもむろに
「ああ、うん。俺はこのまま」
四月とはいえ今日はまだ肌寒い。どれくらい動くかわからないしひとまず上着は脱がないでおいた。
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