第5話
俺と
そう、特に何もなく……。
この一週間まともに会話していない。
前の席の上田くん、後ろの大野くん。どちらも自分から話し掛けるようなタイプには見えないが、クラスの中で気の合うやつを見つけたらしく休み時間になるとそこに行ってしまう。
左の列は女子の列というのもあるし、
中でも小山内さんは俺に敵意を向けているけど、それを
感情の起伏がジェットコースターのようで心配になるレベルだ。
「
教室移動の直前。
「……」
否定するのは嘘を付くことになるし、肯定すれば自分で自分の心を折ることになる。俺は黙り込むことしかできなかった。
「彼氏彼女ってさ、教室移動の時も一緒に歩いてそうじゃない?」
「どうかな。学校の中では友達と一緒にいるイメージだけど」
恋人どころか友達もろくにいない中学時代を過ごしていたので本当のところはよくわからない。
「私はクラス委員の仕事を頼まれてるからって、みんなには先に行ってもらったの」
「へー、そうなんだ」
その仕事には心当たりが全くなかった。浅倉先生も俺じゃなくて
「クラス委員の仕事なんて嘘なんだけどね」
「え?」
いつも教室の中でみんなに見せる天使の笑顔ではなく、たくさんの男を誘惑してきた魔女みたいな妖しい笑みを浮かべている。
「こういう嘘はね、練習したんだ。最初は誰も信じてくれなかったけど、一人になり
たい時とか、よくこうやって人払いしてた」
「そっかー。一人になりたいなら俺はこれで……」
ただならぬ雰囲気を察した俺はこの場が立ち去ろうとする。しかし、ガッと腕を掴まれてしまった。
「
「あの話……マジだったんだ」
「そうじゃなかったら一緒にクラス委員なんてやらないわよ」
「最初からクラス委員にはなるつもりだったの?」
「それは……まあ。クラス委員になれば部活に入らない口実になるし」
「
トップ選手に比べたら背は低いかもしれないけど手足はスラッと長い。それにユニフォームも似合いそうだ。
「練習すればできるようになると思うけど、勉強も1番にならないといけないし、それに今は……か、彼氏だって」
いつもの自身と慈愛に溢れた顔ではなく、恥ずかしそうに頬を染める姿は守ってあげたくなるような女の子のそれだった。
「と、とにかく! 誰かに見られるまではこうして腕を組んで……っ!」
「どうしたの?」
「
「……」
俺から指摘するのもなんか違う気がしてどうにか心を鎮めるようにしていたんだけど。
「いや、だって、それは
「うぅ……失敗した。力加減がわからないからつい……」
彼氏が居たことのない女の子がいきなりあんな積極的なスキンシップをしたらああなっちゃうよな。俺も人のことを言えないだろうけど。
「あの、ほら……ブレザーって生地が厚いから感触はそんなに」
なんてフォローしてみたものの、女の子の胸に腕が当たっている事実は高校1年生にはいささか刺激が強いわけで。
「……本当?」
「ほ、本当だって。ハハハハハ」
若干前屈みになりながら笑って誤魔化した。
「腕を組むのはまだ早かったみたいね。手……手を繋ぎましょう」
「まだやるの!?」
「私に残された時間は少ないの。どんどん練習して、最高の彼氏を作るのよ!」
まだ見ぬ最高の彼氏を追い求める
「ひゃっ!」
「そんなに驚かなくても。手を繋ぐって言ったの
女子と手を繋ぐなんていつ以来だろう。そんなことを考えると手汗が止まらない。
「ごめん。なんか……汗が」
「へあっ!? べ、別に気にすることはないと思うよ。人間だもの、汗くらいかくわよ」
人の手ってこんなに暖かいんだな。だけど死んだらきっと冷たくなる。
例え練習台だとしても
「あ、ほら。他のクラスの人が廊下を歩いてる。やっぱり手を繋いで移動は無理だよ」
手の温もりを感じられたのは幸せだけど、こんな姿を誰かに見られたら一気に噂が広まってしまう。
なんせ相手は天使だ。俺が弱みを握って脅してるとかあらぬ噂が立つ可能性だってある。
「……私と手を繋ぐの……イヤ?」
身長差はほぼないけど、ほんの数センチの差から生まれた上目遣いにドキッとしてしまう。
「イヤじゃないけど……」
「けど?」
「俺達練習のカップルなわけじゃん?
その最高の彼氏も高3の時に最愛の天使彼女と永遠のお別れをするのに、なんで
「……それもそうね。わかった。手は繋がない。でも……」
パッと手を離したかと思うと
「うわあ!」
「えっ!? えええ!?」
突然の出来事で俺は反射的に回避行動を取ってしまい、同時に
「危ない!」
初めから俺が
「いっっ!」
体ごと床に倒れ込んで思い切り背中を打った。人間の生存本能は素晴らしく、無意識に顎を引いたおかげで頭は無事だ。
「最高の彼氏ならもっとカッコ良く私を助けられると思うんだけど?」
「最高の彼氏だったらあそこで避けないでしょ」
「それもそうね」
「ところでさ」
「なーに?」
「早くどいてくれないかな」
「重いって言いたいの?」
「次の授業遅刻するって言いたいの」
俺の体には何がどうなったのか
俺が下敷きになったので
胸に腕が当たっただけであんなに恥ずかしがっていたのに、今は体全体でその膨らみを感じている状態だ。
しかも
「私ね、
「どうしたの急に?」
「もし相手が恋愛上級者なら、こんな風に失敗した時に愛想を尽かされちゃう」
「それって遠回しに俺のことバカにしてない?」
彼女(仮)をカッコ良く助けられないから反論はできないんだけど。
「……本当に遅刻しそうね。練習は一旦おしまいにして理科室に行きましょう」
「顔、赤いわよ?」
「そういう
天使みたいな女の子とこんなに密着して興奮しない男子高校生はいない。
自分の体のことは自分でよくわかっているけど、
「わ、私は……失敗して恥ずかしくて……そういうことだから!」
勢いよく立ち上がると
「いてて。立つ時にちょっと辛いかも」
背中のダメージは本物だから今の出来事もきっと夢じゃない。
「もし俺があそこで勇気を出してたら、俺が最高の彼氏になれたのかな」
背中の痛みに耐えながらそんなことを考えていると始業のチャイムが鳴った。
授業には遅刻したけど、実験中にこっそり理科室に入ったらセーフだった。
俺の存在感って一体……。遅刻扱いでいいから、せめて先生くらいは気付いてほしかった。
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