第2話

 凡庸な俺の自己紹介はクラスの誰の心にも残らなかったのか、円寺えんじさん以外に話し掛けられることはなかった。

 自分から話し掛けなければ友達はできないとわかっても勇気は出ず、入学式やオリエンテーションの合間に訪れた休み時間はゆっくりトイレまで歩いてやり過ごした。


「はあ……結局何も変わらないのか」


 ため息と一緒にこんな独り言まで漏れる始末。

 そして高校生活はラブコメみたいな青春だけでなく、今まで通り授業もある。

 必死に勉強してギリギリで入学できた高校の授業にこれから付いていけるのかという不安にも襲われた。


「鏡の向こうは異世界……なんてラノベだけだよな」

 そっとトイレの鑑に触れると死んだ目をした自分の顔を確認することしかできなかった。


「ねえ、死にたいと思ったことはある?」


「ひいっ!?」


 男子トイレの中で急に背後から女の声が聞こえて思わず悲鳴を上げてしまう。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。私、早くもクラスの人気者なんだよ?」


 声の正体は天使……円寺えんじさんだった。

 校門の前で一目惚れした時や教室で見た時とは違う、ただ華やかなだけでなくどこか切なそうな雰囲気をまとっている。


「もっと教室に近いトイレはあるのにこんな所まで来るなんて、金雀枝えにしだくんは学校探検でもしたかったのかな?」


「まあ……そんなところ」


 今日は入学式で2、3年生は授業がないらしい。そんな日なので本当のところはわからないけど、人気ひとけのない場所を探すという目的も多少はあった。


「今の金雀枝えにしだくんが死んじゃったとして、どれくらいの人は悲しんでくれるかな?」


「は?」


 突然死んだ時のことを聞かれて思考が停止する。両親はこの高校に合格したことをすごく喜んでくれた。だからきっと悲しむと思う。他には……。


「家族以外の人に惜しまれそう? 新しいクラスになって1日目だからクラスメイトの顔は思い浮かばないでしょう? だけど、それだけが理由?」


 円寺えんじさんの言葉で全身から嫌な汗が噴き出してくる。誰にも悲しんでもらえない? だけどそれは事実かもしれなかった。

 客観的に考えて、自分自身が死んで悲しめるとは思えなかった。


「それで、死にたいと思ったことはある?」


 初めの質問に戻った。


「それは……なくはないけど」


 生きていてもつまらない。勉強したって意味がない。逃げ出したい。死んだって構わない。

 そう考えたことは何度もあったけど、新しいゲームが発売されたり漫画を読むとそんな気持ちはなくなって、刺激がなくなったころに死にたい気持ちが現れる。その繰り返しだ。


「私はね、最高の死に方をしたいの」


「え?」


 人に死にたいかと尋ねたかと思えば、円寺えんじさんはいきなり最高の死に方をしたいと言い出した。

 突拍子のない発言にも関わらずその美しさが言葉に深い意味を付加しているように感じる。


「とても綺麗な姿で死んで、みんなに悲しんでもらいたい。惜しい人を亡くしたっていつまでも語り継がれたい」


 まるで演説のように手を大きく広げ円寺えんじさんは言葉を続ける。


「だから私は勉強を頑張った。スポーツの練習もした。誰もがうらやむ美しさを目指した。それが嫌味にならないようにクラスでの立ち位置にも気を配っている」


「……まさか今がその最高の死のタイミングって言うじゃないよね?」

 円寺えんじさんは首を横に振った。よかった。ここで今死なれたら俺が殺人犯扱いされるところだ。


「私のピークは高校3年生の時だと思ってる。まだこの体には幼さが残るもの。それに……」


「それに?」


「私の死を最高に悲しんでくれる最高の彼氏がいない」


 誰もいない男子トイレ。そこで一躍人気者になった天使なクラスメイトに彼氏がい

ないことが判明した。

 まさかこれって……胸の鼓動が高鳴る。


「自己紹介でも言った通り、私って本当に要領が悪いのよ」


「う、うん」


 要領が悪くても一緒に一つずつ階段を登っていこうぜ。的なことは言えず、しどろもどろな返事しかできない。


「すでに同じクラスの男子達とIDを交換したけど、ああいう男はダメ。私の練習相手として相応しくないっていうか、向こうのペースでなしくずし的にいろいろ経験しちゃいそうでイヤ」


 いろいろというのはつまりそういうことだ。俺と真逆の世界に生きる陽の者がイヤというなら、それって……それって……!


金雀枝えにしだくん、恋愛の練習相手になってくれないかしら?」


「はい! 喜んで! ……ん?」


 このシチュエーションなら100%愛の告白だろうと予想してあらかじめ返事を用意しておいた。

 そうでもないとこの奇跡を逃してしまいそうだから。

 しかし、円寺えんじさんからの告白は予想とは少し違うもので即答してはいけないものだった気がする。


「あの……練習相手というのは?」


「そのままの意味よ。私、本当に不器用で初めてのことは絶対に失敗するのよ。練習させすればどうにかなるんだけど」


「えーっと、俺で練習して、最高の彼氏が現れたらそっちが本番ってことでしょうか?」


「その通り。悪い話じゃないと思うんだけど」


 俺みたいな平凡以下の陰の者が練習とは言えこんな天使と恋人になれるのはまさに奇跡!


「でも、せっかく練習しても円寺えんじさん高3で死ぬんでしょ?」


「ええ。残念ながら死ぬ練習はできないから入念に準備するつもり。これが私の最後の3年間ね」


 入学当日に高3で死ぬ宣言をするなんてどう考えても円寺えんじさんは頭のおかしいやつだ。だけど、円寺えんじさんの言い分もわからなくもない。


「一つ聞いていいかな。円寺えんじさんはどうしてそんなに死にたいの?」


 要領が悪くてもそれを努力でカバーして、入試では学年のトップになっている。このまま生き続けるという選択肢だってあっていいはずだ。


「両親を見てるとね、長生きする意味ってなんだろうって考えちゃうの」


 さっきまでの堂々として語り口から一転してどこか寂し気な口調で円寺えんじさんは語る。


「表向きはとても良い両親よ。とても良くしてくれるし、入試でトップになった時も喜んでくれた」


 俺は相槌を打つだけで黙って話を聞く。


「父さんはたくさんお金を稼ぐし、母さんは最新の美容グッズでいつまでも綺麗よ。それでも二人とも年を重ねていくとボロが出てくる。経年劣化。人も物の時の流れには逆らえない」


 時の流れには逆らえない。タイムマシンの研究もされてはいるみたいだけど今のところは円寺えんじさんの言う通り。それを受け入れるしかない。


「それにね。努力でトップになれるのはせいぜい高校生までだと思っているの。勉強も運動も、他の分野でも。才能のある人が努力したら絶対に追い付けない」


 円寺えんじさんの言葉が胸にチクりと刺さった。勉強の才能がないのに努力した結果、高校でも底辺の成績になる予感がしていたから。


「だからって死ぬことはないんじゃない? トップにはなれなくてもいろいろできるようになったんだし」


 死ぬことない。この言葉は円寺えんじさんではなく自分自身に言い聞かせたかった。

 学年トップが死ぬなら俺は何回地獄に堕ちなきゃいけないんだ。


「いいえ。だから死ぬのよ。自分ができる全力を出し切って、周りに可能性を感じさせながら美しく」


 その瞳にはこれから死ぬとは思えない生命力がみなぎっている。


「でも、死ぬって言ってもどうやって? いざ自殺しようとしてもビビって怪我して終わりだよ」


「そうなのよ。実はそれが問題で……」


 円寺えんじさんはため息を付く。


「飛び降りなんてしたらこの美しい顔が台無し。首吊りも見た目が悪くなると聞いたわ。この美貌を保ったまま死ぬ方法を探しているんだけどなかなかなくて」


 そんな都合の良い方法が本当にあるの俺も知らないけど、死に方が決まってないなら高3になった途端に死ぬことはなさそうだ。


金雀枝えにしだくんって何か目が死んでるから良い死に方を知ってると思ったんだけど」


「恋人の練習相手に選んでおいて酷くない!?」


「ふふふ。冗談……ってわけでもないんだけど、恋人の練習相手になってくれる?」


 はっきり言って円寺えんじさんは俺を利用しようとしているだけだ。それも理由はかなり不純。

 死んだ時に悲しんでくれる恋人の練習なんて何をさせられるかわかったもんじゃない。


「練習って……どこまでするの?」


 男子高校生は自分の欲望を抑えることができなかった。


「ふーん。目は死んでても体は元気なんだ?」


 円寺えんじさんの人差し指がへそのあたりを触れると、そのままツーっと下に降りていく。

 彼氏が居ないと言っていたにも関わらず男慣れしていそうな手付きだ。


「あ、あの……!」


 止めればいいのか、それとも身を任せればいいのかわからず言葉に詰まる。


「あっ」


 円寺えんじさんがマヌケな声を上げたと同時に股間が妙にスース―するのを感じた。

 何を思ったのか、何がどうなったのか、人差し指1本でスラックスのファスナーを開けてしまったのだ。

 それだけならまだしも、女子慣れしていない俺の体はそれはもう血流が良くなっているわけで。押さえる布がなければ元気に主張するわけで……。


「ひっ!」


 俺はいつ使うかわからない自分の武器も毎夜鍛え上げていた。その結果、天使にとんでもないモノを見せつけてしまったのだ。


「こ、これは円寺えんじさんが勝手に!」


 その声が届いたかわからないが円寺えんじさんは黙って走り去ってしまった。

 円寺えんじさんが誰かに被害を訴えることはないだろうけど、隣の席に座る人とここまで気まずくなる事件なんてあるだろうか?

 クラスでの居心地の悪さを考えると自然と俺の武器も戦闘態勢から解き放たれ、そっとファスナーを上げて教室へと戻った。

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