陰の4

 群馬県の舘林にある彼の実家は、なんていう事のない、ごく当たり前の家庭だった。

 両親はまだ健在。父親は長年地元の市役所で福祉課の部長にまでなった人、母親はごく平凡な専業主婦だった。

 吉井保について訊ねると、

『息子は大学を卒業してから、一旦こちらで就職したのだが、三か月ほどで辞め、今は東京で働いている』と、両親は口を揃えて教えてくれた。

 何度か連絡はあったが、もう随分長い間音信不通の状態が続いているという。

 最後に連絡があったのは二か月前で、現在は都内にある、主に外国向けに工作

機械を輸出する会社に勤務しているとの事だった。

 その時は今時珍しく葉書で、ワープロで印字していたので、本人が書いたものかどうか判別は付かなかったし、ただ名前はボールペンで書いてあったが、わざと崩して書いてあり、本人のものかどうか判別は付かなかった。

現在いまはあの子がどこで何をしているのか、さっぱり分からない”

年老いた両親は困ったような顔で口を揃えたように言い、それっきり何も答えようとはしなかった。

 俺は音信不通になる前に彼が送ってくれた葉書を借り、そこにしてあった消印を頼りに保の行方を捜した。

 地元の印刷会社を退職した後、再び上京して最初に勤めたのが、中野にあった新古書店、秋葉原にあったライブハウスという具合で、アルバイトを次から次へと渡り歩き、最後は大手の貸倉庫会社のメンテナンスの見習として働いていたという。

 職場での評判は、仕事ぶりは”真面目”だったが、同僚ともあまり口を聞かず、当たり前だが友達もいない。極めて印象の薄い青年だった。

”いるかいないか分からない男”誰も彼もが異口同音に同じ感想しか漏らさない。

 当然ながら住所も何度か変えている。

 そしてようやく突き止めたのが、今のこのこの本駒込の賃貸マンションという訳だ。

 だが、一つおかしなことがあった。

 今のマンションを斡旋した不動産会社を突き止めたところ、

 応対した社長が言うには、

”ウチへ最初に訪ねて来たのは、男性ではなくて、女性でしたよ”という答えが返って来たことだ。

部屋へやを借りたいんですが”彼女は小さな声でぼそぼそと話した。

 どうみても四十代は軽く過ぎている女だった。彼女は”住むのは私ではありません”といい、吉井の名を出し、

”自分は彼の遠縁の小母だ”と名乗り、運転免許証を出して見せた。

 何でも”今度東京の会社に就職したのだが、今は忙しくて自分で部屋探しをしている余裕がないから頼まれた”そう答えた。

”その女性ですか?ええ、地味な女性でしたね。お世辞にも美人ではありませんでしたな。右の頬に大きな黒子ほくろがあり、こっちが何を聞いても下を向いたまま小さな声でぼそぼそと話す、陰気な感じのする女性でした。”


 二~三軒ほどの物件を見せて回り、最終的には本駒込のあのマンションに決め、

 敷金や礼金も彼女が支払い、

”一週間くらいで本人が入居しますので”と言い残して去っていったという。

 果たして一週間ほどして、吉井保を名乗る男が現れた。

 彼の写真を見せてみると、

”何しろ大きな眼鏡で顔を隠していたし、この節でしょう。マスクも付けていたから、あまりはっきりとは・・・・”と、自信なさげな返事が返って来た。


 吉井と名乗る男は入居に必要な書類を一切合切整えて来て、提出し、

その場で鍵を受取って帰り、それからまた三日経って、マンションに入居したのだそうだ。

 最初にやってきた女性については、彼女が答えたのと同じく、

”遠縁の小母さんです。”としか答えなかった。

 不動産屋の方にしても、書類は整っているし、金も払ってくれたわけであるから、疑う余地はないと思ったそうだ。

 奇態な話だな。

 俺は思った。

 しかし、何か不思議な匂いを感じていたのも確かである。



 

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