陰の3

 肉体関係が出来てから、半年が経った頃、亜矢子は保に別れを切り出した。

 彼の実家は群馬県の舘林市にあり、卒業後は地元で就職も決まっていた。

”私も結婚している身だし、家庭を壊す気はないわ。それに私は貴方より20歳も上なのよ。元々どうにもならないわ”

 彼女がそう説得しても、保はなかなか同意しなかった。

”僕は亜矢子(肉体関係が出来てからというもの、彼女の事を下の名前で、呼び捨てにして呼ぶようになった)を愛しているんだ。亜矢子を僕だけのものにしたいんだ。頼むから別れるなんて言わないでくれ。君だって僕の事を愛してるっていってたじゃないか”

 彼は何度もそう言って責め立てた。

 確かに亜矢子も彼を愛していたのは事実だったが、しかしここまで執着されると、次第に怖くなってきた。

 日に何度も携帯にメールを送ってくる。

 電話も最低20回はかけてくる。

 警察にも相談をしようと考えたが、夫や子供達に彼との関係が露見するのを恐れ、躊躇ためらった。

 我慢の限界だった。

 彼女は携帯の番号を変え、eメールのアドレスも変え、LINEも止めてしまった。

 幸い固定電話の番号は伝えていなかったので、こちらにはかかってくることはなかったが、しかし携帯へは、何度ナンバーを変えても、どこで調べたのか、日に最低20回はかけてくる。

 メールも飽きることなく送って来た。

 彼女は恐ろしくなり、携帯電話の会社を変更し、迷惑メールをシャットアウトする機能で、どうにか防ぐことが出来るようになった。

 しかし職場ではどうしても顔を合わさざるを得ない。

 だが、流石の彼も人の目を気にしているのか、そこでは何も言ってはこなかった。

 そのうちに卒業間際になって、彼はバイトを休みがちになり、遂には辞めてしまった。

 理由は誰にも話さなかったという。

 それっきり、メールも、電話も来なくなった。

 彼女は安心して、またいつもの平穏な生活を取り戻したように感じ、ほっとしていた。

 だが・・・・一か月前、また彼女の恐怖が再燃した。

『これを見て下さい』

 彼女は傍らに置いていた中型のショルダーバッグを開け、中から十通ほどの封筒を取り出した。

 金釘流の下手くそな文字で、彼女の宛名が書いてある。

 どれも同じ字だった。

 封筒を裏返してみると、差出人は住所こそ書いていなかったが、どれも、

”ヨシイ・タモツ”となっていた。

『見ても構いませんか?』

 俺の言葉に亜矢子は黙って頷く。

 封筒を開けてみると、そこにはやはり金釘流の文字で、

”僕はまだ貴方を愛しています。だから絶対に貴方を忘れません。”最初はその程度であったが、何通か読むと、次第に文体が奇怪さを増してくる。

”何故僕を嫌ったのですか?その訳を教えて下さい”

”貴方が僕を捨てても、僕は絶対に貴方を捨てません。いつまでもいつまでも貴方の傍に居ます”

”そんなに僕を嫌うなら、僕にも考えがあります”

 最後の十通目には、そんな言葉で締めくくられ、それから隠しカメラで盗撮したのであろう、彼女の裸体が写した写真が二枚同封されてあった。

 封筒に押された消印はどれもバラバラで、一つとして同じものはない。

 恐らく彼は自分の居場所を知られるのを恐れて、別々の場所から投函しているのだろう。

『もう、こうなっては腹を括って、警察に相談してみてはいかがです?』俺がそういうと、彼女は、

『私もそう思い、所轄の警察署に相談をしてみました』

 しかし、警察おまわりってのは薄情なものだ。

 世の中にこれほど”ストーカー”という危険な連中が溢れかえっているのに、

”誠にお気の毒ですが、この程度では警察力を動員することは出来ません。もっと何かしっかりした証拠を固めないと”

 それが彼らの答えだったという。

 俺は立ち上がり、またコーヒーを淹れて戻って来ると、一気に飲み干してから、彼女に言った。

『よろしい。引き受けましょう。要するにこの吉井保君の行方を突き止めて、彼にストーカー行為を止めさせるようにすればいいんですな?料金は一日6万円と必要経費。それから拳銃が必要だと思われるような状況に立ち至った場合は、危険手当として、一日4万円の割増し料金を付けます。これが契約書です。良くお読みになって、納得出来たらサインをお願い致します』




 

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