陰の5
『”犯罪の陰に女あり”ってか?』
ジョージはハンドルを握りながら軽口を叩く。
俺は何も答えずに、時々外の景色を眺めながら、タクシーに目をやる。
張り込みを開始してからこっち、ジョージには他の仕事をキャンセルして付き合って貰っている。
俺だって一応免許は持っているから、運転位はやろうと思えば出来るのだが、然し何しろ下手くそだ。
MT車の頃は、エンストを起こして、交差点の真ん中で後ろから怒鳴られたことも幾度かあるし、AT車でもアクセルとブレーキを間違えて、ガードレールに激突したことさえあったくらいだ。
無駄なことは元来したくない。
そんなことが続いてから、車の運転は止めてしまった。
しかしどうしても車での追跡が必要な時に、俺の足になってくれるのはこのジョージという訳だ。
彼は俺の仕事には殆ど口を出さない男だが、時折、思い出したように何か言ってくる。
『なあ、ダンナ、男を追いかけるより、女を調べたも方がいいんじゃねぇか?いや、探偵はあんたの仕事だがよ。俺はその方がいいと思うぜ』
いつもなら、彼の無駄口を聞き流すか、
”黙ってろ”といって封じてしまう俺だが、今日は何故かそうする気持ちになれなかった。
『なるほど、お前の言うのも最もかもしれん。だが、今はあの男を付ける方が先決だ』
俺の言葉に、
『まあ、そうだな。いらんことをいいましたな。ホームズ先生』
彼はそう言ってちゃかしたが、彼のこの言葉が、まさかずっと後になって、あるきっかけになるとは思ってもいなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
”彼”の乗ったタクシーは、大田区の、軒の低い町工場が立ち並んでいる一角まで来て止まった。
俺はジョージに少し間を置いて停車して貰い、そこから先は歩いて行くことにした。
『大丈夫かい?ダンナ』
『心配するな。ここから先は俺の領分だ。』
俺は片道分の料金を渡し、
”少しの間ここで待っていてくれ”と頼み、彼の後を付けて行った。
彼が入ったのは、この辺りには珍しくもない、ネジなどを造っている小さな工場だった。
辺りを十分に確かめながら、足音を忍ばせ、鉄の階段を上がる。
ポケットを探り、カギを開け、中に入った。
物陰に隠れた俺は、暫くそこで待つ。
すると、ものの五分ほどで、ドアを開けて奴は出て来た。
入っていった時以上に用心深く辺りを見回しながら階段を降り、辺りを見回しながら。
『おい』
階段を降り切った時、物陰に隠れていた俺は背後から声をかけた。
飛び上がるようにして振り返る。
初めて幽霊をみた時のように、眼鏡越しに俺の方をまじまじと眺めた。
認可証とバッジを顔の前に突き付け、
『変な真似をするなよ。免許持ちの探偵が拳銃を持ってるってことは、あんただって知ってるだろう。大人しく俺に付き合って貰おうか?』
俺の言葉に、彼は逆らうこともなく、黙って先に立って歩き出した。
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