第29話 ヒーローの矜持

登場人物

―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士、ヒーローチーム「ネイバーフッズ」の臨時リーダー。

―ローグ・エージェント…暗躍するソ連の軍人。



一九七五年、八月:ニューヨーク州、マンハッタン、停泊中の貨物船上


 概ね、ある種の平和が感じられた。確かに、この男との闘争の中では、複雑な事を考えずに済むような感覚があった。

 無論、このソ連のどこかの機関に所属すると思われる男は、ケインの戦友達の殺害に責任があるのだが。

 戦争の中での出来事ではあった。しかしそれでも、彼らには家族がいた。チームの一人を裏切らせ、それによって殺害を容易にした――ブキャナンは売春をしに行くという体で、実際はドッグフード部隊の情報を敵に渡していたのであろう。

 あの時疑うべきであったのか。ブキャナンは『そういった行為』をしに行くという事を、あまりにもぶっきらぼうに行った。彼には妻がいたし、ある種の恥ずかしさや罪悪感を誤魔化すためにそうしたのかと思った。

 あるいは『軍という圧倒的な男性社会において、俺は結婚しているが、これから一発ヤッてくるぜ、というような態度をぶっきらぼうに取る事』が『クール』な行為――少なくともブキャナンにとってはそうなのではないか、と――であって、そのアピールのためにそうしているのかと考えたような、そのような覚えもあった。

 なんであれ、その結果ブキャナンの妻、及びその他の家族は『裏切り』の烙印を押される事になったのであろうか。それを考えると世の中の残酷さに身震いした。

 そしてブキャナンによる裏切りがテト攻勢という大きな流れの中で、眼前のローグ・エージェントとその雇われどもに、ケインの戦友達の命を差し出す形となった。

 目の前の男は冷酷である。殺す事に躊躇いが無い。拷問まではするかは不明だが、必要になれば紙屑を捨てるように人の命を奪い、顔色一つ変えまい。

 あの謎の忍者と戦ったのがケインではなくローグ・エージェントであれば、恐らく一切容赦せずに殺害したはずだ。奴からの好奇の視線は明らかに、忍者を殺さずに無力化した事への戸惑いであった。

 まあケインからしてみれば、『殺して欲しいのか? では余計に殺したくなくなった』という事であるが。巻き添え被害も考えずに暴れ回る手合いであろうと、殺せば後悔する機会さえ奪われるのだ。


 色々考えたが、何故この巨漢との闘争がある種の『何も考えなくて構わない時間』であると感じられるのか、ケインにはよくわからなかった。

 これはなんであるのか、どのようなものであるのか。もしかすると、あくまでこの冷酷な殺人者は実行者であって、それに命令を出している誰かではないからかも知れなかった。

 とは言っても、この男の命令の下で奪われた命もあろう。そう考えると余計にわからなかった。サンボの達人との本気の打ち合いは初めてだが、恐ろしい程の強敵であった。

 軍人に求められるような、打撃と投げ・掴みが融合した武を練り上げ、対応できない概念を無くそうとしているのがよくわかった。まあその上で、己の体格的アドヴァンテージの喪失を恐れている節はあるが。

 二連の高い回し蹴りをすうっと回避し、その勢いで回転して裏拳から高速の連打を放ち、相手はそれを腕と肘とで捌いた。相手の膝をガードしながらその勢いを使って軽く跳ぶように後退し、それから互いに再び推手じみた状況へと持って行った。

 目に見えない刀剣や長柄を構え、それが想像上で触れ合う様を互いにシミュレートしていた。ケインは間合いの長いクォータースタッフを思い描き、その可能性を想像したローグ・エージェントはシミュレートされたシャーシュカを長めの間合いで構えた。

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