第19話 これ以外の道とてあった
登場人物
―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士。
―謎の忍者…ローグ・エージェントが放った刺客
一九七五年、八月:ニューヨーク州、ブルックリン、ウィリアムズバーグ
殺さずに無力化せよ、というのが差し当たっての目標であろう。簡単な事だ。相手の抵抗を叩き折る。その心に根差す生意気な邪悪さを叩き壊す。もうやめたい、やりたくない。そう思わせる。
それなら簡単な事だ。ジェームズ・フィグの技は破壊力がある。その劇的な効果は心にも突き刺さる。肉体への損傷と同時に心にも損傷、感じた事もないような痛みを与える。
これ以上戦いたくないと思わせて、戦意を挫き、大の大人を泣かせる。悲惨ですらあり、自殺すらしたくなるかも知れない――そうならない程度の塩梅がいい。
ケインは相手が理解のできる範囲の犯罪者であればそこまでするつもりはない。それこそ、他人を脅したり盗んだりして財を奪う行為であれ、それに染まらざるを得ない事情を考慮もできる。
どうしようもないクズに思えようとも、必ずしも同情できないわけではない。
だが、世の中には明白に、己の手で邪悪の道に進む者もいる。それはじわりじわりと後戻りのできぬ堕落の沼へと沈んだのではなく、己の意志によって嬉々として突き進んだ場合だ。
他に道を選択できるぐらい恵まれている者が、あえて悪を欲する。そのような悪は強固だ。
強固で、柔軟性があって、言い訳が無く、悪徳を進んで受け入れる。それは絶望の淵で、路上の犯罪者に堕ちる他に何も考えられなかった者とは明確に違う。
どうしようもない貧困で、周りに誰も尊敬できる規範が存在せず、家族も怠惰で、周囲に悪が溢れた環境を想定してみるがよい。
そこから抜け出す手段など無く、学習や労働への意欲、『将来こうなりたい』という目標を培う事が事実上不可能な地に生まれ落ち、『社会の落ちこぼれ』『劣った者』として無意識に見做され誰からも敬われる事は無い。
そのような時、邪悪へと堕ちる者もいる。それは他に道が見い出せず、周りに引き摺られてそうなる事が多いのであろう。
その生き方以外に、何も想像できない。あらゆる貧困と犯罪には、恐らく典型の一つとしてそのようなものがある。
だがそうでないものを想定してみるがよい。例えば誰かが軍を辞めたとしよう。精神的にも健常で、誰かから、あるいは社会から粗雑に扱われる事も無く、その気になればどのような生き方もできる者。
断っておくがその者には『戦場での事が忘れられない』『日常生活に戻ったギャップ』など無い。そのように想定してみるがよい。
そのような者が、あえて己の意志、明確な選択によって邪悪に堕ちるとすれば。軍で教わった特殊な技能、例えば銃を撃ったり武術を使ったり、爆弾の製造、あるいは何かしらのコネでも使って闇市場に参入する。
それは別に、そうしなくてもよかったはずだ。他に、もっと穏当に暮らす事もできたはずだ。だがそうせず、あえて邪悪になる事を選ぶ者だ。
そして目の前の暴走した忍者は、実質的にはそのような者なのだ。その技能をどのようにも活かせた。
あるいは日常生活ではそれを使う事が無くとも、その過程で学んだ精神性を糧に、堅実かつ力強く生きていける自由と、それが許されるだけの地位があったはずだ。
だが奴の内側に見えるのは、ウォーター・ロードやジョン・スミス、そしてその他の驚異的なスーパーヴィラン達と同じであった。ケインとて、ヴェトナムで仲間を皆殺しにされた経験がある。
裏切り、処刑。憎悪に染まって復讐に走る事もできた。その果てに、正義を尊ぶどこかの誰かに阻止されるか、悲惨な死を遂げる事もできた。
だがケインはそうしなかった。何故なら彼には、邪悪の道に進まない自由と、それを行使できるという特権があったからだ。
彼はそれを謳歌したのだ。その特権を使わず、あえて邪悪を選んだ者達との差を意識した。
さて、止めるとするか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます