第16話 〈真の時間〉

登場人物

―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士。

―謎の忍者…ローグ・エージェントが放った刺客



一九七五年、八月:ニューヨーク州、ブルックリン、ウィリアムズバーグ


 ケインは極限の状況下で己の持つ能力、すなわち物体の軌道――特に銃弾とか――が見える能力が更に拡張されているのを薄っすらと感じていた。

 今までは人体については例外があったように思えた。だがそうではなくなりつつあるような感覚があった。

 高速で四方八方を稲妻のように動き回る怪物化した忍者は、その肥大化した巨体の一部を視認する事でさえ常人には難しく、超人兵士であるケインにもなかなか捉えるのが難しかった。だが、予測に新たな要素が加わりつつあった。

 しかしまだ使えるものとは言えなかったので、今のところケインはそれまでと同じように戦う事を選んだ。

 どうであれ、先人の知恵と技があれば対応できない事も無いのだ。相手の速度は確かにとんでもなく速い。だがそれだけだ。

 すれ違いながら相手が蹴りを放とうとするのを察知した。これも予測していた事だ。ケインは身を少し捻ってそれを回避した。

 相手は己の予想通りにならなかった事に苛立ってか次も攻撃してきた。奇妙な鋭角の方向転換を空中で行なって、それで仕掛けた。

 だがこれも問題は無い。右手で相手の腕を逸らしつつ、逆の手で腕の筋肉を殴ってやった。少しの違和感でもいい。徐々に刺さっていく。

 ケインの打撃は常人のそれではなく、超人兵士の筋力によって放たれるものであるから、肥大化した筋肉の鎧があろうとも完全には防げなかった。

 次もそうした。その次もそうした。その更に次もそうした――裁き、反撃、その繰り返し。原理は簡単だ。次の手が予測できていて、常人以上の肉体を持ち、そしてよく訓練していれば、可能な事なのだ。

 今のケインは己の動作を最速に近付けようとしていた。常にそうしていたのだ。普段はそこまで意識していなかった動作の手順を、真に速くするための順番で組み立てて各挙動を行なっていた。

 足から始まるのは遅い。それは〈偽の時間〉フォールス・タイムだ。

 手から始めよう。それは〈真の時間〉トゥルー・タイムだ。

 激しい攻防の中で常に最速の順序を組み立てられるわけではないが、しかし八割以上の精度が出れば、ケイン自体が何かしら薬物的な強化を更に受けなくても怪物の速度に追い付けるのだ。

 相手は徐々に刺さる反撃に苛立っていた。あれはカウンターですらなかった。攻撃しても安全だと判断した上で放たれる純然たる攻撃。

 そこに怒りが募った。すなわち己がそのような隙を晒しているという事なのであるから。

 ケインはそうした相手の様子を察知しつつ渡り合っていた。すると急激に怪物はその場を離れた。

 露出した箇所から、肉体が悍しい緑色に変貌していて、血管がたくさん浮き出ているのが見えるこの怪物化した忍者は、離れた場所の街灯の上に降り立って、そこから衝撃波を次々放った。

 ケインはそれを見て疾走し、大雨の中で彼の足が飛沫を上げた。衝撃波は地面や建物に当たってそれらを抉り取り、徐々に戦場のように街の一角が破壊され始めた。

 一段と強力な衝撃波が放たれ、スライディングで回避したケインの頭上を素通りしたそれは煉瓦造りの三階建ての建物をがらがらと倒壊させるに至った。

 ケインは相手の危険性を嫌という程わかっていた。このままでは犠牲者が出る可能性があった。己は既に命の危険も覚悟してこのネイバーフッズというチームに入った身だが、一般市民はそうではない。

 相手の衝撃波は変異前のものよりも更に強力になっている。回避する方角も考えなければ、どこかの誰かに当たる可能性もあった。ケインはまず相手をコントロールする事を強いられた。そして暗に、とある事実にも直面していた。

 すなわち、状況次第ではこの忍者を殺さなければならないという事。それを思うと、あのソ連から来た超人兵士が今頃爆笑しているのが目に浮かんだ。

 奴はこちらの不殺主義とその限界を見定めようとしているのかも知れなかった。

 もしそうなら何故そうしているのかは不明だ。単なる楽しみか、上に報告する情報を得るためか。

 いずれにしてもろくでもない事だけは変わりが無いと思われた。だが、殺すなど…それでは兵士だ。否、兵士が殺す事を否定する程彼は傲慢ではない。

 実際彼自身も、朝鮮戦争やヴェトナム戦争では、死にものぐるいで戦ってその過程で敵を殺した。今でも殺した相手達の事を思い出せるし、暗澹たる心境に包まれる。

 だが今の己は兵士ではなくヒーローだ。ある種社会貢献する者としてのヒーローが、簡単に相手を殺すようになるとどうか?

 社会はヒーローの殺害の権利云々を議論するか? それは副次的な事だ。

 ケインは心に聞いてみた――殺したくない、積極的であれ、消極的であれ、そこに理由があろうと、それこそソヴリンが侵略のために作ったロボット兵器などではなく、自由意志を持った個を、そのように殺す事で成立する正義に歯止めがあるのか?

 いやいや、そこではない。それはご高尚なお話だ。それ以前に、彼は殺したくなかった。戦争だから当たり前のように殺した日々を思うとぞっとした。とにかくまず、殺すべきではないし殺したくないという意識があった。

 ならそれでいいのであろう。そのための手段も彼にはある。

「お前の下らないゲーム、そう、ゲームと言ったな!?」ケインは立ち止まって、大雨をかき消すような大声で叫んだ。彼に向けて次の衝撃波が飛来した。

「お前の妄想の中でその自由を謳歌しろ!」

 彼の叫びと共に放たれた横合いからの打撃が、飛来した衝撃波を強引に逸らし、地面に激突して爆発した。

 ケインはベアナックル・ボクサー達がそうしたように構えた。動作最適化による高速化とはまた別の妙技を作り上げた、別の防御の達人マスター・オブ・ディフェンスを意識した。

 ほとんど無敗を誇った禿頭のその男がそうしたように、彼の打撃は壊すために作用し始めた。無手であろうが、武器があろうが。

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