第362話 牛


 コン君達が放牧場の中を駆け進んでいくと、一頭の牛が興味を持ったのか近付いてくる。


 顔を下げて鼻を近付けて……そんな牛の様子をコン君とさよりちゃんは最初は喜んでいたのだけど、すぐ目の前にまで来ると喜んでばかりもいられないようで……戸惑いというか小さな恐怖を浮かべた表情でこちらを見てくる。


 これこのままで良いの? どうしたら良いの? 触っても良いの?


 そんなことを言いたげなコン君達にフキちゃんが、


「だいじょーぶだよ、顔を撫でてあげて」


 と、そう言うとコン君達は一転、笑顔となって手を伸ばし……そして牛の顔の鼻筋の辺りとそっと撫でる。


「もっと強くやっていーよ、牛は皮が丈夫だから強くやってあげた方が喜ぶんだ」


 するとフキちゃんが更にそんな言葉を口にし、それを受けてコン君達は牛の顔をガシガシと撫で、牛はそれを喜んでいるのか目を細める。


 そうして二人に撫でられ続けた牛は、お礼のつもりなのか何なのか撫でられながら舌をべろりと出し、その長い舌でもってコン君達の手を舐め回す。


「あははははは! べろってきた!」


「ざ、ざらざらしてます!」


 二人はそれを思いの外喜んで笑顔を炸裂させ……それをきっかけとして牛との距離を縮め、牛のことをもっと積極的に撫で回し……そうして牛の体をよじ登り、背中に乗って背中を撫でたりし始める。


 馬と違って牛は背の上に乗ると負担になるとか聞いたことがあるけども……まぁ、体重がかなり軽いコン君達なら平気なのだろう。


 実際牛も嫌な顔をしていないしなぁ……と、微笑ましい気持ちでもってその様子を眺めていると、それに混ざりたくなったのかフキちゃんが駆け寄っていき……その後姿を見送ったユカリちゃんが声をかけてくる。


「牛はグルーミングって言って、あのザラっとした舌でお互いの体をマッサージするんですよ。

 そうすると血行が良くなって汚れが落ちて、健康になるって訳ですね。

 お互いってとこがポイントで、私達がブラシとかでマッサージしてあげると、お礼をしなくちゃって舌で舐めようとしてくるんです。

 私とフキちゃんも子供の……毛があった頃は愛用のブラシで似たようなことしてましたねー」


「あー……テレビだったかで見たことあるよ。

 牛が自分で体を押し付ける回転用ブラシもあるとか……かなりの硬さらしいねぇ」


 と、俺が返すとユカリちゃんは「それならあっちにありますよー」なんてことを言いながら指差し……それからテチさんへと視線を向けて、お腹の辺りをじっと見る。


「せんせー、冷えたら言ってくださいね? 事務所の中ならあったかいですから。

 もうちょっと話したいことあるんですけど、それは事務所の中でもできますしー」


「ん? ああ、大丈夫だ。

 母からもらった腹巻きでしっかり温めているしな……心配してくれてありがとう。

 そして……ユカリの話というと、やっぱりアレのことか?」


「あははー、先生ですもんね、うちの家のことしってますよね。

 実椋さん、私の実家レストランやってるんですよ、レストランやっててソーセージとかの販売もしててー……この牧場にもお世話になってるんです。

 で、で、で……聞きましたよー、実椋さんジビエ肉の販売とかしようとしてるんでしょ? 町内会を巻き込んで解体施設も作るんでしょ? 完成したらうちにもお肉お願いますね。

 あ、試食会にはうちの両親も参加するんで、よろしくお願いします」


 と、テチさんとの会話の途中でユカリちゃんがこちらに話題を振ってきて……俺はなんと返したものかと頭を悩ませる。


 我が家に作ろうとしていたジビエ肉の解体施設は、個人で持つのは難しいということで町内会長の芥菜さんに協力してもらうことになった。


 様々な許可を取ってもらい、補助金も出してもらい……結果俺達は、ただその施設に肉を卸すだけの立場となった。


 責任者でもないし主導的な立場でもない、その施設を利用するだけの一般人の一人でしかなく……どこに肉を卸すとかどこを優先するとか、そういった決定権も持っていない。


「あー……うん、発案は俺になるけど責任者は芥菜さんになるから……芥菜さんを紹介することは出来るかな。

 それと冷凍肉なら山程あるんだけど、新しい肉を卸すとなると難しかったりもするし、本職のレストランに満足してもらえるかは分からないよ?」


 なので、そんな無難な答えを返すと、ユカリちゃんはちょっとだけ驚いたような顔をするが、すぐに気を取り直し、


「それでおっけーですよ!

 芥菜さん紹介してー……で、芥菜さんにうちのレストランのことオススメしておいてくださいね!

 あ、それとそれと、なんかすごい保存食とか作ってるんですよね? うちでも使えそうなら作りたいんで、レシピとか教えてくださいね!」


 と、そう言ってくる。


 レシピに関しては調べればすぐに分かると思うのだけど……まぁ、うん、うちのやり方を知りたいというのなら、教えてあげるのも悪くないか。


「大したレシピじゃないけど、それでも良いなら……。

 って、コン君達がなんか凄いことになっているけど、アレは何事だろう?」


 会話の途中、俺の視界の隅に入り込んだのは牛達に囲まれ、その鼻をぐいぐいと押し付けられているコン君とさよりちゃんだ。


 二人の手にはブラッシング用のものと思われる、丸いブラシが握られていて……それでブラッシングをした、あるいはしようとした結果、あんな風に牛に囲まれてしまったのだろうか?


 360度どこを見ても牛の鼻だらけ、そんな状況でコン君とさよりちゃんは楽しそうに笑っていて……そしてバッと跳躍してその包囲から抜け出し……それぞれ別の牛の背中に着地し、その牛の体のことをブラッシングし始める。


「あははは、ブラッシングが上手いからって人気者になっちゃったみたいですねー……。

 っていうか、子供達に任せてフキちゃんは何してるんだろ……あ、いた、隅っこに逃げてる。

 もー……。

 ……コン君たちー! ブラッシング頑張ったらきっとおじーちゃんが美味しいお肉を食べさせてくれるよー!」


 その光景を見てユカリちゃんがそんな声を上げると、コン君達はやる気を出して頑張り始め……フキちゃんは、


「何勝手言ってるのー! 私もお肉ほしー!」


 なんてことを言って……本当にお肉が欲しいのか、それともコン君達を手伝いたいのか、手にしているブラシでもってブラッシングをし始める。


 それを見ているうちにやりたくなってきたのかテチさんもそちらへと移動し始め……それを受けて俺もやってみるかなーと後を追いかけ、フキちゃんが持ってきたらしいブラシなどの道具が入っているらしい箱へと手を伸ばすのだった。



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