第280話 久々能智さん


 三日後、久々能智さんがやってくる日となって……朝から忙しい時間を過ごすことになった。


 畑の掃除をし、畑の隅にある一画……苗木畑の上に積もった木の葉を除けて、更に久々能智さんに送るお土産の準備もする。


 収穫したクリとクルミと……この三日でテチさん達が狩った肉を使った保存食と。


 それらを玄関に用意しておいて……と、忙しなく畑と家を往復していると、ポケットに入れたスマホが呼び出し音を鳴らす。


 それに応答すると門からの連絡で……入門の許可が降りたとの連絡があり、数分したら到着すると言われて……俺達は慌ただしく最後の仕上げを行っていく。


「久々能智は畑に直接来るはずだから、畑で待っていよう」


 その中でテチさんにそう言われて俺達は畑で待機していたのだけど……それから数分が経っても久々能智さんがやってこない。


 更に数分待っても誰の気配もなく、電話での連絡もなく……おかしいな? と、首を傾げて互いを見合った俺達は、一応念のためにと我が家へと足を向ける。


 すると玄関の側……すっかり育った扶桑の木の根元に、扶桑の木に向かって両手を合わせて涙目になっている壮年の男性の姿が視界に入り込む。


 そこら辺で売っている作業服に、白いタオルを頭に巻いた上でのヘルメット装着、これまた量産品の白い軍手に……大きなリュックサック。


 樹木医……木の医者と言われて想像する姿よりも、作業員とか庭師とか、そっちの方が似合いそうな姿の男性……久々能智さんは、どうやら畑への道すがらに大きく伸びた扶桑の木を見つけて、こちらへとやってきてしまっていたようだ。


「あの……久々能智さんですか? はじめまして」


 俺がそう声をかけると久々能智さんは、扶桑の木に向かって深く頭を下げてから、こちらへと向き直り、ゆっくりと口を開く。


「これは失礼しました……はじめまして。

 君が実椋君ですか……なるほど、富保さんにそっくりですねぇ……。

 そしてとかてちさんはお久しぶりです、そちらの子供達も……お久しぶりかな?」


 それを受けてテチさんとコン君、さよりちゃんが挨拶を返し……久々能智さんは深く頷いてから、畑へと向かって足を進め始める。


「こちらの木について、色々とお聞きしたいこともあるのですが、まずは仕事の方を片付けるとしましょう。

 ……今年の収穫は問題なかったとのことですが、病害虫害についても問題ありませんでしたか?

 獣ヶ森の天候は久しぶりに穏やかな日々が続いたようでしたが―――」


 足を進めながら久々能智さんは、そんな問い掛け……というか問診をしてきて、俺達はしっかりと答えを返していく。


 そうして畑に到着したなら、早速とばかりに診断が始まり……久々能智さんは様々な方法で畑の木々の検査をしていく。


 1本1本聴診器を当てて音を聞き、小さなハンマーで叩いてみたりし、畑の土を拾い上げて小さな機会に入れて何かの数値を確認して……とても丁寧な仕事ぶりだ。


 そんな風に久々能智さんが診断をしている畑のそこかしこには、子供達の姿もあって……木の枝の上や設置したウロの中で休んでいる子供達を見る度に久々能智さんは表情をほころばせて……そうしながらも真面目に、真摯に作業を進めていく。


 途中昼休憩をして……休憩所で俺が用意したおにぎりを食べ進めながら書類仕事を進めていって、休憩と言いながら実際に久々能智さんが休んだのは数分程度のものだっただろう。


 それからも作業が進められ、15時くらいになってようやく終了となり……何枚かの書類を作り上げた久々能智さんは、それに目を通しながらあれこれと説明をしてくれる。


 と、言ってもそれはどれもこれも特筆する必要のない内容となっていた。


 問題なし、異常なし、どの木も健康で……あえて伐り倒す必要もなく、治療の必要もない。


 剪定をしても問題ないだろうし、急いで木を増やす必要もないだろうし……来年の収穫にも期待出来る、とのことだった。


 それは畑仕事をしている者としてこれ以上なく嬉しい報告であり、ありがたいものであり……テチさん達も子供達も、我がことのように喜んでくれる。


 そうして畑には「やったー!」とか「これで来年も働けるー!」とか、そんな歓声が響き渡り……まるでそんなタイミングを狙ったかのように、車のエンジン音が聞こえてきて……レイさんのいつもの配達車がやってくる。


「おーう、今年も無事に終わったか? ならお祝いのティータイムというこぜ!

 モンブランにあまーくしたクルミパイに、爽やかに楽しめるようにナシパイも作ってきたぞ」


 配達車から降りるなりレイさんはそう声を上げて……子供達の大歓声があがり、全員が駆け出し……手洗場で手を洗い、休憩所のテーブルを台拭きで拭いてと、なんとも手際よく支度を整えていく。


 そういうことならと俺も調理場でお茶を沸かし……そうして久々能智さんを交えての、ティータイムが始まる。


 そしてティータイムの中で久々能智さんは、栗の木についてのあれこれを語ってくれる。


「数を増やすならやはり病害に強い台木を使うべきでしょうね。

 病害に強い木を土台に、それに穂木……ならせたい栗の木を接ぎ木する。

 この畑で言えば、他所から持ってきた台木にここの木の枝を接いでやれば良いという訳です。

 病害に強い木は私に注文していただれば用意しますが……台木の他にこんな方法もあるんですよ」


 と、そう言って久々能智さんは、リュックの中から小さな箱を取り出す。


 その箱は充電式の保温器のようになっているようで……蓋をあけると、小さな栗の実が、少しだけ芽の出ている栗の実が姿を見せる。


「これは特に病害に強いとされる品種の実です。

 この出ている芽にですね……この接ぎロウと言われるロウを塗りまして……これを接いでやるという訳です」


 久々能智さんが言うこれとは、診断の途中で拾ったらしい小さな木の破片だった。


 木の破片に切れ込みを入れて、その切れ込みで芽を挟んで接ぎ木専用とされる、薄くよく伸びるテープでもって木の破片と芽を包み込む。


「あとはこの実をプランターに植えれば接ぎ木をしたのと同じ結果になるのですよ。

 プランターで育てた苗木に更に接ぎ木をするなんて方法もありますが……まぁ、そこまでする必要はないでしょう。

 ……他にも生命力の強い木があればそれを台木にしても良いかもしれません。

 ……そう、生命力の強い、扶桑の木なんかどうですか?

 いえ、分かるんですよ、あれは栗の木とは近縁種でも何でもないだろうと言いたいのは分かります。

 しかしあれだけの木にもし接ぎ木が出来たなら面白いことになるかもしれないとは思いませんか?

 簡単に調べてみたのですがあの木、物凄い勢いで水を吸い上げていまして……まるで動物のような脈動で……。

 ああ、はい、そうです、木にですね、聴診器を当てるとですね、木が水を吸い上げる音が聞こえるのですよ」


 話が途中でそれたというか、なんというか……急に饒舌になってあれこれと語り始める久々能智さん。


 木の専門家としては扶桑の木には特別な思いがあるようで……それは中々止まらずに、あれこれあれこれと、止まることなく語り続ける。


 それを俺達はレイさんの用意してくれたお菓子を食べながら聞くことにして……そうしてお菓子を全て食べてしまって、三杯目のおかわりのお茶を飲み干してしまって……それでようやく久々能智さんは、冷静さを取り戻してくれて……少しだけ恥ずかしそうに自らの頭の上に乗っているヘルメットを、ペチンと叩いてみせるのだった。



――――あとがき


お読みいただきありがとうございました。


応援や☆をいただけると、扶桑の木が元気に伸びるとの噂です。

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