第238話 カレー


 数日後。


 検査に関わる人物の人選が終わり、日程も正式に決まって……あとは検疫などが終わるのを待つだけとなったある日の午後。


 テチさんの実家の方で騒動となっていた吐き下しの風邪が完全に治まり、数日の様子見期間も終わって、もう感染の心配は無いだろうとなって……コン君とさよりちゃんがそれぞれに家に帰っていき、それと同時にテチさんのご両親とレイさんと、それとリス獣人の産科医さんと産婆さんがテチさんの様子を見るためにと、わざわざ我が家へとやってきてくれた。


 産科医さん達は検査キットやら機材やらを乗せた訪問医療用の車できてくれていて、そこで正式な検査が行われることになり……結果、妊娠していることが確実となり、まだまだ出産までは遠いと分かっていながらも、皆が満面の笑みを浮かべてのお祝いムードとなって……。


 そしてそのまま産科医さんや産婆さんまで巻き込んでのお祝いパーティのようなものが行われることになり、出前や俺が作った料理やらで盛り上がり……翌日。


 いつものようにコン君とさよりちゃんがやってきて……台所へと移動して、そして椅子に腰かけた産婆さんによる、妊婦さんのいる家庭向けの料理教室が始まった。


 耳と尻尾があること以外はどこにでもいるお婆さんで……テチさんの服によく似た、独特の柄の着物を着込んだ産婆さんは、柔らかな笑みを浮かべながら声をかけてくる。


「昨日頂戴したお料理、どれも美味しかったんですけど、少しだけ薄味でしたね?

 初めてのお子さんということで色々と勉強なさったようですけど……そこまで敏感にならなくても平気なんですよ?

 獣人というのは体力だけはありますから……当然のようにお腹の中の赤ちゃんだって元気で強い子になるんですよ。

 テチちゃんはまだまだ運動が出来る……運動をして体力をつける時期ですから、塩分も糖分もしっかり摂らせてあげて頂戴な」


 その言葉を受けて俺はちらりと庭の方を見て……そこでご両親から妊婦に良いとされる運動を習っているテチさんを見て……それからこくりと頷き、産婆さんへと言葉を返す。


「分かりました、そうしようと思います。

 ……リス獣人特有と言いますか、獣人特有と言いますか、そういった特別に気をつけなければならないようなことはあるのですか?」


「んー……無いと思いますよ。

 食べたいものをお腹いっぱい食べて、しっかり運動をする。

 もちろん腐っているとか毒だとか、そういうものは駄目ですけども、普通に食べられるものならそれで良いって感じではないでしょうか。

 むしろ獣人だからこそ多少雑でも良いと言いますか、人間さんは一部のスパイスが子宮に悪影響を与えちゃうらしいのですけど獣人はそういう心配をする必要が全く無くて……たとえば最近無事に出産した妊婦さんは、大好きだからって理由で毎日カレーばかり食べていましたからねぇ」


「ま、毎日カレーばかりですか……スパイスとか以前に、栄養バランスとかカロリーの問題が出て来そうですが……」


「そこはほら、具材を変えたりしてね、うまーく調整する感じで……後はしっかり運動さえしていたら問題無いのですよ。

 スパイスだって全てが悪い訳ではありませんし、体を温めてくれてしっかり栄養がとれて、それでいて美味しいとなればそれで良し。

 ……実椋さんは普段、どんなカレーを作られるのですか?」


 産婆さんがそう言いながら首を傾げて……どんなと言われても普通のカレーだよなぁ、なんてことを考えていると、いつもの流し台の椅子に座ったコン君が声を上げてくる。


「にーちゃんのカレー、食べたい食べたい!

 絶対絶対美味しいし、なんか裏技使うはずだし……どんなカレーになるんだろ!」


 そんなコン君の声を受けて大きく首を傾げた俺は「あれ?」という声を上げてから考え込み……そうしてからコン君に問いを投げかける。


「……今までカレー、作ったことなかったっけ?」


「うん、無いよ! レトルトカレーとか、カレー粉使った料理とか、そういうのはたくさん食べたけど、普通のカレーは無かったと思うよ!」


 コン君が元気に返してきて……俺がそうだったっけ? と首を傾げる中、産婆さんが、


「とりあえず実椋さんの腕前の方を見たいので、カレーを作っていただけますか?」


 と、そう声をかけてきて……俺はスマホでささっと使う予定の材料に問題が無いのか、妊婦さんに食べさせて良いのかを確認し……そうしてから冷蔵庫の確認をし、十分な材料がありそうなので早速、調理を開始する。


 まずは野菜を切っていく。


 玉ネギを細切り、ニンジンは乱切り、ジャガイモは芽がないかのチェックをしっかりとし、芽があったなら過剰なくらいにしっかりと排除して……一口サイズに切ったなら水につけておく。


 セロリをみじん切りにして、生ニンニクもみじん切りにして……そうしたなら、細切りにした玉ネギの半分を、カレー鍋に入れてバターで炒めていく。


「セロリをいれるんですか? 珍しいですねぇ」


 作業の途中、産婆さんがそう声をかけてくる。


「ええ、セロリを入れるとコクと旨味がしっかり出て、風味もよくなるんですよ」


 そう返しながら玉ネギを飴色になるまで炒めて……炒めたならセロリとニンニクを投入、軽く炒めたら火を止めて、トマト缶をいれて……ハンドブレンダーでもって鍋の中身を細かく砕き、混ぜ合わせてしまう。


 そうするとカレーのベースが出来上がり……出来上がったなら一端鍋を脇に置いて、フライパンを取り出す。


 フライパンで炒めるのは豚のバラ肉で……大きめの、ゴロゴロ一口サイズに切り分けたなら、それを中火でじっくり炒めていく。


 バラ肉は脂分がたっぷりなので炒め始めるとすぐに脂分が溶け出し、フライパンが脂の海になるので、揚げ焼きにするように炒めていって……炒めたなら菜箸で持ち上げ、しっかり脂を切った上で、カレー鍋へと投入する。


 そうしたらまた中火でゆっくりとカレー鍋を温めていって……グツグツと煮え始めたなら、ニンジン、ジャガイモを入れて、醤油、お酒、みりんをそれぞれ多めに入れていく。


 和風調味料は日本人の舌に合うように出来ている訳で、普段から食べ慣れている味な訳で……カレーであってもこれらを入れると美味しくなるというのが俺の持論だ。


 隠し味ではなく、しっかり味が出るように……それでいて入れすぎないようにしながら投入し、それからしばらくはゆっくりと煮込んで……ある程度煮えたならカレーのルーを投入、それから残り半分の玉ネギを入れて煮込んで……後は妊婦さんが食べても問題ないというスパイスを何種類か追加し、バターを入れて味の最終調整をし……具材にしっかり火が通ったなら完成だ。


「あとはご飯を盛り付けてカレーをよそって……ご飯にバジルを振りかけても美味しくなるし、コンソメ入れて炊き込んだコンソメライスにするのも良いかもしれません。

 付け合せは王道の福神漬やラッキョウでも良いし……個人的にはキュウリの塩揉みを輪切りにして、ちょっとだけ乗せるのもありかなと思っていますね」


 なんてことを言いながら盛り付けの準備をしていると、匂いを嗅ぎつけたらしいテチさんと、まさかのご両親までが家の中に駆け込んできて……手洗いうがいをするためなのか洗面所へと駆けていく。


 そしてコン君はよだれをちょっとだけ口の端から垂らしながらゴクリと喉を鳴らし……さよりちゃんも口を両手で抑えながらゴクリと喉を鳴らし……それから二人は配膳のために、少しでも早くカレーを食べるためにと駆け出して……そんな二人の姿を見送りながら俺と産婆さんは、なんとも言えない苦笑を浮かべるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る