第234話 肉


 テチさんが妊娠しているかもしれない。


 そんな事態を受けて俺とコン君は、喜び半分驚き半分の混乱状態に陥り……どうしたら良いのか分からなくなり、狼狽えることになった。


 二人で一緒になって両腕を右に振り、左に振り、何もない空中を掴もうとし、何かをしたいのに何をしたら良いのかが分からなくて呆然とし……。


 俺達がそうしている間にさよりちゃんは、テチさんに口をゆすぐための水を用意し、テチさんが横になれるようにと居間に枕や毛布を用意し始めて……そうやってテキパキと動くさよりちゃんを見て俺とコン君は、慌てて動き出して手伝い始め、テチさんを横にさせて……そうしてからテチさんがお世話になっているという病院へと電話をしてみた。


 妊娠しているかもしれないから検査をしたい。


 電話でそう伝えたものの、やっぱり病院は今子供達の世話で手一杯のようで……ひとまず安静にしておいて、検査などはそこら辺が落ち着いたら、という話になった。


 子供達の世話で忙しいだろうテチさんのご両親に連絡するのも検査が終わってからで良いだろうとなり……そして皆で一緒に居間へと移動して、テチさんには体調が落ち着くまで横になってもらって……そして俺とコン君は、最近出産した親戚のお姉さんの世話をした経験があるという、さよりちゃんに色々なことを学ぶことになった。


 妊娠中に注意すること、してはいけないこと、食生活に関するあれこれや、獣人特有のあれこれ。


 食中毒や自然界にある毒に注意して、塩分糖分は控えめに、辛味のある刺激物も控えめに。

 火はしっかり通して、ハーブなんかにも薬効がきついものがあるので気をつけて……出来るだけ新鮮な食材を使うようにして。


 そしてリス獣人特有のこととして、ナッツ類を多めに食べて、尻尾の毛艶などで体調のチェックをするようにして……肉類はしっかり火を通してさえいればたくさん食べても問題ない。


 人間であれば脂分を取り過ぎてはいけないようなのだけど、リス獣人は問題なく……むしろ出産までに少し太るくらいに肉を食べまくった方が良いらしい。


「肉か……肉とナッツがOKなら、ナッツペースト焼きとか、焼いた肉に砕いたナッツを振りかけて塩味糖分控えめソースで仕上げ、なんてことも出来そうかな。

 塩も砂糖もハーブも禁止となると、保存食は大体全部ダメだから、献立を見直さないとだねぇ。

 ……明日からはお肉メイン、野菜多めの生活になる感じかな……まぁ、健康的だし、悪くないかもね」


 さよりちゃんの話をしっかりとメモしながら俺がそう言うと……コン君とさよりちゃんはこくこくと頷いてくれて、そして横になりながら話を聞いていたらしいテチさんがむくりと起き上がる。


「……腹が減った、お肉食べたい」


 起き上がり、少しぶっきらぼうな感じでそう言って台所を見やるテチさん。


 夕食を食べたばかりなのにそれを吐いてしまって……今日一日頑張って働いたのもあって、お腹がすいてしまったのだろう。


「……は、吐いた直後にお肉はどうだろう……。

 おかゆとか……お肉少なめの煮込みうどんとかなら良いと思うけど……。

 それかよく叩いてしっかり煮込んだ、肉そぼろみたいなお肉とか……」


 そんなテチさんに俺がそう返すとテチさんは半目になって……食欲に突き動かされる肉食獣のような視線をこちらに向けてくる。


 その視線には凄まじい力が込められていて……俺が用意しないのなら自分で用意して食べるぞと、そんな意志が感じられて……その視線に負けた俺は「ちょ、ちょっと待っててね」とそう言って台所に向かい、準備を始める。


 冷蔵庫の中に牛肉があるのを確認し、賞味期限が問題ないこともしっかり確認し……後はこれを焼けば良いのだけども、塩も胡椒もハーブも駄目となると美味しく焼くにはどうしたら良いかが悩ましく……。


 しばらくの間悩んでから、それでもできるだけのことをやってみようと、まずは牛肉を叩いて柔らかくし、一口サイズに切ってから少なめの塩を振って下準備をし……それから玉ねぎとセロリを刻み、クルミを砕いて粉末栗も用意して……玉ねぎとセロリを無塩バターでじっくり炒めたら、クルミと栗を投入し、木ベラですりつぶすくらいのつもりでかき混ぜて、どうにかソースに仕上げていく。


 せめてハーブが使えると良いのだけど……妊婦さんに良いハーブ、悪いハーブをしっかり調べてみるかなぁとか、ニラのような香りと味の強い野菜を使ってみようかなとか、そんな事を考えながらソースを仕上げたら、無塩バターを投入したフライパンでステーキを焼いて……弱火でじっくり、中まで火が通るように、それでいて硬くならないように気をつけながら焼いていって……ある程度焼いたならソースをかけて蓋をし、蒸し焼きのようにしてしっかり火を通す。


 それとご飯を用意して……おかゆにしたいという気持ちをぐっと抑えながらテチさん用の大きな茶碗にしっかり盛って、水分もたくさんとった方が良いらしいので冷蔵庫で冷やしていた麦茶を瓶ごと居間へと盛っていく。


 すると待ち構えていたテチさんは、配膳が終わるなり手を伸ばして箸を引っ掴み、まずはステーキを一切れ口へと運ぶ。


 そうしてもぐもぐと口を動かし……やはり味が物足りないのか少し首を傾げ、だけども噛んでいるうちに肉の旨味が出てきたのか納得したような顔をし……ご飯そっちのけで肉ばかりをもぐもぐと食べていく。


 肉、肉、肉。


 それなりに多めに用意したステーキの大半を食べてからようやく茶碗へと手を伸ばしたテチさんは、ごはんだけを黙々と食べ続け……食べ尽くしたなら残ったステーキを食べて、麦茶をコップに注ぐことなく瓶から直接飲み始める。


 豪快というかなんというか……疲れもあって色々雑になっているのか、そうやって瓶の中身全部を飲み干したテチさんは一言、


「寝る」


 と、そう言ってさっき用意した枕に身を預けて毛布の中へと包まる。


 ……妊娠と言ってもまだ初期だろうに、こんなに行動に影響するものなのか、それともただ疲労から来るものなのか……。


 食べた直後に寝るのはよくないとか、せめて歯磨きをした方が良いとか、しっかり寝たいのなら寝室に行った方が良いとか色々言いたいことはあるのだけど、とりあえず今は休ませてあげたほうが良いかなと考えて、それから俺達は無言で、出来るだけ物音を立てないようにしながら、片付けと洗い物を済ませるのだった。

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