第231話 成長


 出来上がったイワシの梅干し煮は、下処理をしっかりしただけあって美味しい出来上がりとなっていた。


 ショウガと梅の香りに、醤油ベースの味付け、柔らかなイワシは骨ごと食べられて……その食感も楽しくて、茶碗に持ったご飯がどんどんと減っていく。


 そうやってかなりの量用意した、イワシとご飯があっという間に消滅して昼食は終了、昼食後の歯磨きを終えたら片付けが開始となる。


 そうしてある程度片付けて、残る食器は数える程となった折、ちゃぶ台の上の茶碗を持ち上げようとしたコン君が、茶碗に差し出した手をそのままにパタリと動きを止めて、茶碗を見つめたまま硬直し……そんな突然過ぎる出来事に驚いた俺が、慌ててコン君に声をかけようとすると、テチさんが俺の肩を叩いてきて……唇に人差し指を当てて『静かにしろ』と伝えてくる。


 そんなテチさんを見て、コン君を見て、もう一度テチさんを見て……テチさんとさよりちゃんが静かに、そぉっと台所に向かったのを見て俺は、テチさん達を追いかけて流し台の所まで行ってから……小声で声をかける。


(あれは放っておいて良いものなの?)


 するとテチさんはスマホを取り出し操作をしながら言葉を返してくる。


(ああ、あれは獣人の子供特有の行動というか症状というか、そんな感じのもので……病気とかではなく喜ばしいことだから安心してくれて良い)


(喜ばしい……? えぇっとコン君に今、何が起きているの?)


(んー……一言で言えば成長かな、獣の頭から人の頭に成長する過程で、あんな風になることがあるんだ。

 コンの頭……脳は成長しつつあって、成長した脳で色々なことを考えることが出来るようになっていて……そしてコンは今、成長した脳での思考に夢中になっているんだ。

 コンが何を考えているのかまでは分からないが、とにかく夢中で何かについて考えていて……普段ならそれはすぐに終わるはずなのに、脳が成長しているものだから、どんどん先まで、深くまで考えることが出来て……それが楽しくて仕方ない、という感じだな。

 体の動きが止まってしまっているのは、頭の中の獣の部分が少なくなっているからで……何も考えずに本能と反射で動いていた獣から、人への切り替えが上手くいっていないというか……考えてから体に指示を出して動き出すという、人にとっての当たり前のことが、不慣れなコンには上手く出来ていないという感じになるかな。

 あれが人の子ならば考え事をしながらも、上の空といった感じで動くことが出来て……そして上の空なものだから転んだりしてしまう訳だが、それが獣人の子の場合はああなってしまうと、そんな感じだ)


(……な、なるほど……。

 ……あれが成長を示す良いことっていうのはとりあえず分かったんだけど、静かにしろっていうのは……あの思考状態の邪魔をしてはいけないとか、邪魔をすると良くないことがあるとか、そんな感じの理由からなのかな?)


(良くないことがあるという程の話ではないんだが、せっかくの成長を邪魔するなんてのは無粋だろう?

 ……それと、あの光景はとても喜ばしい、おめでたいものでな……それを親に見せることなく中断させてしまうっていうのは、無粋どころじゃないとても申し訳ないことにあたるからな……今後、さよりや他の子がああなった際には気をつけると良い)


 と、そう言ってテチさんはそっとスマホを構え、録画モードでコン君の姿を撮影し始める。


 更にさよりちゃんまでが子供用スマホでコン君の姿を撮影し始め、俺は息を殺して静かに様子を見守り……そんな状態のまま何分かが過ぎると庭の方に誰かがやってきて……縁側からそぉっと頭を出し、コン君のこと見つめたり、スマホを構えて撮影したりとし始める。


 その頭の数は二つ……遠目ではっきり見えないのだが恐らくは三昧耶さん……コン君のご両親のもので、テチさんからの連絡を受けて仕事場から駆けつけてきたらしい二人は、体を寄せ合いながらその頭とスマホをちょこちょこと動かし続ける。


 それからまた何分か立って……どこかで何かの鳥が鳴き声を上げながら羽ばたいて、その音を耳にしたコン君が、耳をピクリと動かし……その数秒後、ハッとした表情となって動き出し……自分が何をしていたのかも忘れてしまっているのだろう、周囲をキョロキョロと見回す。


 見回して目の前の茶碗を見つめて……首を傾げながらそれを持ち上げたコン君は、俺達の所まで首を傾げたまま持ってきて……俺に茶碗を差し出してきて、しゃがみ込んだ俺がそれを受け取ると、その瞬間―――


『お邪魔します!』


 と、異口同音に声を上げた三昧耶さん夫婦が縁側から居間へ、居間から台所へと物凄い勢いでやってきて、コン君のことを二人で抱き上げ、訳も分からずきょとんとするコン君を挟んで頬ずりをし始める。


「まさかこんなに早く成長するとはなー!! たくさん勉強してたもんなー!」


「うちの子は天才かもしれないわねー!!」


 お父さんお母さんの順でそう言ってから三昧耶さんはコン君のことを撫で回し褒めそやし……そこでコン君はようやく、自分に脳の成長が起きていたということを実感し「お、おー……」なんて声を上げてから、自分をもみくちゃにしてくる両親の手を避けるようにして頭を動かしながら口を開く。


「なんか……なんかずっと料理のことばっか考えてたー……。

 栗の実でジャム作ったらどうなるのかなとか、イワシのてんぷらってあるのかなとか……イワシと梅干しのピザも美味しそうとか、天ぷらピザはどうして無いのかなとか、そんなことばっかりー……。

 ……あ、にーちゃん! そうだそうだ! 思い出した!

 イワシで大葉とニンニク挟んで焼いたら美味しいと思う! トマトで煮込んだりとか!!」


 そんなコン君の言葉を受けて三昧耶さん夫婦は幸せそうに……こんなにも幸せそうな笑みがあるのかと思う程に笑い……そのままコン君をぎゅうっと抱きしめる。


 するとコン君はそんな両親の行動が不思議で仕方ないのか首を右へ左へと傾げてから、両親の手から逃れるべく体全体を懸命によじり始める。


 首を傾げるついでに体を左右によじってもがいて……そんなコン君に俺は微笑みながら言葉を返す。


「それはとっても美味しそうでいいねー! 今度材料を揃えておくから、一緒に作ってみようか!」


 するとコン君はスポンッと両親の腕から抜け出し、両親の肩を蹴って大きく飛び上がり……クルッと空中で一回転してから、シュタッと流し台に着地し、そうしてから元気な声を張り上げる。


「うん! 楽しみ!」


 そんなコン君を見て三昧耶さん達は、そんな様子さえも愛おしいのか、良い笑顔でスマホを構えての連続撮影を繰り返すのだった。

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