第223話 いよいよアレを……
数日後。
気温がぐんぐん上がり、晴れの日が多くなって、朝になれば当たり前のように四方八方から蝉しぐれが響いてきて……山の上のよく風が拭く森の中だからか、そこまでではないにしても、それなりの湿気がじんわりと周囲を包み込んでいて。
そんな風に暑さも本番となって、獣ヶ森は青々とした木々の葉が、真夏の日光を受けてこれでもかと煌めく季節になった。
窓の外も、縁側の向こうも、どこもかしこもが青々としていて……むわっとした木々の匂いが立ち込めている。
「いやぁ、夏だねぇ」
朝食後、居間で座椅子に背中を預けた俺が、扇風機の風を浴びながらそんなことを言うと……毛皮でその全身を覆われているコン君とさよりちゃんは、冷えた廊下板の上を転がりながら「そだねー」「そうですねー」なんて適当な言葉を返してくる。
日陰のよく冷えた廊下板の冷たさを味わって……そこの冷たさが失われたなら一転がりしてまた冷たさを味わって……そんな風に廊下で大の字になったり転がったりを繰り返して……そんな二人に向けて、俺は棚の上のリモコンを見やりながら声をかける。
「今日は暑くなりそうだし、クーラーつけようか」
すると二人は物凄い勢いでがばっと起き上がり……コン君は大きく開け放たれていた家中の窓という窓を閉め始め、さよりちゃんは棚の上へと駆け上ってクーラーのスイッチをオンにする。
俺もまた立ち上がり、コン君の窓閉めを手伝って……そんな騒ぎを聞きつけたのか、自室で事務作業をしていたテチさんもやってきて、窓を閉めたり、クーラーで冷やす必要のない部屋の戸を閉めたりをし始める。
そうこうしているうちに割と新しい型番のクーラーが唸り声を上げ始め、早速とばかりに冷気を吐き出し始め……暑さに弱いらしい獣人一同は、その風を一番効率的に受けられる位置へと移動して、存分に風を浴びる。
「あぁーー……すずしー」
「……随分楽になりましたねぇ」
「いっそ、一日中……夜であっても付けっぱなしにしたら良いんだ」
コン君さよりちゃん、そしてテチさんの順番でそう言って……そんな面々に俺はなんとも言えず苦笑する。
別にクーラーを嫌っている訳でもないし、お金にも余裕があるし、テチさんの言う通りにしても良いのだけど……それはそれで風情が無いというか、せっかくの夏を感じられないというか、懐かしい気持ちに浸れないというか……なんとも言葉にしづらいのだけどもそんな風に感傷的になってしまう部分が俺の中にあった。
夏といえばうだるような暑さと蚊取り線香の香りの中で、扇風機の前に座ったり、風がよく吹く縁側に寝転がったり……さっきコン君達がしていたように廊下に寝転がったりして過ごすもので……蚊取り線香に火を付けたり、扇風機のスイッチを入れたり、そんな瞬間に子供の頃の楽しかった夏の思い出を思い出すもので……。
子供の頃、ほとんど使うことがなかったクーラーを使うという行為は、そういった思い出に逆らうというかなんというか……思い出を否定するような気分にもなってしまう。
他にもまぁ、エコとかそういう思いも多少はある訳だけども……正直言ってしまうと、ここでの生活は、以前の生活とは比べ物にならない程エコで、電気代もガス代も、二人暮らしな上にあれだけ料理だなんだとしているのに、驚く程に安くて……夏の間、クーラーを付けっぱなしにしたとしても、それでも以前の生活よりはエコということになってしまう。
パソコンにゲーム機にスマホに……それらは獣ヶ森でも使ってはいるのだけど、明らかに使用頻度が減っていて……そうなるとまぁ、暑さに弱い皆のためになるべくクーラーを使うようにした方が良いのだろう。
……まぁ、暑いといっても都会の方の暑さを知っていると全然比べ物にならないし、俺からするとまだまだ涼しい方なのだけど、それは毛皮や尻尾がない、人間の視点というやつなのだろう。
これからしばらくの間、暑くなるらしいし……その間はクーラー付けっぱなしでも良いかもしれないなぁ。
そんな暑さもあって栗畑やクルミ畑での仕事は毎日の見回り以外には特に行われておらず……暑さが落ち着くまでは皆にとっての夏休み、という感じになるのだろう。
ああ、それだけ暑くなるならもしかして……。
と、そんなことを考えた俺は居間のテーブル近くに置かれていた新聞に手を伸ばし……改めて週間予報を確認し、ついでとばかりにテーブル上のテレビリモコンに手を伸ばしてテレビをつける。
「確かそろそろ天気予報がやっていたはず……」
なんて独り言を口にしながらチャンネルを変えていって……天気予報をやっているチャンネルを見つけて、週間予報が始まるのを待つ。
『獣ヶ森の今週の天気は―――』
そうして始まった週間予報に並ぶ天気を示すマークは、太陽、太陽、太陽、雲が一切ない太陽続き。
それから気温や湿度なんかに関する情報が流れ始めて……これなら大丈夫そうだなと、頷いた俺は皆がクーラーの虜になっている中、立ち上がって台所へと向かう。
「あれ? もうお昼ごはんの準備? いつもより早いね」
するとコン君がそんなことを言いながらテテテッと駆けてついてきて、首を傾げながらこちらを見上げてくる。
「いやいやコン君、もう忘れちゃったの? 夏に晴れの日が続くようならすることがあるって、教えてあげたじゃない?」
そんなコン君に俺がそう返すと、コン君は傾げた首を更に傾げながら言葉を返してくる。
「お布団干したりとか?」
「それは昨日やったからなぁ、今日やるのは前々から準備していたこれだよこれ、これを今日から三日間かけて干してかないとね」
と、そんなことを言いながら冷蔵庫のドアをかえた俺は、中に入れておいた調理用パックを引っ張り出して、台所のテーブルの上に並べていく。
「……あ! あ! 梅干しだ! そっか、梅干しを干さないとだね!」
「そうだよー、干さなきゃ梅干しじゃないからねぇ、これからこの梅酢につけた梅とシソを干して、太陽の光にたっぷりあてて……旨味たっぷり、美味しい梅干しに仕上げていくんだよ」
そんな俺の様子を見てコン君が声を上げ、俺がそう返すとテチさんやさよりちゃんも台所へとやってきて……そうして皆で一緒に、梅を干すための準備を始めるのだった。
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