第214話 イカの塩辛


 考えてみると当たり前の話だ。

 何かイベントがある度にどかっと買い物をして……俺がそうやって買い占めてしまうと、他のお客さんが日常の買い物で困ることになり、スーパーも困ることになる。


 だから定期的にどか買いをするお客さんには注文書を書いてもらって、必要な量を仕入れ前に教えてもらって……その代わり、という訳でもないのだけど、配達のサービスをしておく……というのは、理屈としてもよく分かる話だ。


 そう言う訳でこれからは注文書を有効活用し、楽をさせてもらおうと決めて……そうして家に帰った俺達は、早速イカの塩辛作りを開始する。


「イカの鮮度の見分け方は一般にその色で分かるって言われていて……全体的に真っ白じゃなくて茶色で、鮮やかで、目が澄んでいて、身にハリがあるのが良いとされているね。

 まぁ、色に関しては締め方にもよるから一概には言えないんだけど……露骨に真っ白になっちゃって、身がぐてぇっと柔らかくなっちゃっているイカはもう完全に新鮮さが失われているから塩辛には出来ないかな。

 そしてもう一つ、イカは結構危ない細菌を持っていたりするから……イカに触ったら余計なもの、場所に触らず、さっさと作業を終わらせて、終わらせ次第しっかり手を洗うことが大事かな」


 買ってきたイカをまな板の上に並べながら俺がそう言うと、流し台に上がってイカに触ろうとそぉっと手を伸ばしていたコン君は、尻尾をピンと立てて毛を逆立てて後ずさり……言葉を返してくる。


「あ、危ない菌ってどんなの?」


「まぁ、食中毒菌だね。

 イカの菌は無駄にこう、生命力が強いみたいでね、焼きイカを作ろうとした人が、焼くから大丈夫だろうと雑に触って、その手であっちこっちに触っちゃって……そうしながらイカを焼いて一緒に食べる他の料理を用意し……その手で触ってしまった道具や他の料理から見事感染、ひと晩中トイレに籠もりました、なんてのがザラにあるんだよ。

 更にスーパーでも言ったけどアニサキスっていう寄生虫が身の中にいることもあるから要注意だね。

 目で見て取り除くか、塩辛が完成した後に一旦冷凍するか……俺は今まで一度もアニサキスに当たったことはないけど、これも出来るだけ気をつけた方が良いだろうね」


「そーなんだぁ……。

 にーちゃんはお肉の時も気をつけてたけど、料理をする時って、色々気をつけなきゃいけないんだなー」


「そうだね、口の中に入るもので……自分で作って自分で食べるだけならまぁ、そこまで神経質にならなくても良いんだけど、自分以外の誰かに食べさせるとなったら出来るだけ気をつけた方が良いだろうね。

 台所に薬用石鹸を置いておくとか……俺がいつも使っているこれを使うとか」


 そう言って俺は、豚肉を触った時なんかにもちょこちょこ使っていた、センサー付き薬用ソープディスペンサーへと手を伸ばす。


 センサー部分に手を伸ばすと、それに反応してじゅわーと薬用石鹸の泡が出てくるというもので……本来ならばこれは外から帰ってきた時の手洗いの際に使うものだ。


 余計なところに触る前に手を洗えるのが利点で、主に子供がいる家庭向けに売られていたりするのだけど……俺はこれを台所に置いて料理中に使うようにしている。


 鶏肉豚肉、なんでも生肉を触ったらこれで手を洗う。

 魚やイカ、魚介であっても生のものを触ったら手を洗う。


 他にも保存食作りの前とか、手についている菌が気になる時にはこれでしっかり手を洗って……出来る限り食中毒を起こさないように気をつけている。


 それが起こってしまえば一番苦しむのは自分な訳で……うん、これからも気をつけていきたいと思う。


「まぁ、うん、手を洗いすぎると手荒れするとかもあるから、ケースバイケース、自分なりに一番良い方法を探るのが一番かな。

 で、イカの捌き方だけど……これはまぁ、要所要所を抑えていれば、ある程度適当にやっちゃっても出来るかな」


 そんなことをコン君に言った俺は、イカの胴と足の境目というか、目の上の部分というか、そこら辺の筒みたいになっているところに指を入れて……足の部分をしっかり持ってゆっくりと胴を引き剥がしていく。


 引き剥がしたなら肝にくっついているスミ部分を取り除き……足と肝を切り離し、肝は大切に何かの入れ物に入れてしっかりと保管しておく。


 切り離した筒状の胴は、まず薄皮を剥がしてから、包丁を横部分にいれて開いて……軟骨を引き抜く。


「うん、これで終わり。

 後は流水で洗って……洗わなくて良いって言う人もいるし、旨味が落ちるって人もいるんで洗わない方が良いかもだけど、俺はしっかり洗う派だね。

 洗い終わったなら食べやすい大きさに切って……タッパーとかに入れて肝と塩を混ぜたら塩辛の完成だね。

 足は硬いから塩辛にしないって人もいるんだけど、俺は逆に食べごたえがあって好きだから入れちゃうかな。

 それと臭みとかが気になる人は、捌き終わった段階で、身も肝も塩をたっぷりまぶしてから軽く拭き取って、冷蔵庫で一晩寝かせて、水分を抜いてやると……その水分と一緒に臭みも抜けるからそうしても良いかな。

 それと味付けとして味噌やみりんを入れるのもありだけど……個人的には雑味って感じで、あまり好きにはなれないかな。

 市販の瓶詰めのもそう言う感じであれこれ味を足していて好きになれなくて、ついつい自分で作っちゃうんだよねぇ」


「へぇー……気をつけることは確かに多いけど、簡単な感じなんだなー。

 ちなみにその……細長くて茶色い肝って、どうやって混ぜたら良いの?」


 俺の説明にコン君がそう返してきて……俺はそれに頷き返してから、肝を入れるとこまで作業をすすめる。


 身を洗って切って、足も洗って切って、タッパーに入れていって……そうしてから肝を手で持ってタッパーの上に持っていって……包丁で軽く肝の袋を切ってから、押し出すようにして中身を出していく。


 ぎゅうぎゅうと押しつぶすように、濾しだすような感じで……ぐいぐいと押して出したら、だいたいこんなものかなという量の塩を入れて、箸でぐるぐるとかき混ぜる。


「後は冷蔵庫に寝かせて、毎日少しずつ食べて行く感じなんだけど、食べて塩分が足りないならその時足せば良いし……それと毎日食べる前にかき混ぜるのを忘れずに。

 味が偏るのもそうだけど、しっかり塩が行き渡らないと早く悪くなっちゃうからね。

 それと早めに食べるのも大事で……まぁ、炊きたての白いご飯と一緒に食べていれば、あっという間に無くなっちゃうものなんだけどね」


 なんてことを言いながらタッパーの中身をかき混ぜていると、肝と塩がいい塩梅に混ざり合い、イカの身に絡んでいって……見た目にはイカの塩辛と言って良い代物が出来上がる。


 それを見てコン君は「ごくり」と喉を鳴らすが……俺は容赦なくしっかりと蓋を締めて、それを冷蔵庫の……一番上の奥の方へと、コン君が簡単に取り出せない部分へと押し込む。


「あーーー!」


 それを見てそんな声を上げるコン君に俺は、


「せめて明日まで待たないと美味しくならないから、お預けだよ。

 それとコン君、すっかり忘れているようだけど、買ってきたイカはまだまだたくさんあるから……作業はこれからが本番だよ!」


 と、そう言って、流し場においてあるスーパーの袋にたっぷりと詰まった、新鮮なイカ達を引っ張り出すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る