第193話 大浴場の二人 その2


 デトックスウォーターをたっぷりと楽しんだなら、今度は腰掛け湯の方で休憩でもしようかとそちらへ足を向ける。


 腰掛け湯、椅子のような形に作られた石材の上部から温かいお湯が流れているというもので、そこに腰掛け背を預けると、背中からゆっくりと温まることが出来ると、そんな作りになっている。


 中々珍しいけども、座りながらゆったり温まれるというのは中々悪くないように思えて……そのすぐ側まで行くとコン君が、腰掛け湯の向こうにあった個室の方を指差す。


『寝湯の部屋』


 そう書かれた看板を構えるその部屋では、どうやら寝転びながらお湯を楽しむことが出来るようで……俺とコン君は無言で頷きあってそちらへと足を進める。


 寝湯自体はそれ程珍しいものではないと思うのだけど、わざわざ部屋にしているというのはちょっと不思議な感じで、一体どんな部屋になっているのだろうかとワクワクしながらガラスの引き戸を引いて中に入ると……そこは4席、と言って良いのか、4個の寝湯がある空間となっていた。


 部屋の右から左へ緩やかに床が下っていて……右奥にはお湯を吹き出している上下二段の噴水があり……上の噴水がお湯を吹き出し、下の噴水がそれを受け止めそこに盛られた塩やハーブがそのお湯の中に混ざり……そうしてから寝湯の方へと流れていく。


「おお……ただのお湯じゃなくて塩やハーブが混ざっているんだねぇ。

 ……塩とハーブで茹でられるってなんだか料理みたいだなぁ」


 その空間を見やりながら俺がそんな声を上げると……コン君はさささっと移動をし、寝湯に寝転がり、


「おぉぉ~……」


 と、気持ちよさそうな声を上げる。


 それを受けて俺もまた寝湯へと移動し、コン君の隣に寝転がり……すると頭から踵までが一気に温かくなり、同時にハーブの香りがふんわりと漂ってくる。


 立っている時は気付かなかったけども、寝転んでみるとハーブの香りがこれでもかと香ってきてくれて……たまらない温かさと良い香りと、それと寝転んでいるとい事実が、柔らかくて甘い、独特の眠気を誘ってくれて、俺は思わずあくびをしてしまう。


「あ、にーちゃん、寝ちゃ駄目だよ。

 ほら、あそこの壁の注意書き……風邪を引くから眠っちゃ駄目だって書いてある。

 それと眠い時は、噴水にあるボタンを押してください、だってさ!

 ……なんだろ? 水でも出てくるのかな?」

 

 するとコン君がそう声をかけてきて「まさかそんなことは……」とそんな声を返しながら俺が手を伸ばして噴水の根本にあったボタンを押してみると……まさかのまさか、天井がスライドして液晶が現れ、液晶にまるでプラネタリウムでも見ているかと思うような星空が現れる。


 更に星空に線が描かれ、線が星座を作り上げ始め……BGMまで流れ始め、そうしてまさにプラネタリウムのような、季節の夜空と星座の解説が始まる。


「お、おぉぉぉ……流石高級ホテル、こんな仕掛けがあるなんて……。

 いや、本当に凄いけどこれ、逆に眠くなるんじゃないかなぁ」


「うん……にーちゃん、オレ、すごく眠くなってきた」


 解説が始まるなり俺とコン君はそんなことを言い……そうしてからゆっくりと立ち上がる。

 

 これが昼間とかの眠気が無い時だったら良かったのだけれど、そろそろ寝る時間が近付いてきた夜となると大問題で……立ち上がった俺達は解説が続く寝湯の部屋を後にし……もう一度デトックスウォーターを飲んでから脱衣所へと向かう。


 脱衣所に入ったならまずはタオルで水気を拭き取り……ブラシとドライヤーを手にまずは自分の髪の毛をさっと手入れし、それからコン君の全身の毛を、テチさんから習った方法で手入れしてあげる。


 ドライヤーで乾かし、ブラシで梳いて……獣人用のヘアオイルも使って、出来る限り丁寧に。


 最終的な手入れは部屋に戻ってからテチさんがやってくれることになっているのだけど、入浴直後の手入れもしっかりやっておく必要があるとかで……慣れない手付きで丁寧に丁寧にじっくりと行っていく。


 するとコン君が目を細め始め……うつらうつらとし始め、そのままコテンと倒れて寝始めてしまう。


 そんなコン君に乾いたタオルをかけてあげて、荷物をまとめたなら、コン君をタオルで包んで荷物と一緒に抱えて部屋へと運んでいく。


 荷物と一緒に抱えたのだから当然寝辛いはずなのだけど、それでもコン君はすやすやと寝入っていて……部屋に入ってテチさんに預けてもコン君が目を覚ますことはなかった。


 まぁ、歯磨きなども済ませているし、入浴もしっかりした訳だし……後は毛の手入れさえすれば問題ない訳で、部屋へと運ばれたコン君はベッドの上で手入れを受けて、そのままおやすみということになった。


 続いてさよりちゃんもベッドに入ってすぐに寝付き……二人の寝顔を確認してから俺とテチさんはリビングへ移動しての大人の時間へと移行する。


 と、言っても大したことをする訳でもなく、眠る前に丁度いいハーブティを入れて、テレビでニュースを見ながら雑談をして……お風呂であったことなんかも話していく。


「あれ、女湯には寝湯の部屋は無いんだねぇ……テチさん達にもおすすめしたかったんだけど」


「ああ、無いみたいだな。

 と、言ってもまだまだ広すぎて見逃しているだけなのかもしれないが……月ごとに男女が入れ替わるなんてことも書いてあったから、どちらかにしかない施設があってもおかしくはないだろうな」


「あー……月ごとで入れ替わりならまた来たくなりそうだねぇ。

 あれだけの広さで、あれだけの力を入れているお風呂なら、それだけでも十分な魅力になるし」


「そうだな、いっそ食事とかは諦めてそっちに特化した方が良いんじゃないか?」


「いやいや、ホテルでそれは流石に―――」


 なんて風に会話をして、それから明日の予定なんかについても話して、ホテルでの休暇はまだまだこれからが本番だ、なんてことを言ったりもして……そうやって十分に話したなら二人でベッドルームに向かう。


 リフォームをきっかけとしたこの休暇もまだまだ始まったばかり。


 遊べる施設も行ってない観光地もまだまだありそうだし……これからもっともっと楽しんでいこうと、そんなことをテチさんと話しながら目をつむり……そうして今日一日のことを思い返しながら、夢の世界へと旅立つのだった。

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