第192話 大浴場の二人
食事が終わったなら歯磨きなどを済ませて……今日も今日とて大浴場での入浴タイムだ。
俺とコン君、テチさんとさよりちゃんの二組に分かれて、入浴セットと着替えを詰めたカバンを持って、大浴場へ。
二度目の大浴場とあって、ロッカールームでの着替えも、入浴セットの準備も慣れたもので……タオル一丁になった俺が大浴場へと向かおうとすると、生まれたままの姿のコン君がタチタチッと駆け出して、大浴場へと繋がるガラス戸を勢いよく開けてしまう。
「こ、コン君、タオルタオル、タオルを巻き忘れているよ!」
そんなコン君に俺がそう声をかけるとコン君は「あ、忘れてた!」なんてことを言いながら頭を掻いて……手に持ったまま振り回していたタオルを腰に巻き始める。
正直コン君はその体毛で色々なものが隠れているので、わざわざタオルをそうする必要は無いのだけど……マナーはマナーということで、ここの大浴場ではそうすることが求められている。
コン君もいずれは大人となって体毛が無くなる時が来るのだから、今からそこら辺のマナーを覚えておくのは悪いことではなく……そして俺はもう一つ気をつけるべきマナーを口にする。
「それとお風呂で走っちゃ駄目だよ、滑って転んだら大変なことになるからね。
転んで怪我して、せっかくの旅行中なのにずっとベッドの上なんてのは嫌でしょ?」
「うげ!? それは嫌だ!? ……き、気をつけるよ」
するとコン君は素直にそう言って……ゆっくりと慎重に、そこまで気をつけなくても良いのにってくらい慎重に、その大きくて器用で、木登りに向いた足でもってそろりそろりと歩いていく。
大浴場は入ってすぐに、滝の様になっている打たせ湯があり、そこで全身を清めてから入るのがここのマナーなのだそうで、まずはそこへと向かって頭から指先足先までを綺麗に洗う。
その次に向かうのは、茶色に濁った薬湯風呂で、そこに二人で入ってじっくりと体を温めて……そうしながら周囲を見渡して声を上げる。
「今日は何処のお風呂に行こうか? ジェットバスに炭酸泉、腰掛け湯なんてのもあったよね、後はー……露天コーナーのつぼ湯とか?」
するとコン君は、子供獣人用の入浴用抱き枕こと、程よい大きさに切り分けらた丸太を腹に抱えてぷかぷかと浮かびながら言葉を返してくる。
「んー……んんー……にーちゃん、オレ、あのよもぎ蒸しっての気になってるんだけど!」
そう言ってコン君は視線でもって、ガラス張りの部屋となっている一画を示し……俺はそれに「うぅん」と唸ってから、言葉を返す。
「あそこはサウナだからなー……子供の、それも全身を毛に覆われているコン君がサウナに入って良いものかどうか……。
のぼせないうちにさっさと出るなら良い……のかな?」
その言葉を受けてコン君が少し不安そうな顔をしていると……ちょうど側を通りがかった、入浴を終えたといった様子の犬耳獣人さんが声をかけてくる。
「ああ、へーきへーき、あそこの蒸し風呂はそこまで温度高くないし、むしろ子供とかじーさんとかに向けたゆるーいやつだから、全然問題ないと思うよ。
ただしあっちの奥にある、から風呂ってやつは馬鹿みたいに熱いから、あっちには入らないようにな。
あんちゃんもサウナ慣れしてないなら、から風呂には入るんじゃないよ」
「そうなんですか、アドバイスありがとうございます」
俺がそう返すと獣人さんはそのまま脱衣所へと向かって……そうして俺とコン君はそういうことなら試してみようかと、よもぎ蒸し風呂へと足を向ける。
そこの入り口側には、壁に大きくよもぎの絵と、よもぎ蒸しとの文字が描かれていて、ガラス戸にもいかにもデザイナーさんを雇って描いてもらいましたというような、おしゃれな文字が描かれていて……そんなガラス戸を開けて中に入ると、確かにサウナ程ではない、程々の熱気がふわりと俺達の体を包み込む。
それと同時によもぎの良い匂いがこれでもかと漂ってきて……俺とコン君はその香りと熱気が逃げないように、ささっと中に入ってガラス戸を閉める。
幸運というか何というか、中には誰も居なくて、階段のようになっている座席エリアと、枕まで用意してある横になって良いらしいエリアに分かれていて……俺とコン君は自然と、横になって良いエリアに進み……よもぎの香りをこれでもかと吸い上げながら、ゆっくりと横になる。
「んー……皮膚からよもぎの成分を吸い込む目的の蒸し風呂で……マントで全身を覆って、成分を逃さないようにするなんて方法もあるみたいだねぇ。
まぁ、俺達はそこまでしなくても、この香りだけでも十分かな」
「ぽかぽかするー、草の香りすごいー、へんなかんじー」
俺とコン君はそんな事を言ってから、しばらくの間無言で過ごし……程よい温かさと、嫌ではない湿気と、よもぎの爽やかな香りをたっぷりと堪能し……そうしてコン君が寝かけてしまっているのを見て俺は、コン君のお腹をそっと揺らす。
「コン君、寝ちゃ駄目だよ、寝ちゃぁ。
眠いようなら部屋に戻るか……それか別の、眠気が覚めるようなお風呂に移動しようか?」
「んあー……まだお風呂入りたいから、目が覚めるほうで!」
揺らしながら声をかけると、コン君はあくびをしながらそう返してきて、立ち上がってよもぎ蒸し風呂を出て……少し休憩するために、露天コーナーへと足を進める。
露天コーナーは日本庭園を思わせる、緑豊かな庭を囲うような空間となっていて……まさかのまさか、飲酒コーナーや喫煙コーナーなんてものがあり、従業員なのかお客さんなのか、それぞれの方法でそれらのコーナーを楽しんでいる人達の姿が視界に入る。
そうしたコーナーからは距離を取って、子供向けのコーナーへと向かうと、そこではデトックスウォーター飲み放題のサービスをやっていて……よく冷えているのか、良い感じに曇ったガラス製ウォーターサーバーが置いてある。
その中にはリンゴ、オレンジ、イチゴにグレープフルーツなど様々なフルーツが入れてあって、蒸し風呂で喉が乾いていた俺とコン君は、言葉を交わすことなく頷き合い、ウォーターサーバーの側へと向かい……スタッフさんからよく冷えたコップを受け取り、その中にたっぷりとデトックスウォーターを流し込む。
こういうデトックスウォーターのデトックス効果の程は疑問視されているらしいのだけど……今はそんなことは関係ない。
喉が乾いて普通の水でも美味しく飲めるのに、あんなにもフルーツ一杯入った水となればもう止まらなくて……ほんのりとした甘みと酸味、僅かな苦味が混ざり合い、それでいてガツンと香るフルーツの香りでいっぱいの、よく冷えたそれを俺とコン君はごくごくと飲み干す。
「あーー! 美味しい!!」
「ジュースみたいに甘くないけど! オレこれ好き!」
そうして俺とコン君はそんな声を上げてから……おかわりのもう一杯を手にしたコップに注ぎ込むのだった。
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