第189話 酸味か濃い味か


 ことの始まりは、昨日俺達が行った高級レストランの料理長による『思いつき』だったらしい。


『森の外では健康ブームだそうだから、森の外のお偉いさん達に喜んでもらうために、塩と砂糖を減らして健康に良い酢をいっぱい使った料理を作ろう』


 聞きかじりの情報でもってそんなことを言い出してしまい、かなり強引な手法で進めてしまい……最初は少ししか使っていなかった酢も、次第にどんどんと増えていってしまって。


 健康のためにと塩と砂糖をとにかく極端に減らし、減らして味気無くなったのをなんとかしようと酢を追加して……。


 そしてそんなレストランの手法に対し、別のレストランの料理長やホテルの外で屋台をやっていた人達が反発をし始めたらしい。


『塩と砂糖の何が悪いんだ! 塩と砂糖は使えば使うほど美味しくなるだろうに!』


 元々この辺りで一番の高級レストランだからと、かの料理長は鼻につく人物であったらしく、以前からそんな料理長に反発していた人々がそんなことを言い始めてしまったそうで……そうしてあれこれとやりあっているうちに派閥のようなものが出来上がり、二大派閥に参加した人達はそれぞれの方針に従って先鋭化していってしまった。


 片や酸っぱく、片や塩っ辛く甘ったるく。


「―――いや、自宅に帰って好きな味付けの料理をして食べれば良いだろってのはその通りなんだけども、外食っていうのはまたそれはそれで特別なものでね……店構えとか食材とかすごく良いんだから、そこで美味しい料理を食べたいって言うのが正直な所だと思うんだよ。

 それがなんだってまた、どこもかしこもがあんな風になっちゃったのかなぁ」


 自分の分の椅子を用意して、それに座って俺が作った串焼きや野菜焼きなんかに舌鼓を打ちながらそんなことを言う管理人さんに……俺はバーベキューコンロの上に次なるお肉を並べていきながら言葉を返す。


「もしかして……なんですけど、ホテルだけでなくここらの飲食店もお役所から補助金みたいな、そんなお金をもらっていたりします?」


 すると管理人さんは焼きおにぎりをがぶりと噛んでから、


「うん、飲食店だけじゃなくて、ここも貰っているし、レジャー施設とかお土産屋さんも貰っているけども、それがどうかしたのかい?」


 と、そんなことを事も無げに返してくる。


「どうかしたも何も、それが原因……なんじゃないですかね。

 美味しくない料理を作っても、お客さんがこなくても最悪補助金だけでやっていけるから、お客さんのことを考えなくなっちゃったって言うか……。

 そりゃぁ普段観光客とか全然来ない場所だから、補助金を出しておかないといざ観光客が来た時に困っちゃう、っていうのは分かるんですけど、それでもこう……ただ補助金をあげるだけじゃない工夫みたいなのが必要なんじゃないですか?」


「ふぅん……工夫かぁ、具体的にどんな工夫をしたら良いと君は思うんだい?」


「そう……ですね、補助金の額を減らすと言いますか、何もしないで貰えるお金をうんと減らして、その代わりお客さんが来た数に応じて追加で補助金を貰える……とかなら悪くないかもですね。

 それなら少しでも多くのお客さんに来てもらおうって努力をするはずですし、お客さんの数が少なくても単価がうんと上がるから経営は成り立つでしょうし……それでもあんな料理を出し続けるっていうなら、それ相応の結果が待っているんでしょうし。

 お客さんをたくさん呼び込めたら良い稼ぎになるってなれば、新規参入したいって飲食店も増えるんでしょうし……それも一つの観光地ってことで屋台エリアみたいなのを作って、そこにどんどん新規の業者を呼び込んで……その新規の業者がまともな料理を作るようになったら……うん、後は時間の問題って感じになるんじゃないですかね」


 派閥に関わりのない屋台に行けば普通の料理が食べられるとなれば、管理人さんのような普通の料理を望む人の避難先みたいな、そんな場所が出来上がる訳で、屋台にお客さんを取られたとなったら高級レストランの料理長も流石に焦り始めるはず。


 元々料理下手とか味音痴とかじゃなくて、変な方向に傾倒しすぎてしまったのが原因なら、そこをもとに戻すというか、目を覚まさせれば解決する……はずで、うん、悪くない案だと思う。


 そんなことを考えて頷いて……そうしながら焼き上がったお肉を配膳した俺は、次のお肉を用意しながら言葉を続ける。


「そもそもの話なんですけど、体に良いお酢も過ぎれば毒っていうか……必要以上の量を取り続けていると目に見えて害があるものですから……そういう知識が得られるっていうか、再確認出来る講習会をやるとかも良いかもしれませんね」


 するとその言葉に反応したコン君が、もぐもぐもぐと頬の中いっぱいに詰め込んだお肉とおにぎりを噛んで噛んで、更に噛んでから飲み下し、声をかけてくる。


「お酢って毒だったの!?

 にーちゃんも結構酢の物とかのお酢料理出してたよね、体にいーから食べなさいって!!」


「ああ、うん、出してはいたけど毎日じゃなかったでしょ? それにお酢を使った料理を出す時は害が無いようにってちゃんと工夫もしていたんだよ。

 お酢は、酢酸って言って酸の仲間みたいなものだから、量が過ぎると歯が溶けたり、食道や胃が荒れたりするものでね。

 その害をなくすために色々な調味料とかと混ぜることで酸の力を薄めて弱くするとか、硬いタコとかを酢の物の具にしてよく噛むように、よく唾液を出すようにして、唾液でもって酸を薄めるとか、そういう工夫をしていて……工夫をしているからコン君の歯もお腹も、何の問題もなく元気なままでしょ?」


 俺がそう返すとコン君は自分のお腹を撫でてみてから、クルミの殻を軽々と砕く自慢の歯にもちょいちょいと軽く触れる。


 そうやってお腹も歯も問題無いことを確認したコン君は、いつものぎゅっと目をつむっての笑顔を見せてきて、安心したのか笑顔のまま食事を再開させる。


 酸っぱいものを食べようとした時に、唾液がよく出てくるのも、そういった酸から食道や胃を守ろうとしてのことだ……なんて話もあるらしく、ここら辺の話は料理をする上では欠かせない知識……なはずなのだけど、どうやら料理長はその知識すらも見失ってしまっているらしい。


 そこら辺のことを思い出せれば、再確認出来れば害が無いように工夫してくれるはずで、そういう工夫をしたならまともな味に……近づくはずで……。


 あんなにも酸っぱい料理を毎日食べていたら、いずれは目に見えての被害が出てきてしまう訳で、そうなる前に解決してくれたら良いのだけど……と、そんな事を考えていると、管理人さんは、こちらに期待を込めたような視線を向けてくる。


 それはまるで俺に何かをしろと言わんばかりのもので……屋台エリア辺りを手伝ってくれと言わんばかりのもので、それを受けて俺は、


「いや、無理です。手伝えませんよ。

 俺は俺でやらなきゃいけないことありますし、ここに住む訳にはいきませんし、普通に皆との休暇をエンジョイしたいですし、時間も道具も経験も何もかもが足りませんよ」


 と、先手を打っての言葉を口にする。


 するとテチさんもコン君もさよりちゃんも、そうだそうだとばかりに頷いてくれて……管理人さんは少しだけ残念そうにしながらも笑顔になり、納得した様子を見せてくれる。


「まぁ、よその人に頼りすぎるってのもよくないしねぇ。

 自分達でなんとかしなくちゃぁいけないか……まったく、区代表の議員なんて面倒な役職に就くもんじゃないねぇ。

 美味しい料理と助言をありがとうね、本当に助かったよ」


 なんてことを言ってから立ち上がった管理人さんは、スマホを取り出しどこかに電話をしながらこの場から立ち去っていく。


 議員がどうのと突然の発言に驚いてしまった俺は、なんでそんな人がここで管理人なんか!? と、そんなことを言おうとしたのだけども、電話中の管理人さんの邪魔をする訳にもいかず、何も言えず……そうして俺はしばらくの間、呆然としてしまうのだった。

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