第172話 獣ヶ森の司法


 昼食を終えての昼休憩の時間にテチさんに聞いてみたところ、獣ヶ森内の警察……というか司法は概ね門の向こうと同じ形となっているようだ。

 地方裁判所があり、地方検察庁があり、警察署があり、刑務所があり……令状とかもしっかりと裁判所が出しているらしい。

 

 そんな中で唯一違う点を上げるとするなら……上告がほぼ不可能な点だろうか。


 いや、ルール上は可能なのだけども、上告するということは高裁、最高裁に『行く』必要がある訳で、つまりは門の外に出る必要がある訳で……そのための許可が下りることはほぼあり得ないんだそうで……そういう事情でほぼというか、実質的に不可能、ということになっているらしい。


 上告がないということは一審の判決が全てを決めることになるので、捜査をする警察官にも、起訴をする検察官にも、判決を下す裁判官にもかなりの覚悟が求められるんだそうで……そういった覚悟や知識を、家族間で継承する関係でそこら辺の職業は大体が相続で……なんてことになっているらしい。


 そういった司法のあり方に問題があることはもちろん誰もが承知しているそうで、そのせいで起こり得るだろう問題を出来るだけ回避するための努力も相応にしていて……地方裁判所ながら裁判官が獣ヶ森の全種族で構成された大人数となっていたり……警察、検察も同様に各種族の代表が、その種族の誇りをかけて任務に臨んでいたりと、想像していた以上に大変なことになっているらしい。


 それでも今まで問題なく治安が維持出来ていたというか、平穏な日々を保てていたのは、獣ヶ森という特殊な環境が影響しているのだろう。


 そもそもの人口が少ないということもそうだし、自治区という事情もそうだし、良いことをすると芽が出るなんていう、扶桑の木の存在もそうだし……そういったことが複雑に絡み合って今の獣ヶ森がある……ということのようだ。


 そしてそんな獣ヶ森の中で犯罪に手を染めるというのは、門の向こうとは比べ物にならない程の大事なんだそうで……大事だからこそほとんどの人が犯罪から距離を取った生活をしているんだそうで、そのため刑務所はほぼ空っぽ……収監されている人はほぼ0人、らしい。


 『ほぼ』という部分が異様に気になったが……テチさんがわざわざそういう言い方をするということは、言えない事情が……何かがあるに違いなく、その部分に関してはそれ以上突っ込むことなく、スルーすることにした。


「―――まぁ、司法がどういう形であれ、真面目に生きていればそれで良い訳だからな、特に気にする必要はないさ。

 事件はほぼ起きず、警察も裁判所も事故や民事が主な仕事となっていて……そういう訳で検察官は特別に暇な日々を送っているらしいな。

 ひどい時には警察ドラマの事件を再現してみて、検察官としてその事件にどう関わるか……なんていうごっこ遊びをしているらしい。

 本人達はシミュレーションだと言い張っているそうだが……全く、暇すぎるというのも問題だな」


 俺への説明をそう言って一段落させたテチさんは、俺が用意したイチゴサイダーをストローでちゅうと吸い上げる。


 そうやって喉を潤わせたなら、こほんと咳払いをして……そうしてから「何か質問は?」と、そんな言葉を投げかけてくる。


「んー……最後に獣ヶ森で刑事事件が起きたのって、いつくらいのことなの? そしてそれはどんな内容の事件だったの?

 刑務所がほぼ空ってことは、結構な間大きな事件は起きてないっていうか、実刑判決が出るようなことはなかったってことなんでしょ?」


 その言葉に対して俺がそう返すと……テチさんはストローを咥えたまま天井を見上げて「んー……」と声を上げて悩むような素振りをしてから、言葉を返してくる。


「あれはいつくらいのことだったかなぁ……確か……確か去年の5月くらいだったかなぁ。

 そのくらいにあった万引騒動が最後というか、一番最近にあった事件なんじゃないか?

 ほら、実椋もよく行くあのスーパー、あそこで万引をしてしまった馬鹿者がいてな、結構な騒動になったことを覚えているよ」


「……いや、万引っていうか、もっと大きな事件を……って、え? 万引で結構な騒動になっちゃったの?」


「そりゃぁもう大変だったぞ。

 まず各種族の警察官が一斉出動してな、100人に近い警察官による捜査と取り調べが行われて……検察官が不起訴処分って結論を出すまでに半年くらいかかったんじゃなかったか?

 裁判所は裁判所で裁判の準備をしていたそうでな、なんで不起訴処分にしてしまったんだってお冠だったらしいが……被害が20円の駄菓子で、万引をしてしまった馬鹿者も深く反省していたし、連日の取り調べでクタクタだったしで不起訴ということになったらしい。

 獣ヶ森の捜査とか取り調べは色々な問題が起こらないように録画が基本で、全ての取り調べに弁護士が同席したそうなんだが……弁護士も途中で辞任したいなんてことを言い出すくらいに大変だったようだ。

 ……それでまぁ、久しぶりの事件だからってそれは流石にやりすぎだろうってなって、関係者全員が怒られることになって……それから再発防止策とかなんとか言ってたから、今は多少は改善してる……んじゃないかな」


「お、おうっふ……そんなことになっちゃったんだ。

 ……でも、なんていうか……その、万引以外に事件が起きることは本当になかったの? 酔って喧嘩したとかそういうのすらも?」


「いやまぁ……喧嘩くらいはあるさ、そのくらいのことは日々を送っていれば当然のようにある訳だが……いざ事件化してしまった時の大変さは誰でも知っていることだからな、誰もがどこかでブレーキを踏んで、どんなに腹立たしいことがあったとしても事件化してしまわないようにするんだよ。

 ここで殴ってしまったらとんでもないことになる、ひどいことになる、半年くらいの時間を浪費することになる……と、そう思えばくだらない理由での喧嘩なんて出来ないだろう?

 いざ手を出してしまっての喧嘩になっても、内々で済ませるというか、その種族の長のような存在や町会長が出てきて、可能な限り穏便に解決することが多い感じかな。

 その万引事件は、事件を引き起こしてしまった犯人が反省しないどころか、現行犯の所を捕まえた店長にひどい罵り言葉を浴びせかけた上で挑発したりしたそうでな……それで怒った店長が警察に通報してしまって、そんなことになってしまったらしい」


「そ、それはまた……大変な事件だったんだねぇ」


「ああ、大変だったんだ。

 だから実椋……実椋も気をつけるようにしろよ、逮捕までいかなくても警察に目をつけられるだけで職務質問やら何やらで大変なことになってしまうんだ。

 場合によっては何日も何日も、家にまでやってきて繰り返して、根掘り葉掘りあらゆることを聞こうとするらしい」


「うへぇ……そうならないように気をつけるよ」


 テチさんの言葉に辟易しながら俺がそう返すと……新しく作ってあげたイチゴソーダを大人しく飲んでいたコン君が、


「オレも! オレも!

 オレも変なことしないように気をつけるよ!」


 と、元気な声を上げてくる。


 そんなコン君に俺とテチさんは、微笑ましい気持ちになって頬を緩ませ……そうしながらもお互いの目を見やり、アイコンタクトでもって語り合う。


 色々やらかそうと企んでいるテチさんの叔父さん。

 あの道で何やら不穏な空気をまといながら何かをしようとしてきたあの三人の男達……。


 ああいう連中に変に関わってしまって、同じ土俵に立ってしまうと、取り調べとか職務質問を受けることになってしまう訳で、万引事件の二の舞になってしまう訳で……そんなのは俺もテチさんも御免こうむる話だ。


 だからこそ相手にせず、深く関わらず……平和で真っ当で、法に触れないように日々を過ごす必要があるんだと、そんなことを目でもって語り合った俺達は……そうなってしまわないようにと、改めて気を引き締め直すのだった。

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