第163話 芥菜さん


「さっくらんぼー、さくらんぼー!」


 なんて歌を歌っているコン君を肩車してあげて、スーパーへと向かって足を進めていって……森の中の道をある程度進んだ所で、いつも以上にご機嫌な様子のコン君に声をかける。


「さくらんぼ、そんなに好きなの?」


「うん、大好き! すっごく甘いって訳じゃないし、種もおっきくて邪魔なんだけど、なんかこう……ついつい食べたくなる感じがあるから!」


 するとコン君はそんな、分かるような分からないようなことを言って……俺の肩の上でその体を左右に揺らし始める。


 そんなコン君が落ちてしまわないように、その小さな足をしっかりと掴んでから俺は、言葉を続けていく。


「まぁ、俺も大好きだから気持ちは分かるけどね。

 普通に食べて良し、ジャムやシャーベットにも出来るし、シロップ漬けやお酒にも出来る。

 使い方としてはイチゴとか梅とかに似ている感じだね、値段的にややお高いのがネックかなぁ」


「あー、かーちゃんもなんかそんなこと言ってたかも?

 ちっちゃくて掴むとこあって、食べやすいからどんどん食べちゃうんだけど、もっと味わいなさいーってよく怒られる!

 あとねー、さくらんぼの木が出来ないかなって、種を庭に撒いたりもする!」


「あー……子供の頃、していたなぁ、そんなこと。

 ……確かどこかの町で種飛ばしを競技にしていた所もあったような……?」


 なんて他愛のない会話を続けながら足を進めていると……特に何がある訳でもない、民家が並ぶ一帯で、コン君の体が急に強張り、俺の頭をぎゅっと抱き締めてくる。


 それを受けて一体何事だろうかと訝しがった俺が、コン君に声をかけようとした……その時。


 コン君が感じ取っていたらしい気配……俺達の後をつけてくるような嫌な気配が、獣人ではない俺でも感じ取れるくらい近くに突如現れて、俺はコン君の足をしっかりと掴んだまま、勢いよく後ろへと振り返る。


 するとそこには、何と言ったら良いのか……薄汚れたというか、その心の在り様が心と服装に出ているいかにもな連中が3人、嫌な視線をこちらに向けてきている。


 当然その3人は獣人で、一人は犬系の耳で、一人は熊に近い耳で、一人はリスの耳で……もしかしてあのリス耳は? と、俺がそんなことを考えていると……その3人が舌打ちをしながらこちらへと歩いてくる。


 それを受けて俺はすぐさまに踵を返し、駆け出そうとする……が、そんな俺の正面には一人の老人が立っていて、その苦々しい表情を受けて俺は思わず足を止めてしまう。


 この事態に対し、怒っているのか面倒くさがっているのか、いつもは自宅の前にある駐車場で道行く人々を眺めている町会長、芥菜さんがゆっくりとこちらへと歩いてきて……そしてどうしたものかと戸惑っている俺とコン君の横を通り過ぎて、三人の方へと歩いていく。


「おうおう、どいつもこいつも、見覚えのある顔でなんだ、えぇ?

 こんな真っ昼間に仕事もしないでつるんで、何事なんだ?

 暇で暇で仕方ないとか、儂に何か用だってんならいつでも話し相手になってやるが……まずはその前にまっとうな職についたらどうだ?

 何ならそっちの紹介もしてやろうか? それなりの工場にでも勤めればお前達の親族もさぞ喜んでくれるだろうよ」


 静かな声で柔らかな口調で。

 ……だけれども、その奥に確かな怒りが感じられて。


 年季を感じさせるというか、その内心の奥底に秘めている迫力を感じさせるというか、そんな言い方でもって芥菜さんがそう言うと……三人の男達は何も言えなくなって歯噛みし、怯んで数歩後退する。


 新参者で獣人ではない俺に何らかの難癖をつけようとしていたらしい三人だったが、顔見知りの……町会長として顔が広い芥菜さんを相手にする勇気というか、根性はないようで……後退していったかと思えばそのまま踵をかえして、こちらに振り返ることなく、何か言葉を残すこともなく、そのまま駆け出していく。


 そんな連中の後ろ姿を見送った芥菜さんは、すぐさまにズボンのポケットに手を伸ばし……スマホを取り出し、老人とは思えない指さばきで操作をし、通話をし始める。


「おう、ヒサちゃん、久しぶり。

 いきなりで悪いんだがな、例の3人が何か馬鹿なことをしようとしとるようでな……そうだ、そう、その3人だ。

 で、新参の森谷の……そうそう、富保さんのひ孫さんの、その彼に何か思う所でもあるようでなぁ……何人か人を回しといてくれんか。

 ……そうだ、家とか畑とかな、本人には儂から忠告しとくからよ……おう、あの馬鹿3人が親御さんに説教されるまでの間になるだろうな」


 そんな会話をしたと思ったらまたささっとスマホを操作した芥菜さんは、スマホをズボンにしまい……そうしてから今度は、ポケットからまた別の……小さくて丸い何らかのキーホルダーを引っ張り出し、それをコン君へと手渡す。


「馬鹿に目をつけられたようで、ご苦労なことだが……まぁ、安心しておけ。

 儂が町会長でいる限り、連中に馬鹿な真似はさせんからな……暇な爺さんと婆さん共が畑や家の周囲をうろついて当分は鬱陶しいだろうが、そこはまぁ必要経費だと思っておけ。

 で……コン坊、お前はこいつの側を離れないようにして、いつでもその防犯ブザーを鳴らせるようにしとけ。

 それを鳴らしさえすれば、この森の中の何処にいようが、誰かが駆けつけるからな……連中もそんなものが鳴った瞬間に逃げ出すだろうさ」


 なんてことを芥菜さんが言うと、コン君は、受け取った防犯ブザーをしっかりと握ったままこくりと頷いて、俺の頭にしっかりと張り付く。


 そうして俺は、いきなりというか、怒涛の展開すぎて唖然としてしまっていたが、コン君の爪が軽く頭皮に刺さったことで冷静になり……慌てて芥菜さんへのお礼の言葉を口にする。


「あ、ありがとうございます、芥菜さん。

 なんだか色々お世話になってしまったみたいで……」


 すると芥菜さんは、面倒くさそうに顔をしかめ「ふんっ」とそう言ってから言葉を返してくる。


「あーあーあー、良い良い、そんなのは。

 本来ならこういったことになる前に手を打つのが儂の仕事なんだからな。

 ……まぁ、何もかんもが解決したらその時は菓子折りでも持って礼を言いに来い。

 今回手伝ってもらった爺さん婆さんにも渡せるように、数のあるもんを持ってこいよ。

 ……それとだ、お前さんは買い物に行く途中だったんだろ? ならさっさと行ってこい。

 連中も儂に見咎められた直後にどうこうするような根性は持ち合わせてねぇだろうし……連中が気を取り直す前に済ませるべきことを済ましちまいな」


 そう言ってから「しっしっ」と声を上げながら手を振ってくる芥菜さん。


 そんな芥菜さんに改めて「ありがとうございます」と言った俺は足早にスーパーへと向かう。

 

 するとその道中で俺の頭にぎゅっとしがみついていたコン君が「芥菜じーちゃんかっけー……!」なんてことを言ってきて……俺はスーパーへと向かいながら「そうだねぇ、格好よかったねぇ」と当事者とは思えない呑気な言葉を口にするのだった。

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