第97話  試着


 お茶を一気に飲み干した花応院さんは「また来ます」とそう言って去っていって……それからは特に何事もなく、いつも通りの時間が流れていった。


 虫の声とテレビの音を聞きながら家事をして、家事が終わったら休憩をして、暇な時間に缶詰のことを調べて、また適当な家事をして。


 今日はコン君も畑に行っているし、俺も畑に向かっても良かったのだけど……ドレスをそのままにしていくのはどうにも気が引けて、かといって畑に持っていくものでもないように思えて……そういう訳で夕方になってテチさんが帰って来るまでの時間をそうやって過ごしていく。


 夕方になってテチさんが帰ってきて、手洗いなどを済ませて居間へとやってきた所で……「おかえり」とそう声をかけてからちゃぶ台の上を占領している、テチさんが怪訝そうな目で見やっているドレスカバーについてを説明するとテチさんは、嬉しそうに微笑み、すっとドレスカバーを手に取り……無言で自室へとそれを持っていく。


 それから何分か経ち……真っ赤なドレスを身にまとったテチさんが居間へとやってきて、いつになく真剣な表情をこちらに向けてくる。


「実椋……これが、この出来で試作品、なのか?」


 サイズはぴったりで、シワひとつなくすっと体を包み込んでいて……尻尾もしっかりとスカートの外に顔を出していて。

 夕日の中での真っ赤なドレスはなんとも印象的で……胸元の花のようなワンポイントも誰かが着ている状態だとまったく印象が違って見える。


「……よく似合っているよ、そのまま結婚式に出ても問題ないくらいに。

 ……で、まぁ、うん……俺も驚いたけれど、その出来で急ごしらえの試作品ってことになるらしいよ」


 俺がそう返すとテチさんは、軽くスカートをつまんで振り回してから……「ふぅむ」と声を上げる。


 そうやって何かを考え込んだらしいテチさんは、難しい顔をほんの少しの間だけしたものの、すぐに考えるのをやめて笑顔になって……スマホを取り出し、自らの姿を撮影し始める。


 テチさんがそういうことをするのは初めてのことで、少なくとも俺は見たことのないことで……それからテチさんは十数分の間、自らの写真を取り続けてから、満足そうな顔になって、自室へと戻り……いつもの服に着替えてから戻ってくる。


「花応院さんに伝えておいてくれ、サイズは全く問題なかったと。

 尻尾の部分が少し窮屈ではあったが……まぁ、あのくらいじゃないと尻尾を上手く包み込んでくれないんだろうし、仕方ないと思っておこう。

 獣人によって尻尾の形が違うから、獣人を相手にするならあの部分を切り離し可能というか、付け替え可能にしても良いかもな。

 フックかボタンかで固定する感じで……チャックは毛を挟むこともあるから出来るだけやめて欲しいな」


 戻ってくるなりそう言ってきて……俺はスマホでもってその言葉をしっかりとメモしていく。


「しかし……なんだ、レンタルドレスの試作品っていうのは、どういうことなんだろうな?

 これからレンタル用のドレスを仕立てていくってことなのか?

 それを私が最初に着ることになるというのは……なんだか、レンタルなのか特注なのかよく分からなくなってくるな」


 更にテチさんがそう言葉を続けてきて……メモを終えた俺はスマホをしまいながら言葉を返す。


「んー……まぁ、花応院さんの言い方だと、向こうにもこう、協力者っていうか、俺達の結婚を応援してくれている人がいるみたいで、そういう人達のおかげで受けられる恩恵、みたいなもののようだから……深くは考えずに、感謝の思いだけを伝えれば良い、はずだよ、うん」


「会ったこともない連中が応援してくれているっていうのも、なんだか奇妙な感じもするが……まぁ、そういうことなら素直に好意を受け取っておくとしようか。

 ……で、パンフレットはいつ届くんだ? パンフレットから色々……色とか形かも選べるんだよな?

 赤は嫌いじゃないんだが、どうにも派手過ぎてなぁ……無地というのもどうにも落ち着かないんだ」


「あー、うん、そこら辺の細かい話は今回しなかったけど、前に電話した時にパンフレットの話は出ていたから……来週辺りに届くのかな?

 ……うん、テチさんの要望を伝える際に、そこら辺のことも聞いておくよ。

 週に1回だけの行き来だとどうしてもそこら辺は面倒になっちゃうねぇ」


 なんて会話をしながら俺はテチさんの分のお茶を用意して、テチさんは煎餅を用意して……テレビでニュースを見ながら、まったりとした時間を過ごしていく。


 そんな時間の中でふとあることに気付いた俺は……少し悩んでから意を決してテチさんに声をかける。


「ところでテチさん……ドレス姿の写真、一枚で良いので俺のスマホに送ってくれませんか」


「……さっき十分に見ただろ?」


「いや、まぁ、そうなんだけど……また見たくなったというかなんというか、そうそう見れるものでもないだろうし……」


 と、俺がそう言うとテチさんは沈黙し……沈黙したまま天井を見たり、庭を見たりし……小さなため息を吐き出してからスマホを操作し始める。


 サッサッと指を滑らせ、そうやって撮った写真を眺めているのか、どれを送るか悩んでいるのか……そうやってある程度の当たりをつけたらしいテチさんは、しばらくの間悩み……悩みに悩んでから、選びぬいた一枚をこちらに送信してくる。


 そうやって送られてきた一枚は全くの予想外、テチさんの自室で姿見を前にして撮られたものだった。


 居間でやっていたような角度を変え、ポーズを変えての写真ではなく、気をつけの姿勢で姿見を真っ直ぐに見やりながらの写真で……どうやらテチさん的にはこれが一番普通の、当たり障りの無い一枚ってことになったようだ。


「……ありがとうございます、大切にさせていただきます」


 果たしてそれが適切なお礼だったのかは分からないけど、他に思いつく言葉も無かったのでそう言うと、テチさんは無言のまま真顔でしばらく硬直し「ふんっ」と声を上げてから立ち上がり、お風呂場へと向かい、風呂掃除をし始める。


 それを受けて俺はもう一度しっかりとスマホの画面を眺めてから……スマホをポケットにねじ込み、台所へと向かう。


 そうしてテチさんはお風呂を沸かし、俺は夕食の仕上げを行い……そこからはいつも通りに時間が過ぎていき、特に何事もなく、少しだけお互いの距離を縮めての時間を過ごしてから、それぞれの部屋へと向かい就寝するのだった。

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