第70話 両親の来訪 父の話編


 子供の頃自分の名前の由来を聞いても、適当な答えを返された記憶しかないのだが、それがまさか神様が由来だったとは……。


 罰当たりにならないだろうか? なんてことを思うが、この歳までこの名前で生きてきたのだから、今更そんなことを気にした所でどうにかなるものでもないだろう。


 そんな父さんの発言があってからは空気が緩み、テチさんもよく喋るようになって……歓談しながらの食事が進んでいって、かなりの量があったはずの料理のほとんどが食い尽くされた頃……俺が入れたお茶をすすりながら父さんが改まった態度、表情で声をかけてくる。


「そう言えば実椋、貯金の方はどうなんだ?

 式を挙げられる程度はあるのか?」


 それに対して俺は、飲みかけの湯呑みを置いてから真剣な表情で言葉を返す。


「それは大丈夫、父さんを見習って遊ぶことなく貯金しておいたからね。

 テチさんも保育士として働いているし、曾祖父ちゃんが残してくれた家も畑もあるし、式はもちろんのこと、生活に困ることはないよ」


「そうか……。

 まぁ、随分と立派な企業に入った訳だしな、営業成績も良かったのならその心配はないか。

 ……なら、そうだな、この金はこの家のリフォーム費用にでも使うと良い」


 そう言って父さんはすぐ横に置いてあった小さな鞄から銀行の名前の入った紙袋を取り出し……随分と分厚いそれを机の上にそっと置く。


 それはぱっと見た感じ数十枚という感じの厚さではなく、100枚……いや、もしかしたら200枚かという厚さで、俺はすかさず母さんの顔を見るが、母さんも知ってのことなのか、何も言わず動揺もせず、静かにお茶をすすり続けている。


「……気持ちはありがたいけど、父さん……流石にこれは多すぎるよ」


 俺がそう返すと父さんは眉を釣り上げ、今までに見たことのないような厳しい表情をこちらに向けてくる。


「お前な、これから家族を持とうって言うなら、そんなんじゃ駄目だぞ。

 貰えるもんは貰って、なんでもやって家族を守るってくらいじゃないとな、そのくらいの覚悟はないとな、全っ然話にならないぞ。

 俺があの時にこの家を継ぐって言い出さなかったのは、俺自身の気持ちやこの家の環境がどうこうじゃなくて、お前の実家と母さんの家を守らないといけないから、その義務を捨てる訳にはいかないから言い出せなかったんだ。

 あの時のお前は若くて独り身でそれを言える立場だったんだろうが……これからは違う、テチさんと生まれてくる子供を守ることが何よりで、あんなことを言える立場じゃなくなるんだぞ。

 ……いや、まぁ、父さんの考え方は少し古いからな、二人で協力してお互いのことを守って行くくらいの方が今風なんだろうが、それにしたってな、そんなんじゃ駄目だぞ」


 そう言ってから父さんは俺のことをしばらくの間睨み続けて……そうしてから居間全体を、というかこの家のことを厳しい目で睨んでいく。


「爺さんが色々といじってはくれたようだが、それにしたってこの家は古い……古すぎるよ。

 今どき茅葺屋根なんてな、そうそう見るもんじゃないよな。

 ……で、今でも茅葺屋根を続けているところはそのほとんどが防火対策をしっかりしてるんだよな、特製の消化設備を設置したりしてな。

 ……瓦屋根でさえ、ちょっとした火花が瓦の隙間に入り込んだってだけで大火事になったりするんだぞ? それが茅葺屋根だったらどうなるかは言わなくても分かるよな。

 逆に新しいしっかりとした耐火住宅は火がすぐそこまで迫ってきても燃えなかったりするんだぞ。

 ちょっと前に町一つが燃えるような大火事があったが、あんな大火事の中でも耐火住宅はびくともしなかったんだぞ、お前そういうことを少しは調べたか?

 父さんが言っていること、分かるよな? 爺さんが遺したものを守りたいという気持ちも分かるし、思い出も大事だとは思うが……そんなものよりも命の方が、家族の方が大事だよな」


 怒鳴らず手を上げず。

 冷静に理詰めでこんこんと語り続けてくる、父さんのお説教を久しぶりに食らうことになった俺は、懐かしいと思うと同時に、何も言い返せなくなってしまって、自分で自分に驚いてしまう。


 社会人になって、それなりの経験をして。

 正月なんかに実家に帰った時なんかは、子供ではなく一人の大人として父さんと会話出来ていたはずなんだが……今はそうすることが出来ない、言葉が出てこない。


 営業で散々やってきた仮面のような表情を作ることも、とりあえずの冷静さを取り繕う事もできない。

 ただただ呆然として父さんの言葉を飲み込むことしかできない。


「家を建て直すなんてのは、追々……テチさんと一緒に頑張ってお金を貯めて、お前とテチさんの好きなようにやったら良いが、それまでの家族の安全のことを忘れちゃ駄目だよな。

 最近はどこも防火対策がしっかりしてきて火事が縁遠くなってきて、火花程度で、なんてことを考える人も増えたようだが、火花一つで家も家族も失っちゃうんだぞ?

 防災頭巾ってのは衝撃から頭を守るのも勿論だが、火花が飛んできて髪の毛が燃えないようにするものでもあるんだからな?

 ここまで言えばもう分かるよな、そしてお前が今どうすべきかも……わざわざ言わなくても分かるよな」


 そう言われて俺はどうにか口を開き、


「ありがとうございます、大切に使わせていただきます」


 と、そう言ってその大金を受け取る。


 するとテチさんも頭を下げながら「ありがとうございます」と、そう言ってくれて……父さんと母さんは「それで良い」「頑張りなさい」と言葉をかけてくる。


 そうしてなんとも言えない……複雑な感情を抱いていると、ずっと静かに話を聞いていたコン君が、その目をキラキラと輝かせて父さんのことを見つめ始める。


「すっげー! ミシネとーちゃん、かっけー!!」


 更にそんなことまで言い出したコン君は、照れる父さんにキラキラとした視線を送り続ける。


 すると父さんは頬を赤らめ、オールバックに固めた髪の毛を何度も何度も、しつこいくらいに撫でて……中年親父の照れ姿という、なんとも嫌なものを見せつけてくる。


「いやー、そんな目で見られちゃうとおじさん照れちゃうなぁ。

 ……うんうん、コン君も将来好きな人が出来たら、その人をどうやって守ったら良いのかをよく考えると良いよ。

 コン君は獣人だから……もう働いているんだろう? ならお給料をしっかりと貯めて、その時のために備えると良いよ」


 調子に乗ってそんなことまで言い出した父さんは、ペラペラと色々なことを喋り始める。

 

 自分が結婚した時の話とか、俺が生まれた時の話とか、俺の子供の頃の話とか、そんなことまで。


 普段ならテチさんの前でそんなこと話してくれるなと声を上げて抗議した所だけども……今日はもう何も言えない。

 これだけのお金を貰ったのだから、このくらいのことは我慢するべきなんだろう。


「いやー、本当に子供の頃の実椋は馬鹿で無謀でなぁ。

 爺さんに預けた初めての夏休みの時に、獣人さんの森の奥の……なんだっけ、禁域だっけ?

 そこに無断で入っちゃったなんて話を聞いた時は、本当に肝が冷えたもんだよなぁ」


 調子に乗った父さんは更にそんなことまで言い出して……母さんが「そんなこともあったわねぇ」なんてことを言う中、そんなこと全く覚えていないというか、初耳というか……本当に僅かも、そんな話をされても何も思い出せない程に記憶が無い俺は……ただただ唖然としてしまう。


 俺が唖然とする中『禁域』という言葉に思う所がある中、テチさんもコン君も唖然としてしまっていて……俺達のそんな表情に気付いたのだろう、父さんと母さんは、


「なんだ、どうかしたのか?」

「何アンタ、あれだけの騒ぎになっちゃったことを忘れちゃったの?」


 と、そんな言葉をぽかんとした表情でかけてくるのだった。

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