第57話 予想外のご挨拶


 リス顔と人の顔だというのに、表情が驚くくらいにそっくりで仕草もそっくりで。

 そんなコン君父子がスペアリブの骨をかじりつく中……俺はそろそろ時間が迫っているからと寝室に移動して、スーツへの着替えを始める。


 テチさんはそんなことをする必要は無いといってくれたけども……流石に婚約の挨拶となったらスーツを着るくらいはする必要があるだろう。


 入社後に先輩に言われて作ったオーダーメイドのスーツなので、サイズは吸い付くようにピッタリで……袖を通せば自分がここに来てから痩せても太ってもいないことを確認出来る。


 着替え終わったなら寝室の壁に前からかけてあった、大きな鏡で問題がないかの確認をして……髪はどうするかなぁと悩む。


 美容院が近くなればそこに行ったのだけども……簡単に固めればそれで良いだろうか。


 そんな風にしばらく鏡を見ながら身支度を整えていると……縁側の方から聞き慣れた声が響いてくる。


「おーう、お邪魔するぞー!」


 ……。


 それはレイさんの声だった。


 こちらから挨拶に行くという話だと思ったのだけど……何故彼の声が縁側の方から聞こえてくるのだろうか?


 まさか……まさか……。

 と、そんなことを考えながら一応しっかりと身支度を整えてから、居間へと足を向ける。


 すると相変わらず骨をかじっている父子がいて、そんな父子のことを見て笑っているレイさんがいて……そしてレイさんの後ろに40代か50代かといったところの、男性と女性が立っていて……嬉しそうな笑顔を浮かべたテチさんと言葉を交わしている。


 男性の方は……細面で、白髪交じりの長い髪を首後ろで縛っていて……灰色のスーツがよく似合っている眼鏡をかけた紳士といった印象だ。


 女性の方は真っ黒な短い髪をさらさらと揺らしていて、こちらもよく似合う女性用のスーツを着ていて、テチさんと言葉を交わしながら上品な笑顔を浮かべている。


 勿論リスの耳と尻尾もあるその二人が何者かなんてことは今更誰かに説明される必要もないくらいに明白で、俺は足早にそちらへと向かい、声をかける。


「こちらからご挨拶に向かうところを、わざわざおいでいただきありがとうございます。

 私は栗柄とかてちさんと婚約させていただこうと思っている―――」


 と、そんな俺の言葉の途中でレイさんが声を被せてくる。


「ああ、こいつが噂の実椋だよ。

 で、実椋、こっちが父さんと母さんだ。二人共必要無いってのにおしゃれしちゃってさー、おかげで来るのが少し遅れちまったよ。

 お前も堅苦しい挨拶をする必要は無いぞ、婚約に関しては両親とも認めてるからな。

 とかてちが選んだ相手なら問題無いってさ、変な男を選ぶような子じゃないからってさ」


 レイさんのそんな言葉に、俺は唖然となる。


 台無しだ、色々台無しだ。

 婚約の挨拶はご両親は勿論、テチさんにとっても特別な意味のあるイベントだろうに……それを全てそんな言葉で台無しにされてしまった。


 俺も婚約が決まってから色々悩んでいたというか……昨夜は昨夜で睡眠が浅くなる程に悩んで、いくつかの挨拶のパターンを考えておいたのに……もうそんなことを言う雰囲気では無くなってしまっている。


 が、そんなことを気にしているのはどうやら俺だけのようで、テチさんは気にした様子もなくご両親に「上がって上がって」とそんな言葉をかけていて、ご両親も俺に向けて軽く黙礼をしてから、テチさんに促されるままに居間に上がり込む。


 そしてテチさんが居間の隅に積み上げてあった座布団を並べて……そこにご両親、レイさん、テチさんの順で座り……向かい合うことになったコン君父子は、顔馴染みなのだろう、驚いた様子もなく普通に挨拶をして雑談をし始めてしまう。


 そんな居間の様子を……俺からすると全く予想外で信じられない様子をしばらく見つめた俺は……とりあえず、アレを渡すかと台所に向かい……まずは鍋をちゃぶ台へと持っていって、次に人数分のお皿と箸と……いるかは分からないけども一応ナイフとフォークも持っていく。


 それが終わったならお湯を沸かして、人数分の湯呑みを用意して……色々訳が分からないままではあるものの、こういう状況になってしまったのだから仕方ないと、接客モードに徹する。


 お湯が湧いたならお茶を淹れて居間へと持っていって……ちゃぶ台へとそっと並べていく。


 するとテチさんのお父さんが、綺麗に肉を食べ上げた骨をカランとお皿の上に置いてから、声をかけてくる。


「いやー、実椋君、このお肉美味しかったよー。

 これが挨拶の品なんだって? 中々気が利いてて良いじゃないか。

 とかてちは勿論、あるれいからも色々話を聞いていたけど……うん、これからよろしく頼むよ」


「よろしくお願いしますね、実椋さん」


 続いてお母さんもそう声をかけてきて、すかさず正座した俺は「よろしくお願いします」と返してから頭を下げる。


 そうしてからもう一度立ち上がって台所に向かって……冷蔵庫の中にしまっておいたマーマレードの瓶を持って居間へと向かい、改めて自分の席の座布団の上に正座をし……瓶をちゃぶ台の上に差し出しながら口を開く。


「あの、こちらもご挨拶の品になりまして……今程出させて頂いた料理に使った甘夏のマーマレードです。

 パンに塗って食べたり、先程の料理のようにお肉に絡めて使ったりして頂ければと思います。

 ……三昧耶さんの分もありますので、残りのスペアリブと一緒にお持ち帰りになって奥さんと一緒に楽しんでください」


 そんな俺の言葉に対し最初に言葉を返してきたのは、お義父さんでもお義母さんでもなく、これから義兄として敬うことになるレイさんだった。


「っほー、マーマレードとは中々気が利いてるなぁ。

 それをパティシエのオレがいる家に贈るってのも中々勇気のある話だけどな、オレより美味くないと承知しないぞー?」


 そのなんと返したら良いのか困る言葉に「ハハハ」と乾いた笑いを返していると、次に三昧耶さんが声を上げてくる。


「いやー、うちはこういう都会風なシャレた料理は全然でしてねぇ。

 スペアリブでしたっけ? こんなに美味しいものを自宅で作れるなんて、なんだか信じられない感じですねぇ。

 パンに塗って食べるにしても、パンを買わなきゃだし……トースターでしたっけ? アレも買わないとですねぇ。

 ……いやー、それにしてもコン、お前こちらでこんな美味しいものばっかり食べてたのか? タダでレストランのような食事を毎日とは……羨ましいったらないなぁ、おい」


「へっへー、ミクラにーちゃんの料理はぜんぶ美味いからな!

 今日のお肉も美味しかったけど、燻製とかぱんちぇったとかいうのも美味しかったしー、ジャムもイチゴの方がうんと美味しかったなー!

 もうちょっとしたらにーちゃんがイチゴジャムをたくさん作ってくれるらしーから、今から楽しみなんだ!!」


 するとコン君がそう返して……その言葉を受けて三昧耶さんが目をギラリと輝かせる。


 期待と食欲に満ちた目、コン君があの椅子の上でよくする目、分かりやすく喜んでくれている目。


 そんな目を見て、本当に似ている父子だなぁこの家族はと驚いていると……お義父さんとお義母さんにも微妙な変化がある。


 コン君は美味しいものを凄く美味しいと喜んでくれる子で、それが表情に出る子で凄くわかりやすい。


 テチさんはあまり表情には出ない人で……慣れてくるとその変化に気付けるのだけど、慣れていない人や初対面の人には変な勘違いされるかもしまうかもってくらいにその変化は微妙なものだ。


 そして……お義父さんとお義母さんの変化はテチさんが喜んでいるというか、何かに期待している時のソレに良く似ていて……俺は思わず吹き出しそうになってしまうのを、ぐっと堪える。


「お、おいおい、父さんも母さんもオレが菓子を作ってやってもそこまで喜んでくれないじゃないか?

 ……え? 肉なのか? やっぱ肉なのか? うちの家族は肉を与えておけばそれで良いのか?」


 俺と同じくその変化に気付いたらしいレイさんがそんな声を上げて……それを受けて俺は「ぶはっ」と小さく吹き出してしまうのだった。

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