第56話 マーマレードスペアリブ


 テチさんとコン君の二人は結局、タケさん達に手伝ってもらっての狩りを行ったようだ。


 あちらから向かってきてくれるならともかく、こちらから逃げ回るイノシシを追いかけるというのは中々大変で……ましてやたったの二人だけで探し回ったとしてお目当てのイノシシを見つけられるかも微妙な所で、大人数かつ以前あっさりとイノシシ狩りを成功してみせた、タケさん達に頼った方が良いと考えたようだ。


 そしてその考えは正しくて、タケさん達の協力もあってあっさりとイノシシを狩ることに成功して……タケさん達には肉のほとんどを譲り、骨付きバラ肉だけを貰ってきたということらしい。


 どうやら随分と大物のイノシシであったらしく、骨付きバラ肉は以前に見たものよりもうんと大きくて……本当にイノシシか、これ? っていうくらいに大きくて、これであれば二つの家で分けても十分な量が作れることだろう。


 そういう訳でその後は、肉を切り分けたり下味をつけたりの準備をして過ごすことになり……そうして翌日、自宅待機はこれで終わり、もう何処に出かけても良いし、誰に会っても良いとなって……早朝から早速の甘夏マーマレードスペアリブ作りが始まった。


 昨日確認しておいた手順で調理していって……どういう訳か肉を柔らかくしてくれるマーマレードの効果が存分に発揮されて、煮過ぎると崩れてしまうんじゃないかってくらいにホロホロの柔らかさに仕上がってくれる。


 勿論味付けの方でもマーマレードは大活躍してくれて、甘酸っぱく味付けた上で醤油のしょっぱさもしっかりと際立ててくれて、味見ということでちょいと舐めたソースはこれ以上足すものが無いというくらいの完璧な味になっていた。


 更には香りも完璧で……換気扇を回しているというのに台所中にスペアリブの美味しい匂いが充満していて……いつもの席のコン君と、俺のすぐ背後に立つテチさんは、物凄い目でスペアリブを見て、鼻息を荒くまでしてしまっていて、今にも食いつかん勢いとなってしまっている。


「……いや、うん。

 食べちゃ駄目だからね? それぞれの家に贈るものなんだし……特にテチさんは駄目だって分かっているでしょうに……」


 俺がそう声を上げても二人はそのまま、変わらない様子を見せたままで……いやもう、本当にどうしたもんだろうなぁ、これ。


 ……と、そんなことを考えていると「ごめんくださーい」と、若い男性の声が縁側の方から聞こえてくる。


 すると俺やテチさんが反応するよりも早くコン君がその耳をピンッと立てて、無言でダッと駆け出し、声の主の下へと向かう。


「お、良い子にしてたか?」


 声の主がそんな言葉でコン君を歓迎する中、コン君は無言で駆けていって声の主の胸元へと物凄い勢いで飛び込む。


「なんだなんだ、少し見ない間にすっかりと甘えん坊になっちまったな?

 泣いちゃって栗柄さん達にご迷惑をかけたりしたんじゃないだろうな?」


 声の主が両手でしっかりと抱き支えながらそう声を上げると、コン君は胸元に顔を押し付けたまま右へ左へと首を振る。


 寂しがっている様子もなかったし、ここでの暮らしを嫌がっている様子もなかったけども……コン君もやっぱり子供なんだなぁと、そんなことを思いながら俺もまた縁側の方経と足を進める。


 農家? なのだろうか。

 白いシャツにジーンズのオーバーオールという格好で……20代前半か、後半か。

 耳を覆う程度の長さの黒髪で、頭の上にはコン君そっくりの耳が乗っかっていて……これまたコン君そっくりの動き方をする尻尾が背中の後ろで元気に動いている。


「こんにちは、私は森谷実椋と言います。

 この度は大事なお子さんを預かっている時だというのに、私事のせいでトラブルを起こしてしまい本当に申し訳ありませんでした―――」


 と、声をかけ、挨拶をし、コン君を巻き込んでしまったことを謝罪していくと、コン君のお父さんと思われる男性は、爽やかな笑顔を浮かべて「気にしないでください」とそう言ってくれて、両手の中に抱えたコン君のことを見やりながら言葉を続けてくる。


「コンのやつ、森谷さんがこの家で暮らすようになったことを本当に喜んでいましてね、毎日毎日何があった、こんなことを話したと報告してくれてたんですよ。

 富保さんが亡くなってからはどうにも元気がなかったんですが、今では富保さんがいた時よりも元気になってくれて……森谷さんには感謝しているんです。

 今回のことも森谷さんが悪いということでもないようですし、私も妻も全く気にしていませんので謝罪の必要はありません。

 働きに出していればトラブルの一つや二つあるもんですしね、こうして無事ならこちらから何かを言うことはありませんから、どうぞこれからもコンと仲良くしてやってください」


 その言葉に俺は心の底から感謝して……救われたような気分になって、しっかりと頭を下げてその想いに答えていきますとの表明をする。


 そうしてコン君のお父さんが「顔を上げてください」と言ってくれたのを受けて顔を上げ……「立ち話もなんですから、どうぞ」と声をかけ、居間へと上がってもらう。


 居間に入ってお父さんが座るとコン君は、バッと顔を上げてうるんだ目を力強く見開いて大きな声を上げる。


「そうだ、お肉! お肉があるんだ!

 テチねーちゃんとクマのにーちゃんと一緒に狩ったのをミクラにーちゃんが美味しくしてくれたんだ!

 父ちゃん食べてよ!!」


「おー? お前がかー?

 一体何を狩ったんだ?」


「イノシシ!!」


 お父さんとそんな会話をしたコン君は、お父さんの胸元を離れて、居間の中を縦横無尽に駆け回って……どうやってイノシシを見つけた、どうやってイノシシを倒した、それから俺が料理するまでのことを身振り手振りを交えて説明していく。


 お父さんはコン君の話を笑顔で、うんうんと頷いて聞き入って……時たま「そうかそうか」「凄いじゃないか」「なるほどなぁ」なんて言葉を返していく。


 その間に俺は、出来上がったスペアリブを二つに分けて、それぞれを大きめの鍋にしまってしっかりと蓋をして……そしてその一つを居間へと持っていく。


「こちらがそのお肉です。

 今回のお詫びという訳ではないですが、コン君達に食べていただこうと思って作ったものですので、どうぞ受け取ってください」


 そう言ってちゃぶ台の上に乗せて渡すと、お父さんは皺を寄せて笑顔を深くして「これはこれは、わざわざありがとうございます!」と、そう言ってくれる。


 更には「箸をお借り出来ますか?」なんてことまで言ってくれて、どうやらこの場で食べるつもりらしいお父さん……三昧耶さんまやさんのために二人分の箸とお皿を用意する。


 すると三昧耶コン君は、その笑顔を爆発させてから俺達の方を見やって「にーちゃん達も食べようよ!!」なんてことを言ってくる。


 それを受けて俺は……まさか三昧耶さんにあげたものを貰う訳にもいかないので、テチさんの方をちらりと見やり……テチさんがこくりと頷いたのを受けて、テチさんの家の分を少しだけ貰うことにして、俺とテチさんの分をお皿に盛り付けて居間へと向かう。


 そうしたなら皆で『いただきます!』とそう言ってから箸を伸ばし……まだホカホカの出来たてマーマレードスペアリブへと噛み付く。


 ホロホロ柔らかく、それでいてイノシシの肉だからかしっかりと肉の味がして、味付けはまたなんとも良い感じに甘酸っぱくて醤油もしっかりときいていて……あまりの美味しさに肉だけでなく、骨にまで齧りつきそうになってしまう。


 もっと食べたい、もっとこの味を楽しみたい。

 骨でも良いから齧りたい。


 そう思わせる味が目の前のスペアリブにはあって……そしてそれは三昧耶さんとコン君も同じなのだろう、二人は鍋の中のスペアリブを物凄い勢いで無言で食べ続けてしまう。


「あ、あの!?

 奥さんの分とか残さなくて平気ですか!?」


 そのあまりの勢いに俺が思わずそんな声を上げると、夢中で食べ続けていた二人は……先程までの笑顔を凍りつかせ、そんなこと思いもしなかったと言わんばかりの表情をこちらに向けてきて……そうして渋々といった感じでそれ以上のスペアリブを食べてしまうのを諦める。


 だが諦めながらも、もっともっと食べたいという思いは心の中で渦巻いているようで……そうして三昧耶さんとコン君は、そっくりの真顔になり、同時にお皿の上に積み上がった骨へと手を伸ばし……なんとも名残惜しそうにその骨にかじりつくのだった。

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