第40話 電話

 

 翌日―――自宅待機解除まであと5日。


 朝食の準備をしていると、防護服姿の自衛隊員さんが、様々な物資を入れたダンボール箱を持ってきてくれる。


 買い物にいけないので食料の調達などはこれが頼りで、テチさんやコン君の着替えや日用品なんかもこれで手に入れていて……二日目ということもあって、今日は昨日よりもダンボールが少なめだ。


 必要なものは大体が既に手に入っていて……いくら向こうのお金で用意してくれると言っても、遠慮というか限度がある訳で……生鮮食品などを中心におとなしめの注文にした感じだ。


 ダンボール箱は縁側に置いてもらって、受け取りのサインをして、明日の分の注文書を渡して……それが終わったなら、ダンボールの開封は後にして台所へと向かう。


 余計なものを触ってしまったので手を洗い直して……おひたしにした菜っ葉を盛り付けて、わかめと豆腐の味噌汁を完成させて……グリルで焼いた鮭を魚用の皿に盛り付けていく。


「おふぁよーう」


 そうしているとコン君が寝ぼけ眼でとことこと歩いてきて……顔をぐしぐしと撫でながらぴょんぴょんと飛び上がり、いつもの椅子にちょこんと座る。


「あれ……今日は普通のご飯だ」


 普通の、というのはつまり和食のことなのだろう。

 そう言って目を丸くするコン君に、俺は作業を進めながら言葉を返す。


「うん、毎日洋食ばかりじゃ飽きちゃうだろうし、そろそろ和食が懐かしくなってきたかと思ってね。

 和食が嫌いという訳じゃぁないんでしょ?」


「うんー、嫌いじゃないけど、ふつーだなぁー……」


「はは、まぁ、洋食を食べたいならお昼とかに作るから、とりあえず朝はこれで我慢しておいてよ」


「うんー、分かった!」


 と、そんな会話をしていると今度は寝ぼけ眼のテチさんがやってきて……寝癖をそのままにふらふらと歩いてきて、コン君のことを抱き上げる。


「……コン、お前はこっちだ、朝のシャワーがまだだったろう」


「えーーー! 良いよー! お風呂は夜に一回でー! 朝は面倒だよー!」


 テチさんの言葉を受けてコン君はそんな声を……抗議の声を上げてじたばたと手足を暴れさせるがテチさんは構うことなくコン君を抱きかかえて……そのままお風呂場へと歩いていく。


 テチさん曰く毛の美しさと艶やかさのためには朝と夜と運動後のシャワーと入浴が大事なんだそうで、入浴後の手入れが特に大事なんだそうで、普段そこまで毛の手入れをしてなかったコン君は、それに巻き込まれた形となっている。


 個人的にはまだ汗がべたつく季節でもないし、無理にシャワーをしなくても良いのでは? とも思うのだけど……獣人特有の体毛のことについては全く知識が無いため、何も言うことが出来ない。


 とりあえず、コン君がお風呂場でわーきゃーと声を上げているうちにちゃぶ台に用意した朝食を並べて、ご飯を盛り付け牛乳を用意して……準備が終わったなら、


「朝ごはん、出来たよー」


 と、声を上げる。


 するとコン君が艷やかな体毛をなびかせながらテテテッと駆けてきて座布団の上に滑り込む。


 するとすぐにテチさんもこちらへとやってきて……手入れが途中だったのか、手に持ったクシでもってコン君の尻尾を軽く撫でてから、自分の席に腰を下ろす。


『いただきます』


 三人揃ったなら手を合わせて声を上げて……朝食をゆっくりと楽しんでいく。


 時間に余裕はあるし、急ぐ理由もないし、一つ一つの味を楽しみながら箸を進めて……そうして食べ終えたなら歯磨きを済ませ……歯磨きの間に沸かしておいたお湯でもってお茶を淹れて……三人で淹れたてのお茶をゆっくりとすする。


「……今日は何をしようかなぁ」


 と、俺がそんな声を上げた時……居間の棚の上に置かれた電話が鳴り始める。


 ファックス一体型の……少し古いタイプの電話で、スマホではなくこちらが鳴るのは珍しいなぁと受話器をとって「もしもし?」と声を上げると……受話器の向こうからやかましい声が響いてくる。


 訛りがきついのと声が大きいのとで、その内容を上手く聞き取る事ができず、俺が受話器を少し放しながら顔をしかめていると……テチさんがすっくと立ち上がって、受話器をよこせと仕草で伝えてくる。


 確かに受話器の向こうの何者か……中年くらいの男性はとかてちとかてちと、テチさんの名前を繰り返していて……俺は素直に頷き、受話器を手渡す。


「……はい、代わりました。

 はい、そうです、そして余計なお世話です、貴方に言われることではありません。

 はっきり言って迷惑なんです、挙げ句の果てに他所の家にまで電話してくるなんて。

 ……それしか言うことがないのであればこれで失礼します」


 それはとても冷たい態度というか、感情を感じさせない淡々とした態度だった。

 事務的……とも少し違うか、事務的ならもう少し愛想良くするだろうしなぁ。


 どちらかというと……拒絶、関わりたくないと、関わってくるなとそう言っているかのようで……そうしてテチさんは受話器を置いて、通話を切ってしまう。


「……テチさんの知り合い?」


 テチさんと同時に座布団に座って湯呑を手に取った所でそう尋ねると、テチさんは「ああ」とそう言って頷く。


「あれは私の叔父で……古臭いというか、今の時代じゃ誰も相手にしないような、おかしな考えを持っているんだ。

 女は大人になったらすぐにでも結婚するものだとか、働くものじゃないとか……それだけじゃなくて酷い時には本を読むだけでもそんなものは女には必要ないと口を出してくる有様なんだ。

 ……それでも立派な人物であれば相応に敬意を払いもするが……叔父は大人になってからはロクに仕事にも就けず、人にあーだこーだという割に自分は結婚していないという、かなりの問題がある人なんだ」


 テチさんが言うには、獣人が大人になる際にはその叔父さんのようになってしまう人が少なからず居るらしい。


 子供の頃は獣人の力で、獣の力でガンガン働いて、他の子供以上の活躍を見せるのだけども、勉強を始めると勉強についていけず、獣の力を失うと何も出来なくなり……そしてそのまま良い職場への就職の機会を逸してしまい……意欲なども失ってしまう。


 それでも役所が斡旋してくれる仕事をしたりだとか、家族の仕事を手伝ったりだとか、色々な仕事があるはずなのだが……そういった仕事は自分の仕事じゃないとか、女の仕事だとか言って手を出そうとしないのだとか。


「なまじ子供の頃はヒーローだっただけに、プライドが邪魔してしまうようだな。

 それならそれで勉強を続けて資格を取ったり、起業したりしたら良いと思うのだが……叔父はそれすらも出来ないようだ」


 そう言ってテチさんは庭の方を……その向こうに広がる空の方を見て、なんとも言えない表情をする。


「なるほど、なぁ……。

 獣の力を失う……か、獣人も色々大変なんだなぁ……」


 と、そんなことを言いながらコン君の方をちらりと見ると、お茶を飲み干したコン君は「ふふん!」と得意げな顔をしてから、


「オレはだいじょーぶ! テチねーちゃんに言われていっぱい勉強してるから!

 大人になってもへーきだぜ!」


 と、そう言ってくる。

 するとテチさんはコン君の方へと向き直り、柔らかに微笑んで……コン君の頭をそっと撫でる。


「そうだな、コンは優秀だものな。

 算数ドリルも漢字ドリルも新しいのを渡せばすぐに解いてしまうものな」


 撫でながらそう言ったテチさんはコン君のほっぺたを両手ではさみ、うりうりと挟んだまま撫で回し始める。


 そんなコン君とテチさんを見て……もしかしたらテチさんは叔父さんのような人を増やしたくなくて保育士になったのかなと、そんなことを考えていると……コン君を撫でながらテチさんが、ぽつりと声を漏らす。


「……本当にあの男は全く、古臭いというかなんというか……。

 男の家に泊まったくらいで貞操がなんだのと……実椋は人間、獣人をそういう目で見る訳ないだろうになぁ」


「えふん!?」


 瞬間、口の中に含んでいたお茶が少し逆流する。

 吹き出すまではいかなかったものの……鼻の方に少し入ってしまい、なんとも言えない不快感が頭の奥へと突き抜ける。


 そして俺がそんな風に動揺してしまっている所を見てかテチさんは、なんとも言えない半目をこちらに向けてくるのだった。

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