第38話 失敗


 たっぷりと運動して汗をかき、テチさんとコン君、その後に俺という順番でシャワーを浴びて着替えたなら……お昼の時間だとなって、さて、何をしようかなと考えながら台所に立つ。


「うーん……今から手の混んだ料理は難しいから、サンドイッチにしようかと思うんだけど、良いかな?」


 と、俺がそう言うと、流し台に座ったコン君と居間でゆったりとしているテチさんは頷いてくれて、ならばと冷蔵庫をあけて具材の準備を始める。


 野菜はレタスときゅうり、メインは……厚く切ったハムにしようか。

 バターを塗ってコショウを効かせれば食べごたえのある出来になってくれるはずだ。

 それと一応ゆで卵サンドも用意するかと取り出して……ああ、ピクルスを買っておけばよかったかな、なんてこと思う。


 まぁ、無いものは仕方ない、あの酸味があるだけでサンドイッチの味が一段上がるんだけど……バターにマヨネーズを混ぜることで酸味を出すということで勘弁してもらうことにして……鍋を用意して卵を茹で始めたなら、野菜を丁寧に水で洗っていく。


 するとその様子を見ていたコン君が……きゅうりのことをじぃっと見つめながら言葉をかけてくる。


「そう言えば野菜の保存食って無いのかー?

 野菜は燻製に、出来ない……よな?」


「あーうん、まぁ、やろうと思えば出来るんだろうけど、野菜を燻製で美味しくするのは難しいだろうね。

 そして野菜の保存食は勿論、色々と存在しているよ、ドライフルーツのように乾かしたりとか、塩漬けや酢漬け醤油漬けや味噌漬けのような漬物もあるし……それとピクルスなんかも有名だよね」


 と、俺がそう言うとコン君ではなく、居間で話を聞いていたらしいテチさんが、大きな声を上げてくる。


「ピクルスってようは酢漬けだろう? なんでわざわざそれだけ別に名前を挙げたんだ?」


 そんなテチさんの声に対して俺は「あー……」と作業を進めながら声を上げて……テチさんの方に顔を向けながら声を上げる。


「えっと、ピクルスってのは英語で『漬物』って意味で一般的には酢漬けをイメージする単語なんだけど、俺はある漬け方で漬けた野菜漬けのことだけをあえて『ピクルス』って呼んでいるんだ。

 で、それがどんなものかというと、薄い塩水で漬け込んで発酵させて、発酵の力で酸っぱくしたものなんだよ。

 お酢を使わなくても、お店で売っているピクルスみたいに酸っぱくなってくれて、それでいてただの酢漬けとは違った味わいがして美味しいんだよね。

 ……そっちのはピクルスじゃなくて『発酵ピクルス』と呼んだ方が正しいのかもしれないね」


 するとテチさんは興味無さげに「へー」と返してきて……コン君がその目をキラキラとさせながら声をかけてくる。


「オレ、ピクルスってハンバーガーに入ってるのしか食べたことないけど、そんなのがあるなら食べてみたいなー!

 ミクラにーちゃん! 今度作ってよ!」


「あー……うん、そうだね……うん。

 コン君が食べたいっていうなら……うん、今度作ってみるよ。

 うん……次は、次こそは失敗しないで……うん、美味しいピクルスを作ってみるよ……!」


 力を込めながら……料理の手を進めながら俺がそう言うと、コン君はどうかしたの? と言いたげな表情でこくんと首を傾げてくる。


「ああ、いや……以前ピクルスに挑戦した時は、塩分濃度が低かったのか、置く場所が悪かったのか……見事にカビてしまったんだよね。

 漬物の天敵……カビ、これにやられるとショックが大きいのもそうなんだけど、使った野菜全てが駄目になっちゃうのがなんともね……。

 野菜ならまだ安いから良いんだけど……良い梅を買い揃えて挑んだ梅干しで失敗しちゃった時は……フフ、精神的にお財布的に大ダメージだったな……」


 そう言って俺は遠い目をする。


 カビを防ぐには塩分濃度を上げれば良いのだが、そうすると今度はしょっぱくなりすぎて、味と健康が失われてしまう。


 だからとちょうど良い塩加減を目指そうとして、ちょっとでも塩分が薄くなってしまうと容赦なくカビが侵食し、具材全部を駄目にしてくれて……健康云々を気にするならそれらは全てを廃棄するしかなくなってしまう。


 俺は過去に発酵ピクルス作りと梅干し作りでその敗北を味わっていて……それ以来、中々勇気が出ず、また野菜を無駄にしてしまうのではないかという恐れがあって、中々再挑戦が出来ずにいた。


 梅干しに関してはある人からの助言を受けて、ある簡単な方法での再挑戦をして無事に成功していたのだが、ピクルスはまだ一度も挑戦出来ておらず……あるいはここならば、広い倉庫があるここならばいけるかもと、そんなことを思いながら作業の手を進めていく。


 パンを用意してバターとマヨネーズを混ぜたものを塗り込んで、ちぎりレタスと斜め輪切りきゅうりを敷き、厚めのハムを乗せて……塩分はバターとハムで十分だから、後はアクセントの胡椒を……ミル付きケースの口をぐりぐりとひねり、パン全体にふりかけていく。


 そうしたならレタスを更に乗せてきゅうりを乗せて……バターとマヨネーズを塗ったパンを上に乗せて完成だ。


 茹で上がった卵は一旦冷水に浸して、冷えているうちに皮むきを済ませて、包丁で切れ目を入れてから黄身と白身に分けて、丁寧に刻んだなら塩コショウとマヨネーズで味を整えながら混ぜて……多めにパンに乗せて挟み込んだらこっちも完成だ。


 レタスハムサンドと卵サンド、欲を言うなら更にジャムサンドがあったほうが良かったんだけども、まだジャムは作れていないので次回に回すことにしよう。


 と、そんな風に作業を進めているとコン君は、俺の作業をじぃっと、じっくりと見つめてから……俺の顔を見てにへらと笑う。


「だいじょーぶだよ、ミクラにーちゃん!

 ミクラにーちゃんの料理って富保じーちゃんの料理よりうんと丁寧だし、美味しそうだし、実際美味しいし!

 こんなに美味しい料理できるんだから、ピクルスくらいきっと楽勝だよ!」


 どこまでも無邪気で本当にそう思っているのだろうと確信出来る笑顔でコン君がそう言ってくれて……俺も出来るだけの笑顔をコン君に返す。


 折角時間とお金に余裕がある日々を送れているんだ、徹底的に調べてしっかりと準備して、良い道具を揃えて、新しいこと失敗したことにどんどん挑戦していって……どんどん成功させていけば良いじゃないか。


 コン君やテチさんといった食べてくれる人、楽しんでくれる人……楽しみにしてくれる人が居るんだし、一人で作って一人で食べていた以前とは違う、コン君達のことを思えばこそ……今度こそ安全で美味しいピクルス作りに成功出来るはず!


 そんな根拠のない自信を獲得することに成功した俺は、笑顔でサンドイッチをお皿に乗せてちゃぶ台へと配膳していって……飲み物の牛乳を三人分用意する。


『いただきます!』


 そうして三人で声を上げたなら、サンドイッチを掴んでがぶりと噛み付いて……そうしてちょうど良い塩梅に仕上がったサンドイッチを口いっぱいに頬張りながら、三人でのランチを存分に楽しむのだった。

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