第18話 ドライブをしながら


 ボタン鍋と言えばやはり、白菜に長ネギ、春菊にえのきに豆腐だろう。

 味付けは味噌と生姜をメインにして、じっくり煮込んで……ほろほろのボタン肉と味がしっかりついた野菜や豆腐を白米と一緒に食べたなら、それはもうたまらない美味さだろう。


 それらの食材と鍋と、白米を買うとなると以前の買い物どころの騒ぎではなく、車無しにそれをやるのは無謀だと言えて……そういう訳でテチさんが車を用意してくれることになった。


 土曜日の朝に我が家まで来てくれて、それからスーパーやホームセンターへ行き、必要な品々を揃える。


 揃えたら下拵をして準備をして……日曜日のボタン鍋パーティに備えるという訳だ。


 そんな土曜日までの数日は、特に何事もなく、これといって語ることもなく過ぎていって……そうして土曜日の朝9時。


 土日は畑仕事もおやすみとのことで、諸々の雑事を済ませて縁側でのんびりとした時間を過ごしていると……車が土道を踏む音が聞こえてくる。


 あちらとこちらの間にある門からこの家のまでの道は、そのまま真っ直ぐ……畑とはまた別の方向に伸びていて、その先には以前みた森の中の道へと合流する十字路があるそうだ。


 そういう訳で車の音もそちらから聞こえてきていて……予想していたのとは違う、白いバンが姿を見せる。


 それはいかにも配達用の車といった趣きで、車体の横には大きな文字が……『洋菓子 栗柄』と、書いてある。


 栗柄はテチさんの名字で、そのバンはテチさんが用意したもので……テチさんの実家はお菓子屋さんだったのか!? と、驚いていると、運転席の窓をあけて顔を出したテチさんが一言、


「違うぞ」


 と、そう言ってくる。


「えっと……違う、とは?」


 立ち上がりながら俺がそう返すと、テチさんは助手席に乗れとジェスチャーをしながら言葉を返してくる。


「この車は私の実家の車じゃぁない。

 兄さんの車で……まぁ、兄さんがやっている洋菓子屋の配達車なんだ」


 そんな説明を聞きながら、車のドアをあけて助手席に座り込み……シートベルトを着用していると、車の方向を直しながら、運転を再開させながらテチさんが説明を続けてくる。


「兄さんはまぁ、あちらで言うところのパティシエなんだ。

 ……パティシエと偉そうに言っても、全部独学の自己流パティシエなんだがな」


「ど、独学……!?

 それはまた凄いというか、なんというか……」


「あちらに学びに行くなんてことは出来ないからな、独学しかなかったんだよ。

 ……こっちにも洋菓子はある、あるにはあるんだが……どれもこれも、コンビニにあるような量産品か、見様見真似の素人仕事のものばかりだった。

 だがテレビでは毎週のように美味しそうな店の特集とかをやっていて、子供達はそれを見て無理だということも分からずに食べてみたい食べてみたいと我儘を言ってしまって……そんな状況をなんとかしたいからって兄さんはパティシエを目指したって訳だ」


 そうしてレイさんはネットや本を参考にしての勉強を始めて……子供の頃に稼いだお金を切り崩しながら数年間の修行を行って……そうしてコンビニなんかの量産品では相手にならない程の、上等な洋菓子を作れるようになり、お店を開くまでに至った、ということらしい。


 そんな説明を受けてただただ感心してばかりの俺をちらりと見た、運転中のテチさんは……ふんっと荒い鼻息を吐き出し、自慢げに……誇らしげにしながら、更に言葉を続けてくる。


「……何日か前、兄さんがグラッセを持ってきただろ?

 兄さんは子供達への差し入れだとか契約のお祝いだとか、そんなことを言っていたけれど、本当の所は実椋、お前に食べてもらいたくて持ってきてたんだよ。

 あちらの洋菓子を食べ慣れた実椋が食べて、違和感を抱くことなく美味しい美味しいと食べてくれたら……自分の洋菓子作りは間違ってなかったって、自信を持てるだろうって、そんなことを考えていたらしい」


「ああ、それで……」


 と、俺はそんな声を……納得の声を返す。

 あの美味しいグラッセ以外にも、今日までのほぼ毎日、色々なお菓子を貰っていて、それらも美味しい美味しいと食べていて……。


 少しばかり貰いすぎではないだろうか? という程にお菓子を貰ってしまっていて……どうしてこんなに良くしてくれるのだろうかと、毎日の仕事を抜け出してまで良くしてくれるのだろうかと、そんな疑問を抱いてしまう程だった訳だけど、そういう理由なら……なるほど、納得出来る話だ。


「レイさんは努力家なんだなぁ。

 ショートケーキもモンブランも、名前も分からないようなお菓子も本当に美味しかったし……子供達のためにって想いであそこまで出来るのは本当に凄いと思うよ」


 俺がそんな感想を口にすると、テチさんは小さく微笑んでから口元を引き締めて、少しだけ太くした声を返してくる。


「まぁ、独学も良いことばかりじゃないんだけどな。

 練習ってことで何度も何度も、飽きるくらいに同じ菓子を作っては私に食わせようとしてくるし、独学ってことで本を読みまくっているからか、どうでも良いうんちくばっかり語るようになっちゃったし……ほら、お前も聞いただろ? グラッセの時にマロニエの実がどーのこーのって」


「ああー……フランスでどうのこうのって……そうか、あれは本の知識だったのか」


「そうそう、そんなのが家でずっと続くんだ。

 ……アレと結婚する人は苦労することになるだろうな」


「まぁでも、他にライバルがいないような状態であの腕前なら、すごく繁盛するんだろうし……生活に困りそうにないって意味では良い物件かもしれないよ?」


「ところがな……稼ぎは良いものの、その稼ぎをやれ道具だ、やれオーブンがどうのだって投資に回してしまうからな……生活が楽かはまた別問題だぞ。

 ここらで手に入らない材料や道具は全部輸入で、それも質の良いものばかりにこだわるからなぁ……。

 富保の畑の栗やクルミだって、他所に売ればかなりの高級品だっていうのにまったく、それをあんな風に菓子にしてしまうんだからなぁ……」


 テチさんによるなんとも生々しいと言うか、リアルな愚痴を聞きながら、適当な相槌を打っていた俺は……生々しいついでだと、ふと気になったことをそのまま口にする。


「ちなみにだけど、高級品のあの畑の栗やクルミはどれくらいの値段で売れるものなんだ?」


「ん? ああ、いくらくらいだったかな……クルミはそこまでの値段がつかないんだが……栗は確か、去年は大きいもので一粒3000円になったと聞いたかな」


「へぇー……一粒3000円……ひ、一粒!?

 一粒ってあの、あのイガの中にある、あの一粒が!?」


 あまりのことに俺がそう絶叫してしまうとテチさんは、なんともうるさそうに表情を歪めながら、こっちは運転中だぞとの、抗議の視線を向けてくる。


 それを受けてぐむっと黙ることになった俺は……まさかあの畑の栗がそこまでの高級品だったとはと驚きながら、なんとも言えないそわそわとした気分に包まれてしまうのだった。

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