第5話 曾祖父ちゃんの趣味
テチさんの一族と契約して得だったのか、損だったのか。
そこら辺のことは今は考えないことにして……収穫後に考えることにして、テチさんから目を反らした俺は、畑の子供達へと視線をやる。
子供達は一生懸命に働いていたり、気持ち良さそうにぐっすりと眠っていたり、あるいは近くの友達と追いかけっこやらじゃれあいをして遊んでいて……その光景をしばらくの間、じぃっと見つめる。
真剣だったり幸せそうだったり笑顔だったり、子供達の表情は色々だけども、嫌そうな顔や苦しそうな表情をしている子は一人もおらず……改めて強制された児童労働ではないということを確認した俺は……ほっとため息を吐きながら、その光景を見つめ続ける。
そうやってしばらくの間、子供達の様子を見つめ続けて……その間に考えたことを、ぽつりと口にする。
「テチさん、明日でも良いから、ここで働く子供達の名簿をもらえないかな?」
するとテチさんは「ふぅん?」と声を上げて、少しの間考え込んでから……言葉を返してくる。
「別に構わないと言えば構わないが、なんで名簿なんかが必要なんだ?」
「ここで働く子供達の名札を作ろうかと思ってね。
……いざ、怪我をしたりトラブルがあったりした時に、子供の名前が分からないと色々と問題があるだろう?
怪我をした子供が、泣き続けたりして自分の名前を上手く言えないとかは、よくあることなんだろうし……そういう時に名札があれば、すぐに何処の誰なのか確認が出来るかと思ったんだ。
テチさんは皆の名前を覚えているんだろうけど、俺にはどの子も同じに見えて、覚えきるまではかなりの時間がかかりそうだし……必要なことだと思うんだよ。
テチさんが常にここに居てくれるなら必要ないかもしれないけど……そういう訳にもいかないだろうから」
「……そういうことなら了解だ、明日にでも作ってこよう。
富保は新顔が来たらすぐに名前を覚えていたが……まぁ、そうだな、獣人に見慣れていない外の人間には難しいのかもしれないな」
「あの子達の顔をしっかりと見分けていたとは、さすがは曾祖父ちゃんだなぁ……。
っていうかあれだ、曾祖父ちゃんが病院に運ばれる間際まで現役でいられたのは、あの子達の力を借りていたから……ってことになるのかな?」
「まぁ、そうだな。
私達と契約して、私達に畑のことを任せて……富保はここで茶を飲みながら子供達のことを見守っているか、趣味に精を出しているかだったな。
ここで子供達のことを見ながら趣味の下拵をするなんてこともありはしたが……ここではやれることは限られるからな」
曾祖父ちゃんの趣味。
あの倉庫を埋め尽くしていた曾祖父ちゃんの宝物。それを作るのが曾祖父ちゃんの趣味で……その趣味は幼い頃の俺を、あの時の俺を救ってくれてもいて……。
晩年の曾祖父ちゃんがその趣味にどっぷりと浸れていたというのは、とても嬉しいことでもあり、俺が思わず笑みを浮かべていると……じぃっと、じっとりとした視線を向けてきたテチさんが、言葉を続けてくる。
「で、お前はどうするんだ?
畑のことを教えてやるといっても、そんなに時間を食う訳でもないし、世話をしようにもそこまでやることがある訳でもない。
収穫の秋が来るまでの時間を潰せる趣味でもないと、暇が過ぎて頭がおかしくなってしまうかもしれないぞ」
暇すぎて頭がおかしなるなんてのは、現代日本人にとっては……社会人経験者にとっては、とても羨ましいことで、憧れることで……まさにスローライフって感じで、それはそれで面白いかもなぁと思いつつ、俺は前々から考えていたことをそのまま言葉にする。
「俺も曾祖父ちゃんの趣味に手を出そうかと思っているよ。
曾祖父ちゃんの想いを引き継ごうとか、そんな大したものじゃぁないけど……子供の頃に見た倉庫のあの光景は、棚をいくつものツボやビンが埋め尽くす光景は、格好良かったっていうか美しかったっていうか……憧れを抱く光景だったから、またあの光景を作り出したいと思ってるんだ」
するとテチさんは、小さなため息を吐き出して、やれやれと首を左右に振りながら言葉を吐き出す。
「富保も大概おかしなやつだったが……血を引いているだけあってひ孫のお前もおかしなやつなんだな。
……『保存食作り』なんてのを趣味にするのは富保くらいだと思っていたんだが、まさかその後継者が現れるとはなぁ」
そう、保存食作り、それが曾祖父ちゃんの趣味だった。
塩漬け、砂糖漬け、酢漬け、アルコール漬け。
燻製に乾燥、缶詰、瓶詰め、真空パックに氷漬け。
梅干しにジャムにコンポート、ドライフルーツにビーフジャーキーに。
わさび漬けにピクルスに、高野豆腐に凍みこんにゃく。
多種多様な美味しくて長持ちする保存食を作って……親戚に送ったり自分で食べたり、保存食パーティをしたりと、色々な楽しみ方をしていた。
今は空っぽの倉庫にはそれはもう、数え切れない程の保存食が入ったビンやツボがずらりと並べられていて……曾祖父ちゃんはそんな光景を見て悦に入ったりもしていたっけ。
そして俺は……子供の頃の夏休み、曾祖父ちゃんの家に遊びに来ていた時に、その保存食達に救われていた。
いや、救われたというのは少し大げさかもしれないが……倉庫を埋め尽くす程の、いくつもの保存食のおかげで、あの災害を何の不安も抱くことなく乗り切ることが出来ていたのだった。
「……子供の頃、夏休みになると俺は、毎年のように曾祖父ちゃんのとこに遊びに来てたんだよ。
で……15年前、夏休みが始まって曾祖父ちゃんの家に来た直後に、あの大災害が起こったんだ―――」
大災害。この辺り一帯を襲ったそれは、山の下の町を破壊し尽くし、町までの道を破壊し尽くし……曾祖父ちゃんの家を陸の孤島にしてしまった。
……いや、仮に道が破壊されなかったとしても、結果は同じだっただろう。
テレビで見た山の下の町の光景はまさに地獄絵図といった有様で……家も学校も道路も何もかもが破壊され、町から……この辺りの地域全てから日常というものを完全に奪い去ってしまっていて、そこから先の何処にも移動することが出来なかったからだ。
そしてテレビカメラが映し出したのは災害を生き延びた人が、水や食料を求めて避難所へと殺到する光景で……その光景を見た俺は、災害が恐ろしくて、これから自分が飢えて苦しむのだということが恐ろしくて、酷いまでの号泣をしてしまった。
「―――そんな時曾祖父ちゃんが笑いながら言ったんだ、泣くことは何もないって。
夏休みが終わるまで、実家に帰れるようになるまで好きなもんを好きなだけ食わせてやるから安心しろって。
それから俺を倉庫に連れていってくれて……子供は絶対に立ち入り禁止だって言っていた倉庫の中に入れてくれて、あの光景を俺に見せてくれたんだよ。
あの時は驚いたなぁ……特にジャムのビンが並んでいる光景は凄くてさ、カラフルで美味しそうで、中にはどんな果物を使っているのか分からないものまであって……どんな味がするんだろうってワクワクして。
それで俺はいつの間にか泣き止んでいて……本当に夏休みが終わるまで、俺は腹をすかせることなく楽しく毎日を過ごせたんだ。
その上、曾祖父ちゃんは道の補修工事が終わったと聞くなり山を降りてさ、顔見知りにどんどん保存食を配っていてさ、皆に凄く感謝されてさ……まるでヒーローみたいだったよ」
それから俺は保存食作りに興味を持つようになり……何度か、梅干し作りやジャム作りに挑戦してみたが、実家やアパートでやれることには限界があって、作ったものを置く場所も限られていて……結局大したことは出来ないままだった。
だがここなら……曾祖父ちゃんの家なら、いくらでも作ることが可能で……憧れだった保存食作りを、保存食で棚を埋め尽くす光景を自らの手で出来るとなって俺は、胸を躍らせながらぐっと拳を握り込む。
するとテチさんは、半目で……とても冷たい半目で俺のことを見やって、
「……へぇー……」
と、心の底から興味無いとでも言いたげな声を上げてくるのだった。
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