第2話 獣人


「……私達が畑の世話をする、富保は報酬として収穫の3割を私達に寄越す。

 それが私達と富保が交わしていた契約だ」


 渋い表情のリス獣人の女性はそう言って……こちらの様子を注意深く伺ってくる。

 俺がその契約を結ぶ気があるのかどうか、契約の内容をどう思っているのか、探っているのだろうか。


 3割……3割を渡して畑の世話をしてもらう……か。


「その世話とは具体的にどこまでやってもらえるものなのでしょうか?

 収穫までに必要な作業全てと収穫までやって3割、ということでしょうか?」


 浮かんできた疑問をそのまま投げかけると女性は無言でこくりと頷き……じっとこちらを見つめてくる。


 畑の世話全てをやらせて3割を渡す。

 それは逆に言うとこの女性達が世話をし、収穫した栗やクルミの7割を奪っていたということになる訳で……曾祖父ちゃんは随分とえげつない契約をしていたんだなぁ。


 土地と畑は曾祖父ちゃんのもので、そこで働いて収穫の一部を貰う……昔の小作農みたいなものだろうか?


 小作農も確か収穫の3割くらいをもらえていたそうだから……それにならった、とかなのだろうか?


 3割……3割か、3割を払うならいっそのこと……と、思いついたことがあって俺が、


「なるほど……3割ですか。

 3割で畑の世話全てをやってもらえる……。

 ちなみにですがその割合を変更していただけることは可能ですか? たとえば―――」


 と、その内容を提案しようとすると女性は目を鋭くして凄まじい表情をし始めてしまう。

 

 拳をぐっと握り、凄まじい力を込めて……今にもこちらに飛びかかってきそうな気配で、思わず怯みそうになるが、それでもしっかりと前を向き、女性の目を見て言葉を続ける。


「―――たとえば4割をお渡しするので、引き続き畑の世話をしてもらい……そのついでに畑のことについてのことを教えて頂く、とかは可能でしょうか?

 自分は畑のことを何も知らないのです。知らないままお任せするというのも一つの手なのでしょうが、今後のために……曾祖父の畑を守っていくためにどんな世話をしているのか、どんな世話が必要なのか、知っておくことは大事なことだと思うんです」


 そう言って……言いたいことを言い終えて女性の反応を待っていると、女性はまさか3割から4割に増えるとは思ってもいなかったのだろう、先程の表情は何処へやら、目を丸くして、口をぽかんと開けて……握っていた拳も開いて、背中の後ろの大きな尻尾の先をくるんくるんと回し始める。


 そうしてしばらく経ってから女性は、綻ぶ口元をどうにか引き締めようとしながら言葉を返してくる。


「畑のことを教えるくらいのことは何でもないことだ。

 毎年子供達に教えているからな、そのついでと思えば大した労力でもない。

 ……本当に良いのか? たかがその程度のことで本当に1割も報酬を増やしてくれるのか?」


 女性は正直過ぎるというか、真っ直ぐな性格をした人なのだろう。

 自分にとって不利な情報を……せっかくの増額が無くなってしまうかもしれない情報をあっさりとこちらに明かしてくれる。


 辞めた会社の仕事で付き合っていた人達とは真逆というかなんというか……なんとも好ましいその性格に笑みがこぼれそうになってしまう。


 好ましいと言えばこの家のこともそうだ。

 畑が綺麗な状態だったのも、この家がすぐにでも暮らせる状態だったのも、おそらくはこの女性が……女性達が管理してくれていたからなのだろう。


 曾祖父ちゃんが緊急入院して亡くなって、俺がここに来るまでの間……契約とは関係の無いこの家まで、こんなに良い状態にしてくれて……。


 そのお礼という訳ではないが、そこまでしてくれる人達が……とても好ましいと思える人達が相手なら、この決断が損に繋がってしまうのだとしても、笑って受け入れることが出来るだろう。


「はい、4割を報酬としてお支払いします。

 ……とりあえず1年間畑の世話をしてもらって、色々なことを教えてもらって……もっと必要だと思ったならそのまま来年もお願いしたいと考えています。

 ……えぇっと、それで……契約書とかを書く必要はありますか? 必要ならすぐに用意しますが……」


 俺がそう言って足を進めて、家の中に上がろうとすると……縁側に座っていた女性は立ち上がり「その必要はない」とそう言って、俺の手を取ってくる。


「……お前の名前は?」


 手を取って……というか手首を取って、女性が強く握りながらそう問いかけてくる。


森谷もりや 実椋みくらと言います」


「そうか、私は栗柄くりから とかてち、だ」


 なんとも聞き慣れない名前を女性が名乗ると……次の瞬間ざわざわと周囲の木々がざわめく。


 風が吹いて木々が揺れたとかいうレベルではない……大きな地震でもここまで揺れないんじゃないかというざわつき方で、一体何事だろうと驚いていると、女性が俺の手首を握ったまま言葉を続けてくる。


「安心しろ、獣ヶ森の住人達が騒いでいるだけだ。

 ……そして覚えておくと良い、これだけの騒ぎを起こす程の獣ヶ森に住まう多くの、大小の住人達がこの契約の証人だということを。

 無闇に契約を破ったなら、それらの証人達全てを敵に回すことになるからな」


 そんな女性の言葉を受けて俺は改めて周囲を見渡す。


 すると木々の隙間や、木と木の間や、地面を覆う木の葉や草の隙間にいくつもの目があり、その目がこちらをじっと見つめていて……なるほど、彼らがこの契約の証人という訳か。


 とかてちと名乗ったこの女性は渡りに船というか、どうしたら良いのか何をしたら良いのか分からない所にやってきた助け舟といった所で、元々契約を破る気などさらさら無かったのだが、改めて契約をしっかりと守っていこうという覚悟を決めて、周囲の目に見えるように大きく、力強く頷く。


 するととかてちと名乗った女性が手を放してくれて……くっきりと手の跡がついてしまった手首を撫でながら俺は、あることが気になって口を開く。


「ところで、その……とかてちというお名前は、あまり聞き馴染みがないのですが、この辺りというか、獣人固有の名前、みたいなものなのでしょうか?」


「……なるほど、名乗った瞬間に妙な顔をしたのは、それが理由だったか。

 獣人どうのではなく、私達の一族に伝わる名前のようなものだと思えば良い。

 呼びにくいなら『テチ』でも良いぞ、富保はそう呼んでいたしな」


「……なるほど、ありがとうございます。

 それなら今後はテチさんと呼ばせていただきます」


「ああ……それと契約を交わした以上は仕事仲間だからな、敬語も必要ない。

 ……というか人間達の敬語は今ひとつ聞き取れないというか、意味が分からないことがあるから出来るなら止めて欲しい」


 そう俺はそういうことならと頷いて……初対面の女性相手に……それも初めて目にする獣人相手にそうするのはどうにも抵抗があるなぁと思いながら、頭を切り替えて口を開く。


「ああ、分かった。そういうことならそうさせてもらうよ。

 これからよろしく、テチ……さん」


 敬語を止めるついでに呼び捨てにしようとしたのだが、その瞬間テチさんの表情が険しくなったのを見てあわてて「さん」と言葉を付け足す。


 するとテチさんは満足そうに頷いて……、


「おーーい! お前達! 契約は無事に終わったから顔を見せるんだ!」


 と、家の周囲を囲う木々の向こう……森の中へと向かって大きな声を上げる。


 すると森の中から小さな……といってもリスにしてはかなり大きい、テチさんとは全く似ても似つかない、シマリスがそのまま大きくなって、4・50cm程の大きさになって服を着たというような、そんな生き物がぞろぞろと長い列を作りながら、姿を見せるのだった。

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