獣ヶ森でスローライフ

風楼

第一章 塩豚、燻製、おまけでジャム

第1話 スローライフ開始


 ジーパンに地味な長袖のシャツと大量の鞄という、山登りをするには少しアレな格好で山を登るバスに乗り。

 終点まで行ったらバスから降りて、門を通ってからは徒歩で。


 結構な距離を進むと山林を切り開いたといった感じの空間が出迎えてくれて……そこには茅葺屋根の平屋で、縁側があってその奥に居間と仏間があるという、いかにもな古民家が建っている。


 子供の頃、夏休みになると必ず遊びに来ていた曾祖父ちゃんの家。

 その曾祖父ちゃんが亡くなってしまって、誰もこの家を継ごうとしなくて、でも誰かが……一族の誰かが継なければならなくて……。


 病室で危篤の曾祖父ちゃんを前にして、まるで貧乏くじを押し付け合うようにしている親戚連中の有様に耐えきれなくて啖呵を切ってしまって……紆余曲折を経て俺が継ぐことになった家。


「二十五にして家持ちかぁ……まさかこうなるとはなぁ」


 なんて独り言を言いながら、その家の方へと足を進めていって……縁側に腰を掛け、背負っていた鞄と両肩にかけていた鞄をどさりと下ろす。


 ああ、まったく……鍛えていない体でこの重い荷物はきつかったな。

 学生時代より痩せてしまってスタミナが落ちたような気もするし……山で暮らしていくなら、このくらいの荷物でへばらないようにしないといけないなぁ。


 なんてことを考えながら居間の方を見てみると、そこには先に送っておいた俺の荷物が山積みにされていて……どうやら無事に到着してくれていたようだ。


 ……しかしどうにも変な様子だ。

 予想していた光景ではこう……雨戸とか締め切っていて、廊下は埃だらけで、畳とかも腐らないように床から外してあるもんだと思っていたんだけど……なんだか普通に今からでも暮らせる感じだな。


 誰かが管理してくれていたのだろうか……? 荷物にしたって誰かが受け取ってくれたんだろうし……。


 と、一息つきながらそんなことを考えた俺は、靴を抜いで縁側に上がり……家の中を見て回る。

 

 台所や洗面所の蛇口を捻れば水が出て、ガスや電気も来ているようで……配電盤のブレーカーなんかも上がったまま。


 普通は無人になったタイミングで……曾祖父ちゃんが入院したタイミングでこういうのは元栓を閉めたり落としたりするもんだと思うんだがなぁ……。


 冷蔵庫や電子レンジ、テレビなどの家電はそのままで、曾祖父ちゃんはネット通販を駆使していたらしくWi-Fiルーターなんかもあって……。


 ああ、でもパソコンが何処にもないな……スマホで注文していたのだろうか?


 それともまさかあの親戚連中が高値で売れると売っぱらってしまったのだろうか……と、そんなことを考えて、そうしてあることに思い至った俺は、慌てて駆け出し、縁側に出て靴を履いて、家の隣にある倉庫へと駆けて向かう。


 倉庫。曾祖父ちゃんの宝がどっさりと詰まった宝物庫の中にはただ空の棚があるだけで、あれだけあった品々が一つも残されていない。

 冷蔵庫も冷凍庫も空で……こっちのブレーカーはしっかり落としてある。


 残っていることを期待していた訳じゃぁないが、あの輝かしい光景を知っている者としてはなんともがっくり来る光景で……俺はそのまま、肩を落としたまま家の裏にある……山の中を少し歩いた先にある曾祖父ちゃんの畑へと向かう。


「ああ、良かった……ここは昔のままだ……」


 ご先祖様が自らの手で山を切り開いて作ったらしいそれを、受け継いだ曾祖父ちゃんが入院する時まで管理していた畑。

 この畑で採れた栗とクルミで爺ちゃん達を……六人の子供達をしっかりと育て上げ、大学にまで行かせた畑。


 その光景は昔のままで、大きく立派な畑の木々はどれもこれも春らしい青々とした葉を揺らしていて……綺麗に掃除されている畑の光景に俺は心の底から安堵する。


 何しろ俺は今無職……頑張って入社した仕事を辞めてここに来ているからなぁ。

 この畑が無かったら一体この先どうやって食っていけば良いのやら……


「にしても……なんだかこう、随分と綺麗というかなんというか……明らかに手入れがされてる、よ、なぁ……」


 一定間隔で木々が並び、その列が奥の奥まで……一体何列あるんだっていうくらいに続いている畑には、枯れ葉やゴミの姿はなく……そんな独り言を呟きながら手近な木に近づいてよく見てみても、害虫やらの姿はなく、その葉に穴が空いているとか枝が折れているとか、そういった様子は一切見当たらない。


 家と言い、この畑と言い、誰かが管理してくれていることは明白で……だけれどもそんな話を一切聞いていない俺は、疑問に思いながら周囲を見渡すも人の気配は一切しない。


 虫の声と鳥か何かの声と……風に揺れる木々の、うるさいくらいの音が聞こえてくるだけで……明らかに人の手が入っているのに、ここまで人の気配が無いというのは、なんとも奇妙な感じだ。


 今まで都会暮らしだったこともあってか、人の気配が無さすぎてどうにも落ち着かず、そわそわとしてくる。


 こんなに静かなところで……寂しい所で俺は残りの人生を送る訳か……。

 誰にも顔を合わせず誰とも会話せず、一人で。


 改めてそう考えるとどうにも心がざわついて、苦しくなって……突然襲ってきた不安に押し潰されそうになる。


 病気や事故や災害の時に、誰にも頼れないという……頼れる人が側に居ないというどうしようもない不安。


 とは言え今更そんな不安を抱いても……継いでしまったものは、相続してしまったものは仕方ない。

 

 ……ここには誰かが住まなければならないのだから。


 それが嫌で、あるいは無理で親戚連中はこの家を押し付けあっていた訳で……そんな中であんな啖呵を切ってしまったのだから、もう何もかもが今更だ。


 仕事だって辞めてしまったのだから、覚悟を決めるしかないんだと、そんなことを考えて短く切りそろえた黒髪をガシガシと掻いてから踵を返した俺は、曾祖父ちゃんの……いや、俺の家へと戻っていく。


「……栗畑にクルミ畑かぁ。

 一応ネットで世話の仕方とか軽く調べて、本も何冊かもってきたけど……あんな広い畑、一人で世話できんのかなぁ」


 なんて独り言を呟き、縁側に置いた鞄の中にある何冊かの本のことを思い浮かべながら縁側へと向かうと……縁側に座る人影が俺の視界に入り込む。


 若い女性。

 その手には今まさに俺が思い浮かべていた本の姿がある。


 勝手に鞄を漁り、その挙げ句に勝手に読んでいるその女性は……どっかの民族衣装かと思うような柄の長袖上着に、ふんわりとしたズボンに、そのズボンの裾を引き締めているかのようなブーツに……大きすぎるだろうというくらいに大きい肩掛け鞄といった格好をしている。


 ……いや、そんな服装よりも何よりも目立つのは、ショートカットにした茶色の髪の上にちょこんと乗っかっている大きな耳と、その背中の後ろで揺れているシマリスを思わせる大きな尻尾だろう。


「……リスだ、耳の形からしてもシマリスの獣人だ……。

 さすが獣ヶ森……」


 そう呟いて俺は、その女性のことをじっと見つめる。


 小顔で化粧はしていないようだがきれいな肌で、深い紺色の瞳はくりんとしていて……美人と言っても過言じゃない部類の人……いや、『獣人』か。


 獣ヶ森、獣と人の中間のような人間……獣でもあり人類でもある『獣人』が住まう森。

 ゆえにこの山に入る前には、検疫所を兼ねている門を通る必要があり……獣ヶ森に、この山に存在する唯一の日本国領土が……人間の領土がこの家と畑だったりする。


 その昔ご先祖様が何かをやらかして得ることになったらしい領土。

 人間と獣人の融和だとかなんとか、そんなお題目のために何百年も俺達の一族が受け継いできた土地。


 誰かが継がない訳にはいかず、継いだ以上は住まう必要があり……ゆえに貧乏くじ扱いされていた、曾祖父ちゃんの遺産。


 まさかそこに来て初日で獣人に出会うことになるとは……と、俺が女性を見つめたまま、目を丸くしていると、女性が俺に気付いて、その口を開き、高く響く声を上げてくる。


「……お前、富保(とみやす)の縁者か? お前が跡継ぎか?

 人間はどういう訳か皆が皆、黒髪黒目の地味な顔をしていて見分けがつかないが……お前は少し富保に似ている気がする。

 こんな本を持っているところを見るとあの畑の世話をするつもりではあるようだが……お前も富保のように私達と契約してくれるのか?」


 真剣な……真っ直ぐな表情でそう言ってきた女性に俺は、その言葉の意味が分からず、首を傾げることしかできない。


「確かに自分は森谷(もりや) 富保のひ孫ですが……。

 契約とはその……一体、何のお話ですか?」


 首を傾げながら訝しがりながらそう返すと女性は……眉をひそめ渋い表情をし、面倒くさいとでも言いたげな大きなため息を吐き出すのだった。


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